第10話 ドッペルゲンガー 参



「Bringe die Seele dieser Person zu ihrem Korper zuruck Gloria Patri diaboli Cantatio Bringe die Seele ・・・」


草薙さんは静かに眠っているお姉さんの胸にお母さんの形見を乗せて、ドイツ語とラテン語の入り交じった言葉を呟いている。

私には何を言っているのか、さっぱり判らない。

そして、時々薬草水をお姉さんの身体に振りかけている。

何か、昔の映画の悪魔祓いの儀式みたい。

しかし、これは祓っているのでは無いらしい。

むしろ、呼び寄せているのだそうだ。


ここはお姉さんがドッペルゲンガーに遭遇したと言う1年生の子の家。

その家のお姉さんの寝室に来ている。

来ていると言っても、その子のご両親に眠り薬を盛って強引に上がり込んでいるのだが。

眠り薬は草薙さんの指示で1年生の子が両親の夕食に入れたのだ。

草薙さぁん。

これって犯罪じゃないのぉ ?



今日は相談を受けてから3日目の夜。

あれから草薙さんはお父さんとの連絡を取ったみたい。

そして、昨日の夜にやっとお父さんと話す事が出来たらしい。

それで今日の昼休みに私と、相談して来た子に説明をしたのだった。


「それでドッペルゲンガーには色々な種類があるらしいのよ」


「色々な種類、ですか ? 」


「そう。殆どの場合は精神分裂症か多重人格症。つまり自分と同じ顔の幻覚を見た、って事ね」


「ふーん。やっぱり幻覚なんだぁ」


ちょっとホッとしたように言った私に、その子は食い下がった。


「でも、姉は精神を病んでいるような事は無かったし。最近は意識も無いんですよ!」


「うん。その事も父さんに話したら厄介な事になってるかも知れない、って」


「厄介な事、ですか ? 」


その子は不安そうな声で言った。

草薙さんは少し顔を伏せていたが、私達を見てきっぱりと言った。


「生霊って言葉は知ってる ? 幽体離脱とか ? 」


何かテレビのホラー特集で聞いたような言葉だ。


「・・生霊ですか」


あれ ? この子なんか納得してる ?


「ちょっと、あなた。そんな簡単に納得しちゃうの ? 」


そう尋ねる私に、その子は目を伏せながら言った。


「はい。あたしも草薙さんからドッペルゲンガーって言う言葉を聞いてネットで色々と調べましたから」


「そう。ネットではどんな事が書かれていたの ? 」


今度は草薙さんが尋ねた。


「いきりょう。日本では、いきすだま、とも言われている。生きている人間の霊魂が体外に出て自由に動き回る。源氏物語や今昔物語にも、それを題材にしているお話がある。それくらいです」


草薙さんが頷いた。


「そうね。死に瀕した人間の魂が生霊となるっていう伝承は、日本全国に見られるわ。柳田國夫は遠野物語拾遺で傷寒で重体の娘の姿が死の前日に土渕村光岸寺の工事現場に現れた話を挙げてるわ」


「柳田國夫って誰 ? 」


私は自分だけ取り残されてるみたいになったから、慌てて草薙さんに質問した。


「日本の民族学の開拓者であり第一人者よ。そんな事も知らないの ? 」


草薙さんは呆れたように言った。

ふーんだ。

今どきの女子高生で、そんな事知ってる人の方がおかしいわよ!


「あのぉ」


話が脱線しかけてると悟った、1年生の子が口を開いた。


「あぁ、ごめんなさい。無知な人の相手をしてる場合じゃ無かったわね」


うぅ。

やっぱり草薙さんはドSだ。


「一般的には、やはり伝承や怪談の類になってしまうわね。でも、ちゃんとドッペルゲンガーを見た人もいるのよ」


「え!その人は誰ですか ? 」


「アタシの父さん」


「ええぇっ!」


私は素っ頓狂な声を上げた。


「じゃ、じゃあ草薙さんのお父さんも・・」


「バカね」


「へ ? 」


「父さんは知人のドッペルゲンガーを見たのよ。父さん本人のじゃ無いわ」


「はぁ」


私は気が抜けて、へなへなと座り込んだ。


「それで!それで草薙さんのお父さんは何て言ってたんですか!」


1年生の子は悲痛な声を出した。


「落ち着いて」


草薙さんはなだめるように言った。


「父さんの知り合いのドッペルゲンガーを研究してる人の意見によれば」


「そんなものを研究してる人がいるの ? 」


話の腰をおられた草薙さんは私を睨んだ。


「あなたはちょっと黙ってなさい!」


うぅ。

この、ドSめ。


「世界の国際機関には様々な研究をしてる人がいるのよ。それで、その人が言うにはね」


「はい」


「ドッペルゲンガーは実体の無い、もう1人の自分。本人が見た場合に死ぬのは、ドッペルゲンガーが肉体を手に入れる為。同一人物が2人存在するのは現世の因果律に反する事になる。だから本人を殺すのよ」


「そんな!じゃあ、お姉ちゃんは ? 」


「このまま放っておけば近い内に亡くなるでしょうね。それをさせない為にはお姉さんが存命中に、ドッペルゲンガーをお姉さんの肉体に戻すのよ」


「そんな事が可能なんですか!」


「殆どは失敗だけど、成功例もあるみたいよ。ドッペルゲンガーを呼び寄せられたらだけど」


「それじゃ、お姉ちゃんが助かる可能性も ? 」


「ゼロでは無いわ。アタシの力で出来るかどうかは判らないけど」


「お願いします!」


その子は思いっきり頭を下げた。

すると草薙さんはその子に歩み寄って肩に手をかけた。


「お姉さんを助けられるかどうかは、あなた次第よ」


「え ? 」


その子はビックリして顔を上げた。


「お姉さんを助けたい、って言う想い。精神力が重要になるの。もちろんアタシ達もそう願うけど。1番、血縁が強いあなたが重要になるの。危険な事になるかも知れないけど、あなたにその覚悟はある ? 」


「・・・覚悟」


その子は少し逡巡したが、すぐに答えた。


「はい!あります!」


「アタシ達は手助けするだけ。本当にお姉さんを救うのはあなたなの」


「はい!あたしがお姉ちゃんを救います!」


え ?

草薙さん、アタシ達って言ったよね ?


「私も一緒に行って良いのね ? 」


「当たり前でしょ」


草薙さんは「何を言っている」と言う目で見てる。


「何の為に修行してんのよ。あなたが一緒だと、ほーんの少しだけどアタシの力も増幅されるから」


そう言って草薙さんは照れたようにソッポを向いた。

うぅ。

草薙さん、カワイイ。

カワイイすぎるよぉ。


「それじゃ、今夜。あなたの家に行くわ」


「今夜ですか ? あの、お父さんやお母さんには何て ? 」


「説明しても理解しては貰えないだろうから、これで」


そう言って草薙さんはネイルボトルを手渡した。

何やら液体が入ってる。


「即効性の睡眠薬。これで、ご両親を眠らせて。眠ったらアタシのスマホに連絡して」


「はい。でも・・」


「大丈夫。ただ眠るだけ。副作用とかの害はないから」


「判りました。それでは学校が終わったらあたしの家にお2人をご案内します」


そう言って彼女は駆けて行った。




「ホントにお姉さんを助けられるの ? 」


私はぽそりと草薙さんに尋ねた。


「あの子の瞳を見た ? あの子の精神力はとても強い。たぶん本人が思ってる以上に」


「だけど、ドッペルゲンガーを呼び寄せるなんて可能なの ? 」


「やり方は父さんに教えて貰った。父さんが言うには今のアタシの草薙の剣の力なら何とかなるかもって。それに今回のドッペルゲンガーは肉体を持ちたいみたいだから、お姉さんの近くに居るんじゃないかって」


「判った。私も頑張る」


「あまり当てにはしないけど、期待はしてるわ」


ホントに草薙さんは素直じゃないなぁ。

そんな事を思いながら校舎に戻って行った。




放課後。

1年生の子と一緒に、その子の家に向かった。

例の如く、草薙さんは自分のマンションに寄ってボストンバックに何やら詰めて持って来た。

その子の家の前で別れて、私と草薙さんは近くの喫茶店で時間を潰した。

40分後に連絡があった。

さぁ、これからが勝負だ。






草薙さんのドッペルゲンガーを呼び寄せる儀式は1時間くらい続いた。

私と1年生の子はお姉さんのベッドを挟んで座り、頭を下げて祈り続けた。


すると。


私の身体がピリピリするような感覚が走った。

何かが、この寝室に近づいているような。

私が顔を上げるとベッドの向こうの子も顔を上げていた。

彼女も感じているみたい。


「草薙さん!」


私が声をかけると草薙さんも頷いた。

そして、お姉さんの上に置いてあったお母さんの形見を掴んだ。


「草薙の剣。この者の離れし魂をその身に戻せ」


パタン


寝室の窓が開け放たれた。

風と一緒に白いものが入って来た。

それは不定形な気体のようだったけど徐々に人の形になっていった。


「お姉ちゃん!」


1年生の子が呼びかけた。

あの子には判ったのだろう。


「強く念じて!ドッペルゲンガーがお姉さんの身体に戻るように!」


草薙さんのお母さんの形見を持つ両手が激しく発光していた。


「ぐおぉぉぉ」


人では無い声が頭の中に響いた。

ドッペルゲンガーが苦しんでいる。


もう、すこしだ。


しかし、ドッペルゲンガーは人の形を徐々に崩し始めた。

草薙さんの両手の発光がさっきよりも弱くなっている。


「負けるかぁぁぁ!」


草薙さんが叫んだけど、彼女の両手が震えている。

草薙さんの限界が近い。

その時だった。


「お姉ちゃん!」


あの子がドッペルゲンガーに飛びついた。

そして、その両手はしっかりとドッペルゲンガーを捕まえている。


「草薙さん!」


私は草薙さんに駆け寄ると、しっかりと彼女を抱きしめた。

私の中の何かが草薙さんに流れ込んで行くのを感じた。


「うおおぉぉぉ!」


草薙さんの両手が最初よりも激しく発光した。


「ドッペルゲンガー!お姉ちゃんの身体に戻ってぇ!」


彼女の叫び声が響く。


そして。


いきなり眠っていたお姉さんが上半身を起こした。

両目は閉じたままだ。

そのまま口を大きく開いた。


「ぎゃあぁぁぁ!」


人では無い声が頭の中に響いてドッペルゲンガーはお姉さんの口に吸い込まれていった。


「草薙の剣。そいつをその者の身体に永遠に封印せよ!」


草薙さんが叫ぶとお姉さんの身体がぼうっと光った。

お姉さんは身体を元のように倒すと、すやすやとした寝息を立て始めた。




「・・終わったの ? 」


私は呆然としていた。


「ええ。ドッペルゲンガーは元の肉体に戻ったわ。封印をしたから2度とドッペルゲンガーは現れない」


そう言うと草薙さんは身体を横たえた。


「草薙さん!」


「アタシは大丈夫。それより、あの子を診てあげて」


私はあの子に駆け寄った。


「大丈夫 ? 」


「・・・はい。お姉ちゃんは ? 」


「無事よ。ドッペルゲンガーはお姉さんの身体に戻ったわ」


「・・良かった。ありがとうございました」


「なに言ってるの。あなたが救ったのよ」


私がそう言うと彼女はニッコリと微笑んで目を閉じて寝息を立て始めた。


「草薙さん。あの子は大丈夫よ。草薙さん ? 」


草薙さんもすやすやと寝息を立てていた。


「もう、皆寝ちゃって!私はどーすれば良いのよ!」



窓のカーテンが揺れていた。

今夜も月が出ていた。

月の光りが優しくこの現世を照らしていた。




第4章 終わり



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