第44話

「一番じゃないと意味がないんだ」

 会場に来る途中、百合草は言った。

「はい」

「不思議なもんでね、三段リーグも順位戦も、二番でも上がれる。実際、二番が多くてね。慣れちゃうからね、そういうのは」

「……」

「なんにしても、全国大会じゃないから今日の1位を獲らないと実績的には厳しい。狙って獲れる人間になるんだよ」

 太陽は、窓の外を見ていた。驚くほどに、実感がなかったのだ。彼はまだ、1位も2位も、深く考えるほどには経験したことがないのだった。



 一番が見えてきた。

 対ひねり飛車。太陽は、左の金を繰り出していった。タコ金戦法だった。

 解説の棋士が驚いて「おおおっ」と声を上げていた。最近は金を上がっていく将棋も増えているものの、太陽は明らかに古い指し方をしていた。

「そういえば金本七段もこういう指し方を見せますね」

「そういえばそうですね」

「小川先生の棋譜を並べて勉強したとか。纐纈君もそうだったりしてね」

 太陽の駒が盤上を制圧していく。ただ、駒得をしているわけではなく、そんなに勝ちやすい局面とは言えなかった。そして、相手も落ち着いていた。暴発せず、じっくりと悪くならないように指し続けてくる。

 我慢比べ。太陽がほとんど経験したことのない展開になった。相手は犬沢よりも強いのでは、と感じた。気を抜けば、一気に持っていかれるという恐怖。太陽はその恐怖を、更なる慎重さにつなげた。

「纐纈君は秒読みになりますね。しっかり考えているということですね」

「ただ、読まれると焦りますよね、秒」

「ええ、ええ。そうなんですよ」

 十秒で考えて、二十秒で決める。相手が考えているときこそ、本番だ。太陽は、まだ大丈夫だった。

 相手玉が見え始めた。お互いが、詰む詰まないを考えなければいけない状態になる。太陽は、最後まで安全を重視した。駒を渡さず、詰めろをかけられず。

 ついに相手が暴発して駒を渡してきたところで反撃、最後は簡単な詰みだった。

 太陽は、一番になった。

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