第19話 オリエンテーション

「よっ、幸助」


 入学式から二日後のことだった。


 昼休み、先輩のマキナが朝早くに作ってくれたお弁当を食べようとした幸助は、飲み物がないことに気づき、教室を出た。まだ学校生活が始まり、二日しか経っていない。

 授業も少なく、オリエンテーションの授業が多かった。


 学内探索回数がまだまだの幸助は、自動販売機を探すのも一苦労だった。購買にいけば確実に目的のものは店頭だろうと自販機だろうと買えるのだが、二年生や三年生の団子状の中を突っ切ってまで手に入れたいものではない。


 少し大回りでも安全で穏便に飲み物を手に入れたい幸助は、興味本位で校舎から出る。さすがに自分の教室までは戻れるだろうと思ったが、設置された花壇が進路を度々と変えてしまい、しかも校舎は四つに分けられ、不規則に建っているために、あっという間に迷った。


 芽が出ていない花壇ばかりが周りにある。校舎よりも高い大木が乱立して立っていた。


 葉と葉の隙間から漏れてくる日光の光が、幸助の一部分を照らす。春の風が吹く、あたたかく、涼しい。道中にあるベンチに寝転べば、一瞬で眠れるほどに周りの状況は整えられていた。


 昼食を抜いて寝てもいいと思えるほど、魅力的な場面だが、幸助が誘惑に負けそうなところでそう声がかかったのだ。声の主は寮で嫌というほどに聞いているので、間違えるはずもない。


 猿山荘・201号室――羅々宮恵太だ。


 しかし相手が特定できても位置までは分からなかった。きょろきょろと周りを探すが、先輩の姿はどこにも見当たらない。すると頭のてっぺんに、こつんとなにかが落ちてくる。


「いたっ」と偶然にもキャッチすると、梅の種だった。

 そういえば嬉々としてマキナ先輩がお弁当に梅を使っていたな、と思い出し、真上を見る。


 大木の枝の上でしゃがみ、にしし、と笑っている羅々宮の姿があった。


「……羅々宮先輩、いつもそんなところで食べているんですか?」

「まあな。昨日はあっちだし、一昨日は向こうではあるけど」


 指を差してくれているが、どこを見ても大木の枝を示している。細かい座標が変わっても大木の上というのは変わらないらしい。


 校内で会うといつも幸助よりも高い位置にいる。出会ったタイミングもあるのだろうが、高い場所が好きなのだろう。なんとかと煙はその位置が好きだと言うが、彼は少なくとも伏字になっているものほどの成績ではない。


 意外だが、羅々宮は素行以外、トップ争いに混ざれるほどの高い成績を持っている。真逆で、最下位争いの中心地点でつい最近留年を免れたばかりのマキナは、年中、危険な状態だった。


 態度や生活を見れば、マキナの方が優等生に見えるのだが……、

 実際は見てみないと分からないらしい。


 ちなみに二人の良い部分を掛け合わせたのが、無口な先輩、武蔵野皆人だ。無口でコミュニケーション能力が1なのが致命的ではあるが(ゼロでないのは炎花がいるためだ)。


「にしても、ここは滅多に人がこないところだぜ? 校内探索を自主的にやってんのか? 

 偉いねえ、お前は見た目の通りに真面目だな」


「いや、そういうわけじゃ……、単に迷っちゃっただけですよ」


「ふーん」と相槌を打つ羅々宮はぽんっと手を叩く。


「ならこっちにこい。今日はタイミングが良い、お前にもいいもんを見せてやる」


 大木の枝の上から幸助に向かって手招きをしてくれているが、そこまで到達するのは難しい。

 枝の位置は一番下だとは言え、三階ほどの高さがある。


 ロッククライミングのように登るには出っ張りがない。枝に引っ掛け、登るためのロープもない。マキナに頼めばすぐに出してくれそうだが、彼女を探す手間に時間がかかる。

 幸助は先輩のせっかくの誘いを断るしかなかった。


「先輩、僕には無理ですよ。木登りなんて、小さい頃にだってしたことないですし」


「オレだって小さい頃からやってたわけじゃねえよ。それに、領家としての力でもないし。

 ようは努力次第だろ。ナイフを使ってるオレを見たら分かりそうなもんだがな。

 って、これは別に言ってねえか。……よっと」


 すると、羅々宮が枝から飛び降りる。幸助の近くに着地。


 軽々と幸助を持ち上げる。幸助の顔は後ろに、お腹を自分の肩に乗せ、自分の腕を幸助の足の膝の裏にセットする。人一人を持ち上げた羅々宮は、その状態で大木を登り始めた。


 命綱なし、手と足の指だけで、バランスを取っている。

 あとは大胆な思い切りの良さとスピードだ。


 地面が一気に遠ざかったと思ったら、止まった。細い枝の上でいきなり体を離された時は落っこちるかと思った。なんとかバランスを取り、ずれた黒ぶちメガネを直す幸助。


「――び、びっくりしましたよ!」

「言葉のわりに表情は楽しんでそうだな。楽しいなら良かったけどよ」


 絶叫マシンに似たような感覚だった。胃がすとん、と落ちたような。くせになりそうだ。


「よし、こっちだ」

「え、枝の上を渡っていくんですか!?」


「折れることはねえから安心しろって。それに、落ちても怪我するぐらいで死ぬことはねえって。まあ、めちゃくちゃ痛いと思うけどな」


「これから渡る人間に怖いことを言わないでくださいよ!」


 オレらの世界の痛みに比べたら大したことねえよ、と羅々宮は言うが、幸助の体験はどっちの世界だろうが耐性がないのだ。言葉だけでは恐怖心は収まらない。


 恐る恐る枝から枝へ渡る幸助へ、羅々宮が問いかける。


「でも、このリスクを背負う分の見返りはあるぜ。お前だって男なんだから見てえだろ?」


「?」と幸助が首を傾げた。


「お前、あのメガネっ娘と同じクラスだろ?」


 はい、と幸助が頷く。


「なんで今日は一緒に昼食を食べてないんだ?」

「いや、一緒に食べたりはしませんけど……」


 入学式の次の日は、昼食前に帰ることができた。今日は、女子は順番に別の部屋に移動して、どうやら授業で使う服のサイズを測っているらしい。その影響で昼食はばらばらになってしまう。そのため、幸助は命火と一緒に食べたくとも食べられなかったのだ。


「男子は午前中にぱぱっと終わっちゃいましたし。男女で、そりゃ身体的な違いはありますけど、サイズを測るだけで時間ってそんなにかかるんですか?」


「さあな。男のオレには分からねえ質問だな」


 ですよね、と苦笑いをする幸助。


「……なんで明花さんの話になったんでしたっけ?」


「ああ、あいつ、明花って言うのか。まだ覚えてねえんだよなあ……」


 一瞬で話がずれたが、羅々宮が自分で軌道修正をする。


「ま、いけば分かるさ。躊躇いがあるならちょっとネタ晴らしをするか。

 幸助、メガネっ娘の普段、見れないような顔、見たいだろ?」


「……見たいです!」


 道徳的なことを考えた結果、元気な肯定だった。

 真面目そうな顔をして、欲求には正直な性格なのだ。


「よし! お前はノリが良い。

 さすが貴重な人材だな。お前とは残りの二年間、楽しくやれそうだ」


 先輩からの嬉しい言葉を、幸助はあまり聞いていない。

 重要なところを隠す羅々宮の言う、命火の普段、見せないような表情を見るために、なにをするのか考えていた。


 結局、移動中も答えは見つけられず、ぶっつけ本番で理解するしかなかった。


 運動神経があまりよくない幸助でも、枝と枝の上を移動するのにつまずくことはなかった。

 羅々宮の後ろをついていっただけなのだが、それが功を奏したのかもしれない。

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