第59話 靄は晴れ、心は踊る






「はあ、てや、せあ!」


 素早い剣の動きに俺は翻弄されていく。しかしそんな様子はお構いなしに、クローディーヌは俺に攻撃を加えていく。


「しまっ」

「甘い!」


 俺の剣が飛ばされる。クローディーヌは俺に剣を突きつけ、俺は両手を上げた。


 今日は既に0勝11敗だ。もうこれ以上する必要は無いだろう。


「なあ、そろそろ終わりにしないか?」

「え?」


 『え?』じゃないんだが。もう何度もやっているんだが。


 元々5,6回しかやらないのが普通だったのに、今じゃ10回を超える模擬戦をやらされている。


「そうね。一旦休憩を入れましょう」


 だから『一旦』じゃないんだが。もう終わりでいいんだが。


 俺は内心でそんな風に悪態をつく。まあ勿論それを声に出そうものなら、騎士道精神とやらを楯に正論で殴られてしまう。訓練はした方がいいのは俺もよく分かっている。


 自分でやりたいとは思わないが。


(あれ?なんか忘れていたような……)


 俺は頭の片隅にひっかかる何かにわずかに残っている脳の容量を割いていく。しかしどうにも思い出せない。


 この馴染みの声を聞くまでは。


「あー!まだ、こんなところで油売ってる!!」

「あ……」


 俺は恐る恐る振り返る。そこには遠目でも明らかに怒っていらっしゃる情報屋がいた。


「マリーサン、ドウシテココニ……?」

「今日ご飯奢ってくれるって約束してたでしょ。踏み倒すつもり!」

「いや、まあでもこっちは仕事で……」

「アルベールが自分から残業なんてするわけないでしょ!一体何をやって……へ?」


 俺の所まで歩いてきて、クローディーヌに気付く。おそらく俺の身体に隠れて死角になっていたのだろう。クローディーヌもクローディーヌで、突然のことで言葉が出ない。


 マリーが慌てて取り繕いつつ、挨拶をする。


「えっと、はじめまして。王都の新聞記者をしているマリーといいます」

「こちらこそ。第七騎士団長、クローディーヌです。どうぞよろしく」


 クローディーヌはとりあえず慣れた様子で握手をする。一方で不意打ちをくらったマリーは少しぎこちなく握手をしていた。


「英雄の前では流石に形無しだな……って痛っ!」

「うるさい!こっちは何かあったのかって心配したのよ」


 マリーが怒りながら俺の脛に蹴りをいれてくる。基本的に今まで時間に遅れたことはなかったから何かあったのかと思うかもしれない。


 しかし俺としては時間通りに来なかった俺を待つどころか探しに来た彼女に驚きであった。彼女なら数分も待たずに帰り、後日さらなる要求をしてきそうだが。


 そんな俺達のある種通常運転な様子を、クローディーヌはどこか寂しそうに見ていた。


「すいません、団長。人を待たせているので、今日はこのあたりで帰ることにします」

「あ、はい。すいません、私の都合で時間をとらせてしまって。貴方の予定も考えず……」


 クローディーヌが少し申し訳なさそうに言う。きっと彼女なりに思うところがあるのだろう。その碧い瞳はいつもの輝きを失い、どこか寂しそうにしている。


 英雄といっても人の子であることに変わりはないのだ。


「マリー、ちょっと着替えてくるから待っててくれ」

「あ、うん。……え、ちょっと」


 俺は二人を残し、着替えに行く。まあ女性二人残しても、何とかなるだろ。知らんけど。


 どこかぎこちなく固まった二人を残し、俺は脱衣所へと走っていった。












 心の靄がはれない。それもそのはずだ。わずかばかりの間に、様々なことを自覚した。


(私は、まだまだ未熟だ)


 隣に立つ女性記者の方を見る。マリーと名乗る彼女は私よりもずっと彼と親しそうに見えた。


 彼にも彼女にも、親しい人が他にいる。だが、私にはいない。二人の様子にそれを如実に示されてしまった。


 話しかけてくれるマリーさんに返事をしながら、私は彼女の見た目を観察する。


 マリーさんはとても可愛らしい。顔立ちも可愛らしく、服装も正装でありながら、失礼でない程度に可愛らしく整えている。どこかキツい印象を与えがちな私とは大きく違っていた。


 英雄と呼ばれ褒めそやされているが、男性にとっては彼女のような存在こそ魅力的なのだろう。私を知り、応援してくれる人は多くいるが、本当の意味で私に近しい人は少ない。


 ひょっとすると、いないのかも……。


「いつも、大変ですね。彼みたいな人が副官じゃ」

「え、ああ。そうね、確かに彼は雑なところが多いわね。訓練もサボりがちだし」


 私は少しばかり、知ったような口をきいてしまう。本当はそんなこと気にしたこともない。彼には感謝しても仕切れないぐらいの恩があるのだから。


 だがそんな私のエゴも簡単に打ち砕かれる。


「ですが、アルベールはやるときはやるんです。普段はちょっと頼りないですけど」

「あっ……」

「だから、大事にしてやってください。ちょっと差し出がましいですけど」


 彼女はそういって明るく笑う。嫌が応にも自分との違いを見せつけられる。剣や秘術を磨いてきても、人としての磨きに欠ける。それを自覚した。


 そんなとき彼が帰ってきた。


「さあ、マリー。行こうか」

「あ、うん。クローディーヌ様、失礼します」


 マリーさんが挨拶をする。私はうまく返せていただろうか。


 二人が去っていく。私は肩を下げ、俯いてしまう。


 すると不意に足音が近づいてくるのを感じた。


「ああ、そういえば団長」

「えっ?」


 顔を上げる。彼が小走りで戻ってきていた。


「今度、団長もどうです?安い食堂ですが、庶民の味も悪くないもんですよ」


 彼はニヤっと笑い、声をかけてくる。そして碌にこっちの返事も聞かずに「予定今度聞きますから空けといてくださいよ」と言って走っていってしまった。


 私はそんな背中をただ目で追っていく。


 心の靄ははれていた。













 さっきの私は、本当に醜かった。


「腹減ったな」と呑気に歩く男を横目に、先程の自分を反省する。


 美しい金色の髪に、透き通るような瞳。クローディーヌ・ランベールは女性の私から見ても美しく、自分への自信など吹き飛ばしてしまいそうだった。


 だから私は、大人らしく抵抗した。彼女に彼を否定させるよう誘導して、私が肯定する。彼女に彼を肯定させたくないから、肯定されてしまったら彼がそっちへ行ってしまうから。そんな風に考えて。


 だが彼はそんなことすら見抜いたのだろうか。彼女の異変に気付いたのか、ふと踵を返し、何かを言いに行った。何を言ったのかはわからないが、その効果の程は、彼女の表情をみればすぐにわかった。


「アルベールはさ、別に仕事があるなら無理しなくてもいいよ」


 私は彼に言う。この言い方も卑怯だ。「そうじゃない」と言わせるための誘導でしかない。


 しかし彼はそんなことすら気にもしなかった。


「まあそうだな。仕事にまで優先はしないよ」


 彼の正直な言葉が胸に刺さる。しかし次の言葉が私を救った。


「だが俺が来たくて来てるから、無理もなにもないな。強いて言うなら少しは自分で払ってくれると懐的には助かるがな」


 彼はそう言って笑う。私はすこしの間、呆然と彼を見ていた。


 彼には敵わない。普段は女性の心の機微なんてまるで分からないくせに。


「ん?どうした……って痛っ」

「うるさい。男が払わなくてどうする」


 とりあえず彼の脛を蹴った。心臓の高鳴りがばれないように。





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