第164話 そして歴史は繰り返す
ルイーゼ将軍の敗走は、帝国軍に大きな衝撃をもたらした。それもそのはず、彼女は西武戦線でノルマンドを撃退したばかりだ。自然と帝国市民の期待も高かったのである。
この戦いにおいて、負傷者は多数いるものの、王国軍の死者は一人もいない。それは帝国も同様であり、亡者兵の多くを失ったが、魔術師には負傷者すらいなかった。
ただ一人を除いて。
「クソッ、血が足りない。だれかもっと輸血液を持ってこい!」
「駄目だ!どんどん脈拍が弱くなっている!」
「諦めるな!……魔術師で回復魔術が使える奴はありったけの触媒をもってここに来いと伝えろ!」
衛生兵が必死になってルイーゼの手当をする。彼も軍きっての名医だが、それでも完璧であるわけではない。命が必ず尽きるように、手の施せない傷も存在する。
(クソッ!もっと設備が整っていれば、救えるって言うのに……)
彼等は必死にルイーゼの止血をしていく。弾丸は既に摘出したが、傷つけた血管からは血がこれでもかと溢れていく。持てる全ての力で手当てをしているが、それだけに限界が分かっていた。
(駄目だ……失った血が多すぎる。それに魔術部隊も消耗していて、十分な回復魔術も使えない……)
魔術はその汎用性が故に、秘術よりも効果は劣る。ドロテやレリアが一人で癒やせる傷を、魔術師は五人がかりでやっと治せるのだ。無論これは魔術の評価を下げるものではない。秘術とはそれだけ、異次元じみた力なのである。
「もう……いいわ」
「っ?!将軍っ?!」
ルイーゼがかすれた声で続ける。
「良い腕ね。帝国の軍人でもここまで正確に撃ち抜けないわ」
「将軍!喋らないで!」
「いいの。それより、最後の指示を伝えるわ」
「なっ……」
兵士達は黙り込む。衛生兵は処置を止め、真剣な表情でルイーゼを見つめた。
「彼女達は再び攻撃してくるわ。さっきの戦い、第七騎士団だけで戦ったお陰で、王国軍の他の部隊が温存されている。きっと、私が死ぬタイミングを見計らって、攻撃をしかけてくるわ」
「そんな……」
「とにかく退きなさい。今すぐに。私が気がかりなら、私の死体ごと運んででも撤退しなさい。そうすれば彼が、貴方たちを救ってくれるわ」
「彼?」
「そう」
ルイーゼが続ける。
「アルベルト・グライナー。『天才』にして、いくらか嘘が下手な男よ」
ルイーゼはそうとだけいうと意識を手放す。歴戦の魔術師達も、流石にすぐに動くことはできなかった。胸からこみ上げる抑えようのない衝動に、全てが焼かれそうであった。命令さえも、すぐに実行に移せぬほどに。
彼等がこの後生き延びたのは、本当に偶然だっただろう。実際この時温存していた王国軍の部隊が大砲を運びながら進軍し、彼等の陣を射程圏に捉え始めていた。大砲の先制攻撃の後に、東和の騎馬隊がなだれ込めば、魔術師達は散り散りにされていただろう。
しかしそうはならなかった。
「少し、いいか?」
「え?」
何故その男がここにいたのか。魔術師達に知るよしはない。
まるでこの状況を予知でもしたのだろうか。急いで此処に来ていたが、救うことができるのを確信しているかのような歩き方だ。
彼はゆっくりと歩みより、ナイフで指先を切る。そしてぽたりぽたりと、彼女の口元にその血を垂らしていった。
『血は力なり……』
だれもがただ息を呑んで見守る中、青ざめ始めていたその女性は、少しずつ血の気を取り戻していた。
「何?魔侯将軍が一命をとりとめた?」
アウレールが部下に質問する。
「はい」
「王国軍はどうした?指揮官が倒れたところを、再攻撃しなかったのか?例え一日休みをとったとしても、魔侯将軍の不在は混乱を生み続けているだろうに」
「それが、どうにも彼らの陣営の目前に迫ったところで、進軍をやめたそうです」
「ますます理解ができんな」
アウレールが軽く舌打ちをすると、丁度そこに新しい報告が入る。そしてその報告を耳にすると、表情はうってかわって、愉悦へと変わっていた。
「クック……。成る程、成る程。こいつはいい……」
アウレールは小さく堪えるように笑いを押し殺していく。しかしその笑い声は徐々に大きくなり、ついには廊下にまで聞こえるかのように笑い始めた。
「はっはっは!こいつは傑作じゃないか!まさか本当に、歴史を繰り返してくれるとはな!」
アウレールは部下に次の指示を出す。しかしどちらかが生き残るようではいけない。ここで面倒な血筋は全て絶やすべきなのだ。
魔術師の小娘に、英雄の娘、そして忌まわしいあの男の息子。最高のショーを見た上で、彼等に引導を渡してやろう。アウレールは歴史の渦中にいる興奮に、これ以上無く身を震わせた。
「兵を出せ。装甲車とトラックで、できるだけの兵を向かわせろ!そして伝えろ。どちらが勝とうと、双方に引導を渡せとな」
部下が敬礼し部屋を後にする。アウレールはそれを見送った後、強く拳を握りしめ、そして机に叩きつけた。
心地の良い風が吹く。たなびくその金色の髪は、美しさ故に神々しさすら感じさせた。装備は至る所に破損箇所が見受けられ、顔にもいくらかの泥がついている。しかしそれでも、いかなる絵画や美術品よりも人々を魅了しただろう。
英雄クローディーヌ・ランベール。彼女はゆっくりと帝国軍の陣営前まで歩み出ていた。
「止まれ!止まらなければ攻撃する!」
帝国兵が銃を構える。クローディーヌは足を止めることなく、そのままゆっくりと近づいてくる。
「止まれと言って……え?」
兵士の言葉が途切れる。それは不意に現れた男が、優しくその銃口の前に手をかざしたからだ。そしてゆっくりと首を振ると、男は前へと歩き出した。
二人の距離は近づいていき、十歩ほどの距離で歩みを止めた。
「久しぶりね。アルベール」
「ああ。そっちこそ元気そうで」
両軍の兵士達は固唾を呑んで見守る。二人が何を話していたのかはわからない。しかしどちらも穏やかに会話を交わし、時には笑っているようにすら見えた。
そしてしばらく話した後、二人の間に沈黙が生まれる。お互いに相手をまっすぐ見つめ、しばらくの間そうしていた。兵士はそのわずかな時間を、まるで悠久の時のように見守っていた。
「さようなら」
「………」
クローディーヌは聖剣を抜き、アルベルトへ向ける。そして高らかに宣言した。
「我が名はクローディーヌ・ランベール。王国軍第七騎士団が団長にして、英雄セザール・ランベールの血を引くもの」
アルベルトは何も言わない。ただ黙って彼女をみつめている。
「帝国軍司令官、アルベルト・グライナー。三日後の正午、貴方に……」
クローディーヌは一拍おいて続ける。
「決闘を申し込みます!」
強くまっすぐな言葉だった。碧い瞳が、その視線が、まっすぐアルベルトを貫いている。
それ以上の問答は不要だろう。アルベルトはサーベルを抜き、彼女へと向けた。
歴史は繰り返す。人の業が消えぬ限り。
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