第147話 雨は降り、風は吹き、英雄は立つ
私は一体、何者なのだろうか。
考えがまとまらない。まとまるはずもない。もうずっとこんな様子だ。原因は分かっている。対処の仕方が分からないだけだ。
「団長、リンゴ飴食べませんか?甘いもの食べると、嫌な気分も一瞬でいなくなりますよ!」
レリアがそう言って屋台の方へと向かっていく。
彼女は優しく、自分よりもずっと大人だ。周りが見えているし、自分がどう振る舞うべきかも分かっている。だからそれを見ていると、自分への嫌悪感が増していく。自分のふがいなさを直視せざるを得ないのだ。
故に彼女の優しさは、うれしくもあり痛くもあった。
「団長!どうぞ!」
「………ありがとう。レリア」
私は上手く笑えているだろうか。彼がいなくなってから、私たちの元を去ってから、自分が自分でないような感覚が続いている。
自分の中でどれだけ彼が大きかったのかがよく分かる。まるで自分の全てがなくなってしまうような気がしていた。
私がただ静かにもらった飴をみつめていると、レリアが話し始めた。
「私、子供の頃からリンゴ飴食べるの憧れてたんですよね」
「え?食べたことはなかったの?」
「はい。実は初めてなんです」
レリアが少し照れ笑いをしながら続ける。
意外だ。彼女ならすぐに試しそうなものだが。
「こういうのって、子供の時とかお祭りの時とかにしか食べられないものじゃないですか。それも一人で食べるとなんか寂しい感じがしますし」
「そう……、かしら?」
レリアの言葉に少し考えさせられる。
自分は祭りも経験したこともなければ、子供の時にもらったこともない。父がもう少し生きていれば、そんな経験もしていたのだろうか。今となっては想像もつかない。
しかし食べたことが無いわけではなかった。
「アルベール……」
つい彼の名前を呼んでしまう。以前彼が、この飴を買ってくれたことを思い出した。初めて食べる味に、いまでも強い印象が残っている。
カリッ。
リンゴ飴を一口噛み、ゆっくりと咀嚼する。それは甘くて、美味しくて、それでいてどこかしょっぱかった。
このままどうにでもなってしまいたい。自身の中でそんな感情さえ湧いている。今ここで何もかも投げ出せば、どれほど楽だろう。頭のなかをグルグルと巡る何かが、今にも自分を狂わせてしまいそうだ。これほど辛いのならば、いっそ……。
そう考えたときだった。
「クローディーヌ様」
ふと顔を上げると、腰の曲がった老人がクローディーヌの目の前に立っていた。かなり高齢の方だろう。杖をついていなければ、すぐにでも立っていられなくなりそうであった。
「おじいさん、いけません。今私たちに近づけば……」
レリアが深刻そうに注意する。そういえばこれまで、自分たちに話しかけてくる市民がいなかった。しばらく忘れていたが、以前は王都を歩けば誰かしらは声をかけていた。しかし今日に限ってはそれがない。
ここでようやく、クローディーヌは王都の状況を理解した。声をかけることで目を付けられ、その行為自体が危険なのだ。
「いえいえ。いいんです」
しかし老人はレリアの言葉に首を振った。
「私は先代のセザール様に救われた身です。一時は戦場に身を置いていたこともありまして……。一度クローディーヌ様にもお会いして、お礼を言いたかったのです」
「お礼?お父様へのお礼なら、お墓に……」
クローディーヌの言葉に老人は再び首を振る。
「いえ、貴方にです」
そして老人は続ける。
「私は戦場に身を置いていたことがあります。それだけに戦争がいかなるものか、よくわかっているつもりです。そして何より、戦争に負けるということがどれだけ悲惨かということも」
「…………」
「私の故郷はボルダーといいます。今でこそ栄えていますが、昔は辺鄙な村でした。今と昔では随分と様子が違いますが、それでも私の大切な故郷です」
「ボルダーって、確か……」
レリアの言葉に、老人が頷く。
東和との戦い、第七騎士団が守り、戦った場所だ。傷つき、戦い、ぶつかり合った。必死に守ったものの、都市の子供から石を投げられた。そんな戦いの記憶が蘇った。
「私は戦争がどういうものか知っています。貴方は確かに強いが、戦争の中に身を置けば、誰しも必ず心を腐らせてしまいます。……しかし、貴方はそれでも剣をとり続けた。地獄に身を置き続けたのです。英雄とは強い者を指すのではありません。立ち上がる者を指すのです。真の英雄である貴方に、礼が言えるというのに、憲兵などを恐れていられますまい」
老人は曲がっている腰を必死に伸ばしながら敬礼する。クローディーヌはただ呆然とその様子を見ていた。
しかしその時、周りに他の人達が大勢いることに気がついた。
「私たちからも、お礼を言わせてください」
「いつも王国を守ってくださり、ありがとうございます」
「クローディーヌ様、万歳!」
市民達が口々に礼を言う。そして彼等はクローディーヌ・ランベールに向かって、少しだけ不格好な敬礼をした。
「団長」
レリアが此方を見て話しかける。
「私は団長がどう考えるのかは分かりません」
「…………」
「でも私はついて行きます。貴方の考えが、例えなんであっても。最後までついて行きます」
そしてしばらく、二人は何も言わなかった。
「私、そろそろ戻ります。私が皆には上手く言っておきますので、団長は……」
「いえ、」
クローディーヌは立ち上がり、レリアに向き直る。そして凜とした表情で続けた。
「私も戻ります」
まだどこか憂いを帯びてはいるが、それでも前を向いている。レリアはそんなクローディーヌの表情を見てうれしそうに笑う。
「皆さん、ありがとうございます。ですが無理をなさらないでください。もう十分気持ちはいただきました」
クローディーヌの言葉に、市民達は少しずつ散っていく。そして最後に老人が、うれしそうに笑って去っていった。
今日ドロテとマリーに言われたことは正論そのものだ。いつまでも泣き言を言ってはいられない。それに彼女達だって自分を本気で責めている訳ではない。それぐらいのことはよく分かっていた。
ドロテは自分を叱責するため、マリーは彼を思うが故に、自分に強く当たったのだ。その気持ちは自分にとっても、とてもうれしいものだった。
だから立ち上がろう。痛くても、辛くても、前へと踏みだし剣を振ろう。
今日を生きるために、明日を生きるために。失っていった者達と、まだ守ることのできる者のために。既に期待は鎖でも重荷でもなくなっていた。
何故なら自分は英雄なのだから。
彼と再び会うことがあるとすれば、きっとそれは戦場だ。戦場という名の地獄の中だ。
おそらくは刃を交えることにもなる。軍を差し向け合うことになる。
そこで自分はどうするだろうか。
その時、自分は……。
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