第25話 第18局

 金曜日、深夜、大学の休憩スペース。いつものように師匠と将棋を指す。


 駒を並び終えると、師匠はおもむろに鞄から新聞記事を取り出し、僕に渡してきた。そこには、このような見出しが書かれていた。


『プロ棋士、ソフト指し疑惑』


 この記事なら、僕も以前読んだことがあった。あるプロ棋士が、将棋解析ソフトを使用して、対局を有利に進めようとしていたのではないかと疑われていたのだ。記事には、疑惑のかけられたプロ棋士に対する否定的な言葉がつづられており、今後も調査をしていくという言葉で締めくくられていた。


「師匠、これは?」


 師匠が昔の新聞記事を持ってくるなど初めてのことだ。いつもの気まぐれなのか、それとも何らかの理由があるのか。


「・・・少し昔の新聞を見る機会があってね。そこで目についたから、何となく印刷して持ってきたのさ。」


 どうやら、前者の理由が正解のようだ。師匠の気まぐれに付き合わされるのはいつものことだ。抵抗心が出ていたのはすでに昔の話。いや、むしろ、今の自分は、心地よささえ感じている。


「・・・ソフト指しをする人は、どんな気持ちでやっているんだろうね。」


 師匠はまっすぐに僕を見つめる。たわいもない話をするいつもとは違い、何か重みのある空気を感じた。


「・・・そうですね。やっぱり、勝ちたいという気持ちが大きいとは思うんですけど、・・・少し、罪悪感もあると思うんです。やってはいけないのに、みたいな。」


 今まで、ソフト指しをする人の心情など考えたことがない。だからこそ、思ったことを素直に口に出した。今までの経験上、変に取り繕った答えを言っても、師匠には見透かされてしまう。


 僕の答えを聞いて、師匠はふふっと笑った。


「・・・そんなに変な答えでしたか。」


 師匠がなぜ笑ったのかが気になってしまい、思わず問いかける。そんな僕を見て、師匠はゆっくりと首を振った。


「いや、違うよ。ただ・・・・・・優しいね、君は。」


 その言葉に、僕の顔が紅潮するのが分かる。師匠の顔には、いつものような穏やかさに加え、優しい笑みが浮かんでいた。師匠の整った顔立ちに、その笑みはとてもよく似合っていた。


 ただ、次の瞬間、師匠の顔に陰りが映った。


「人間、君みたいに優しい人ばかりでもないよ。勝つためには何でもすることがいいことだと思う人もいるし、それに・・・・・・、」


 師匠の言葉には、確かな重さがあって、そして、苦しさがあった。




「・・・・・・相手を傷つけることが正当だと思う人も、いるんだよ。」

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