第44話 飛竜を討つ

「――うお!?」


 不運にも実力者の中に混ざってしまった訓練生の一人の少女……、金髪を後ろで結び、横顔が綺麗に整っている。彼女はみゃー子のかかと落としを咄嗟に振り上げた腕で防ぐ。


 思わず女の子らしくない声を上げてしまったことに悔み、歯噛みする。しかしそれは全体の三分の一くらいの悔しさの理由であり、他の理由を挙げれば、思ったよりも早くばれた、という意味での歯噛みでもあった。


 みゃー子に、という意味もあり、時間が早いという意味でもあり。


 彼女……ではなく、彼はみゃー子の足を握り、

 遠心力を利用してステージの壁方向へ思い切り投げつけた。


 壁にはびっしりと、一メートルほどの鋭利な棘が埋まっている。

 ステージが岩場になった時に、同じく壁も変化していたのだ。

 棘があるのは、場外へ落ちそうになった時、壁を利用して回避することを防ぐためである。


 同じく、場外もステージ変化の時、壁際十メートルの間に、小さな溝ができたのだ。

 底面は三メートルほど、下にある。落ちても痛いくらいで、致命傷にはならない。


 場外へ落とされると、戦闘不能状態になるため、命火はなにも訓練生の大半を殺害、もしくは再起不能にまで追い詰めなくとも良かったのだ。部位を少し撃つことは仕方ないにしても、バランスを崩させて、場外へ落とすことも選択肢の中にはあったはず。


 しかし、命火はそれをしなかった。


 進んで殺害した。それが一番、手間取らない気持ちも分かるが。


 とにかく、ステージ上のギミックのため、空中で身動きが取れないみゃー子は、このまま場外に落ち、戦いから離脱するはずだったが――、

 壁に埋められている棘に、構わずみゃー子は着地した。


 足の甲から棘が飛び出す。

 腕にも、背中にも、棘が浅くだが、しかし、しっかりと刺さっているはず。


 女装をしていた羅々宮は、……うわぁ、と痛みを想像して青い顔をする。


 しかし、みゃー子の方はあっけらかんと、笑顔で流血を気にしない。

 壁を蹴り、棘に血を残し、怪我など構わず、羅々宮に突っ込んでくる。


 突撃を避けた羅々宮は、だが今の衝撃で足場が崩れ、羅々宮はみゃー子と共に、下層の段差一つ下へ落ちてしまう。


 背中を打って咳き込む羅々宮に、みゃー子が覆い被さった。なんとも魅力的な体勢ではあったが、彼女が手に拳銃を握っていたので、ぶち壊しだった。純粋な戦闘を好む者同士、船の中では気が合ったが、なにも四六時中、その思考で埋まっているわけではない。


 少なくとも、羅々宮は。


(ったく、よぉ! こちとら、あの教官ちゃんと合流してえってのに!)


 命火とガチンコ勝負をしてもいいが、今のままでは間違いなくやられる。相手との戦力差が分からない羅々宮ではない。格上の相手に挑むこともあるが、なにも我武者羅に、無謀な挑戦というわけではない。損得を考えた上で、必要とあれば挑む。


 だが今回は、損をする場面だ。だから命火を退くためには、更紗と協力をすることが不可欠である。今もまだ生きていることは確認済みだ。どこかで身を隠しているはずだが、それを探すのにも骨が折れるというのに、それに加えて、みゃー子の戯れ……、頭が痛くなる。


 大型犬とじゃれ合っている気分だ。本気の殺意がない分、こちらも相手を徹底的に蔑ろにはできない。わりと絶体絶命の危機とも言えなくはないが、この状態で手加減をしなければならない……、まったく、やりづらい。


「――もう、いいや」


 難しいことを考えるのはやめて、思い切りみゃー子の腹を蹴り飛ばした。物みたいに放物線を描いて飛んでいったみゃー子は、岩場に体を強く打ち付けた。それでも拳銃は離さず、意識も手放さない。鎖がはずれた猛獣のように、欲望に正直だった。


 戦闘欲という、迷惑極まりないものだ。


「ちっ、いいぜ、こいよ。遊んでやるぜ――わんコロ」


「む」


 むすっとしたみゃー子は、猫のように肉球を見せる仕草をした。


「みゃー子だよ」


「みゃー子もわん子もあんまり変わらねえじゃねえか。気にすんなよ」


「人のなまえを間違えるなんて、さいてーだよ」


「これは愛称ってやつだ。親しみを込めてんだなー、これが」


 そうなんだー、と驚いた顔をしたので、羅々宮は、そうだ、と押し切ることにした。

 というか、名前など、どうでもいい。問題は、どうしたら彼女を退けるか、だ。


 戦って勝つにも、時間と体力が削られる。あまり、したくはない。説得をするにしても、みゃー子の目が輝いているので、望みは薄い。

 さて、どうするか――と思考を働かせている時だった。


 ばたり、と。みゃー子が倒れた。


「――は?」


 慌てて駆け寄り、みゃー子の体を抱き抱える。軽い。いや、元からなので関係ない。もしかしたら一度、胃の中のものを全て吐き出したのかも。

 そしたら、こうして感覚で分かるものなのかもしれない。


「おい、いきなり倒れて、どうしたんだ!?」


 もしかして、既に命火の襲撃が……、


「あたま、痛い」


 みゃー子はどこを見ているのか分からないくらい、黒目が左右に動く。


「体、熱い。汗、たくさん出る。でも、寒い」


「さっきの風邪をぶり返したか」


 さすがに短時間で治るはずもなく、さっきはアドレナリンが効いていたため、一時的に元気が戻っただけだった。疲れが取り切れていなかったのが、ここにきて新たに蓄積された疲労と共に爆発した。それが風邪として症状に出たのだろう。


「はぁ、お前は本当に世話を焼かすよな。良かったな、場外っていうルールがあって。

 もしも場外がなければ、戦闘不能か、殺すしかなかったし。

 だって勝利条件が敗北条件、そのまんまなんだもんよー。口頭での棄権宣言は開始したらできないって言われたしさ。

 やめたくなったら場外に落ちればいいってのは、主催者側としても妥協点なんだろう」


 飛竜にしては甘いところもある、と羅々宮は思う。一度、勝負を始めたら、絶対に逃げることができないシステムを組み上げると思っていたが。


 少しは余裕を持たせてあげないと、訓練生が壊れると思っての配慮なのだろうか。

 しかしそういう配慮があるなら、やり方に異常があると自覚しているようなものだったが。


「ま、どうせ他人の領家だ。口を出すことはしねえよ」


 言いながら、羅々宮はみゃー子を場外へ落とそうとした。しかし、いくら戦駒であり、彼女が頑丈だとしても、病人を落とすことに、罪悪感と、人として薄情過ぎる、という常識が自分自身を責め立てる。


 しかし、この場に置いておくのも、それはそれで危険過ぎる。

 常にみゃー子を気にかけることができるほど、羅々宮も余裕があるわけではないのだ。


 余裕など、きっとできない。


 だから場外に落とすのが、考えてみれば一番安全だ。落下させる最初だけは痛みを伴い、絵的に虐待のようにも見えるが、選択肢の中で一番、正しいおこないのはずだ。


 だが、それでも羅々宮はみゃー子を岩場の隅に、横にさせた。できるだけ、どこからも死角になる位置で。落下させることが安全に繋がるのだとしても、なんだか、見切りをつけているようで、心が許さなかった。


 危険を承知でこの場に置いていくため、

 だから無責任であり、薄情な選択とも言えるのだが……、


「悪いな」


 だから謝る。


「助けにはこれねえと思うけど、ゆっくりと休んでてくれや」


「はーい」


 返事があったことに驚いた羅々宮だが、彼女はぐっすりと眠っている。


 はなちょうちんを作った、古臭い反応だ。理解しているのか、偶然の寝言なのか……、

 とりあえず、羅々宮は彼女の言葉を信じて、その場を離れる。


 用事を済ませて、早く戻ろう。


 そう意気込む羅々宮は、頂上に座る天才へ、視線を岩場越しに向ける。



「他人の領家に口出しはしねえけどな……、家族を一人、持っていくのは、見過ごせねえよ」


 羅々宮はナイフを取り出し、岩場に突き刺す。そして、引き裂きながら、一刀――両断。


 横に一線、切り口が入った岩場は、ずずず、とずれ、崩れる。

 一つが崩れれば、あとは積まれたコンテナのように、支えを失った場所から崩れていく。

 土砂崩れのような災害規模の攻撃――。


 それに巻き込まれたのは、上層にはいない者たち。だから結果、明花命火だけが被害を被っていない。しかし、崩れたことによって砂煙が舞い、彼女の視界を一時的に潰す。


 その隙に。


 みゃー子を抜いた、他のメンバーを見つけられれば、上出来だ。



「幸助!」


 砂埃の中、視界が不明瞭なまま叫んだ羅々宮の前に、人影が一つ。

 それは動きを止め、振り向いた。羅々宮の固有名詞に反応したことになる。つまり、本人だ。


「まずはお前を回収し――、……あ?」


「なっ、い、いきなり腕を掴まないでくれるかしら!?」


 手首をがっしりと掴んだ羅々宮。だが明瞭になった視界の先にいたのは、幸助ではなく、木藤更紗だった。彼女は苛立った表情で抱いている狙撃用拳銃の銃身を、羅々宮の額へ向けた。


 引き金を問答無用で引かないところを見ると、まだ交渉の余地があるらしい。

 いや、交渉ではない。天才を討つためには、手を組まなければこちらがやられる。


 それは更紗だって分かっているはずだ。


 だからシンプルに羅々宮は告げる。

 脅しでもお願いでもなく、これは合理的な選択だ。


「手を組むぞ」

「……ええ、分かっているわよ」


 視線だけで互いの腹の内を理解した二人は、岩場に隠れる。


 彼と彼女が一緒にいた時間は僅か一分にも満たない。しかも内容はほぼ雑談であり、作戦内容を交わしたのは十秒もかからない、一言同士のぶつけ合い。


 短時間の内に撃破までのシナリオを組んだ二人は、自分のタイミングで飛び出した。


 状況を見て、判断する。無謀な助け合いはいらない。必要であれば切り捨てる。

 切り捨てることで状況が好転するなら、それが理想である。


 更紗は岩場の隅に身を隠し、羅々宮は岩場を軽快に登り始める。

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