第63話

 義父はいなくなった。家にはものを取りに来ただけのようだった。

 もう会わないかもしれない。太陽は、そう予感した。

 世の中で最も会いたくない人だ。太陽は自分の腕で、体を抱きしめた。

 なぜか、頭の中に栗原の顔が浮かんでいた。小学生の時、仲の良かった友人。中学生になってからは、全く会っていない。当時は何とも思っていなかったけれど、大切な友人だった。

 太陽は、「さびしい」という感情をかみしめていた。怖くて切ないときに、どうしても会いたい人がおらず、昔の友人を思い出してしまう。自分を抱きしめる手に、力が入る。

 

 

「お父さん、なんとかならないの」

 百合草募はテレビを見ながらウイスキーを飲んでいた。話しかけられるということは、機嫌がいい。昨日の対局に勝ったのである。

「なんとかってなんだ」

「なんとか……なんとか!」

「あれか、纐纈君か」

「そう。このままじゃ……いなくなっちゃうかも」

「ううむ。そうは言うが、父さんにできることってなんだ」

「それは……弟子にして、すぐにプロになれないの?」

「無理だ。何年か奨励会に行って、運が良ければなれるんだ」

「運いいかもしれない!」

「……そうであってほしいさ。けれども、すでに運がないんだ。戦うチャンスがないんだから」

 鈴里は頬を膨らませて、父親をにらみつけた。

「つよければいいんじゃないのっ」

「そうだなあ。超一流なら、そうなのかもしれない。けど、纐纈君はそこまででもない」

「そんな……」

「昔は内弟子なんてのもあったけどね。そういう時代じゃない」

「内弟子?」

「家で預かる。家事雑事を頼んだりしてね。もう何年もそんな例は聞いてないかな」

 百合草は言いながら、娘から視線をそらした。途中で、自分が嘘をついていると気づいたのだ。

「本当にないの?」

「父さんの時代でもあんまりなかったからなあ。そういう時代じゃないよ」

「うーん」

 百合草は、心の中で震えていた。確かに、そういう時代ではないのだ。そんな中、たった一人、内弟子をとった男がいたことを思い出していた。

 その冴えない棋士のおかげで、将棋の歴史が変わったのだ。

 だからと言って、「プロは内弟子を取るべき」とは思わなかった。取りたいというわけでもなかった。

 せめて、あきらめさせてくれれば。将棋をやめるか、全く伸びなくなるか。決して口には出せない思いを、百合草は抱き始めていた。

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