【最終話・嫁入り】


      *


 元和5年(1619年)、2月。伊達政宗だてまさむねの第二息女・牟宇むう姫は臥牛がぎゅう城主・石川宗昭いしかわむねあきに輿入れした。

 婚礼は仙台城下にて、盛大に催された。

 政宗は、婚礼の間石川屋敷に泊まった後、牟宇姫の出立を見送ったという微笑ましい逸話は、後世に語り継がれることになる。

 三々九度の盃を交わしながら、牟宇姫は一月ほど前、五郎八いろは姫とおやまかたと語らったことを思い出した。


   ◇◆◇


 久方ぶりに会う五郎八姫に対して、思うところしかなかった牟宇姫である。しかし五郎八姫もお山の方も、なにもなかったように振る舞っていた。

「今日はお祝いに参った。そやさかい、こないだのことは水に流して楽しゅうお話ししまひょ」

 少し前までなら、素直に姉の言葉を喜べたのかもしれない。しかし、都の人々は、本音を言葉の中に包む。紐を解くなら、「何もなかったことにしろ」という意味なのだろうか。牟宇姫は少しだけ緊張しながら、五郎八姫の言葉に頷いた。お山の方は姉妹の語らいを微笑みながら見守っていた。

民部みんぶ殿は、きっとこれから、もっともっと立派になるやろう。牟宇殿を託すのに相応しいお方とお見受けす。どうか、角田に行っても健やかに……仙台にいらしたら、必ず顔を見せとくれやっしゃ」

 視界が滲んだ。五郎八姫も、かつて母からかけられた言葉なのだろうか。

「牟宇姫。あんたはきっとどこまでも羽ばたける人どす。夫婦鶴めおとづるのように、民部殿とともに、寄り添いながら飛び続けとおくれやす。その名のとおりに」

「その名のとおり……?」

 牟宇姫は五郎八姫の言葉に首を傾げた。五郎八姫は目を見開くと、牟宇姫の後ろにいたお山の方に目をやった。

「あんた牟宇姫に由来を教えてへんかったん?」

「えぇっと」牟宇姫は口籠った。「わたくしの名の由来は、南蛮の言葉で『ふうわりと』という意味だと……。赤子のわたくしの頬が餅のようだったゆえ、と聞いております。変な名だと」

「ちょい」

 五郎八姫の目が据わる。お山の方は悪びれた様子もなく、すまし顔だった。

「聞かれませんでしたので。御屋形様の名付けの才に関しては、五郎八様もご存じでしょう?」

「そやさかいってそんなんばっかり教える必要はあらへんやろ!」

 五郎八姫とお山の方が言い合っているのを牟宇姫は見つめる。まるで姉妹のような――少女のようなかけ合いであった。

(……わたくしの知る五郎八様は、お淑やかで聡明な人で……。母上はしっかり者で……)

 一方で五郎八姫は、冷徹に物事を見極める目を持つ。牟宇姫に見せる顔とは違う、伊達家の女としての顔。お山の方も口うるさい一方で、心から牟宇姫を案じてくれていることは分かっていた。牟宇姫が仇討ちに行くと決めた夜、流してくれた涙の輝きを忘れることはない。

 すみも、そうだったのかもしれない。きっと真実を話され、協力しようと誓ったとしても、牟宇姫はどこかで綻びを生じさせてしまう。やはり、ああせざるを得なかったのだ。すみが「柊」として牟宇姫を葬ろうと隙を狙っていたのも本当で、五郎八姫に命ぜられるがままに仙台に来たのも真実。そして、すべてを忘れてしまいたいと、牟宇姫と角田に行きたいと願ってくれたのも本当のことなのだ。

 人には、表と裏の顔があるのだと、此度の一件で思っていたが――違うのかもしれない、と牟宇姫は気がついた。五郎八姫が牟宇姫に「姉」としての顔を見せ、他の者には「姫」としての顔を見せるように、牟宇姫もまた、自分が知らないもう一つの顔があるのかもしれない。そして、それらは表だ裏だと決めつけるものではなく、どれもひとりの人なのだ。

 五郎八姫にせよ、お山の方にせよ、心から信頼できる相手かは、まだ分からない。しかし途切れかけた糸は、新しく繋がるかもしれないし――信頼とは違う形の関係性を築いていくことになるのかもしれなかった。すくなくとも、五郎八姫に毒を盛られたと信じた時でさえ、牟宇姫は五郎八姫をどこかで慕っていたのだ。

(……人の繋がりなんて――そんなものでいいのであろう? すみ――)

 今も心にいてくれる乳母に、呼びかける。きっとすみなら「姫様のお好きに」と皮肉交じりの笑顔で同意してくれるはずだった。

「牟宇姫」

 お山の方は牟宇姫の掌を取ると、指先で「牟宇」と書いた。

「『牟』という字には、大きい、という意味がある。そして『宇』とは、空のことじゃ。つまり、大空姫、ということよ」

「大空……」

「そなたが生まれた日は、雲一つない晴天の日であった。お父上はその空を大層お気に召され、そなたに名をつけられたのです」


   ◇◆◇


 宗昭が一の盃を傾ける光景を、牟宇姫は火照るような想いで見つめた。

 宗昭は、牟宇姫の名の意味を知っていたのだろうか。大空の中を、羽ばたく鶴を贈ったのは偶然か、必然か。意味を考えかけて、頭を振る。そんなことはどうでもいい。無理に理由や答えを探す必要などはないのであった。

 すみが牟宇姫に盃に、三度酒を注ぐ。甘い液体を、三度に分けて体の中に流し込む。牟宇姫が飲み干すと、宗敬がもう一度同じ作法を繰り返した。

(わたくしに掴めるものは、この掌に乗る程度――)

 宗昭とて、特段男として、手が大きいというわけではない。それでも宗昭も牟宇姫も、これからもっと大人になっていく。2人で力を合わせれば、1人でよりも多くのものを守れる気がした。



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天翔姫 水城 真以 @mizukichi1565

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