第32話
道場には、水道もガスもある。
それを思い出し、太陽は救いを求めたのだった。一晩、あそこにいさせてもらおう。ソファで横になって、朝まで何とかなればいい。
道場の扉を開ける。
「どうしたの?」
「あのっ」
「ひどい顔してるね。まあ、座って」
太陽は冷静に話そうと思っていたが、とても冷静な様子ではなかった。道場主は、冷蔵庫からジュースを取り出して彼の前に置いた。
「えっと……」
「やっぱり指導対局受けることにした?」
「そうじゃなくて。家が……」
「家が?」
「鍵がなくて入れなくて。その、ここのことを思い出して、僕その、電話とかも持ってないし……」
太陽の頬を伝うものがあった。声が出なくなった。
「お父さんお母さんと連絡つかないのかな?」
太陽は小さくうなずいた。
「そっか。ここで待ってる? 誰も家に帰ってこないの?」
再び、頷く。
「どうしたものかなあ」
「うちに来なさい」
奥から、声がかけられた。百合草だった。指導対局の手を止めずに、言葉を続ける。
「これが終わったらピアノ教室まで鈴里を迎えに行くことになってる。ちょっと時間があるし、なんか食べながら一緒に待とう」
顔を上げた太陽は、唇をかみしめながら何回も瞬きをした。何と答えていいのか、よくわからなかった。
「気にしなくていい。僕も師匠や先輩にはお世話になってきたからね」
百合草は、師匠ではない。太陽はそういう思いが巡ったあとに、自己嫌悪に陥った。
「あの……」
「お世話になっときなさい。プロ棋士の家に泊まれるなんて、面白そうじゃない」
「……はい」
太陽は、逃げ出したかった。けれども、ずっとこの場にいたいとも思った。
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