189 雷山公、あるいは
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態度が違いすぎる、と言われたことがある。
奇しくもその言葉をヴニェク・スーに投げかけたのは、このたびの変事の首謀者であり、ついに滅んだというあのドドだった。
同じ地方を拠点とする神同士、ヴニェクと彼の付き合いはそこそこ永い。
ちなみに齢ではヴニェクのほうが少し上で、クシエリスルが成立するよりも何百年か前からの間柄だ。
ドドは当時から乱暴者で有名だったので、周りの神や精霊たちから恐れられて遠巻きにされていた。
平気で彼の後ろ頭を小突けたのはヴニェクくらいだった。
彼がどこかで暴れたと耳にするたびに、ヴニェクはその横っ面を叩きに行っていた。
いっそ何かの折に殺してしまっていたほうがよかったのかもしれない、と今さら考えている。
そうすれば現代に今回のような変事が起こらずに済んだのかと思うと尚更に。
けれどそのころのヴニェクは、ただドドを引っ叩いて叱るだけだった。
もともと資源や作物が豊かな南部にあって、わざわざ南東まで勢力を伸ばすつもりはなかったし、そこでそれなりに頭角を表わしていたのがドドだ。
彼が落ち着いてそちらを治めてくれるほうがヴニェクにとっては都合がよかった。
そんな時代、精霊から神に格上げされたばかりのころのドドとのやりとりを、なぜかヴニェクはぼんやりと思い出していた。
『おめえ、己とヌダ・アフラムシカとで態度が違いすぎやせんか?』
いつものように近場の女精霊を追い掛け回して大層困らせたと聞きつけ、全力で背中から蹴り飛ばしてやったときのことだ。
蹴ったところを痛そうにさすりながらドドが言った。
『同じだったらおかしいだろう。アフラムシカはおまえほど愚かじゃない』
『あーそうですか、そりゃすんませんでした』
『少しは反省しろバカ者。手当たり次第に女を漁るな。
まったく、アフラムシカどころか大陸じゅう探したっておまえより手癖の悪い神はいないぞ』
『そんだけ男気が有り余ってんのよ。なんならおめえ、いっぺん相手してみるかい?』
『なんだ貴様、死にたいならはっきりそう言え』
ヴニェクの逆鱗に触れたドドは思い切り吹き飛ばされる羽目になったが、それもいつものことだった。
女神には大きく分けて二種類いるとヴニェクは考えている。
それは力が弱いうちに誰かに手篭めにされる者と、元からある程度力があって自衛できる者だ。
幸いにしてヴニェクは後者であり、これまで誰にもこの身を許したことはなかったし、これからもないと断言できる。
仮に自分の意思で誰かに委ねてみようと思うことがあったとしても、その相手がドドなどである可能性は微塵もないだろう。
少なくともドドがちゃらんぽらんな性の権化であるうちは。
数十メートルほど転がって適当な岩に激突したドドは、その岩が派手に損壊したわりに大した怪我もなく、またあちこちさすりながら起き上がる。
まったく無駄に頑丈だ。
もう少し強めに頭あたりを打っておけば、多少は思考回路がまともなものになったかもしれないとヴニェクは思った。
『っとにかわいげってモンがねえなァ。……アフラムシカにゃ、恋する乙女みてえな面ァするくせによ』
つまらなそうなドドの呟きが、ヴニェクの神経をまたしても逆撫でした。
『さっきからなんなんだ!? だいたい、わたしがいつそんな顔をした』
『しとるだろ毎回』
『おいドド! 貴様いい加減に──』
再び振り上げられたヴニェクの翼を、伸びてきた長い腕が押し
珍しくドドもかなり不機嫌なようすだった。
ヴニェクは振り払おうとしたけれど、ドドもこれで腕力だけは相当強く育ってしまっていたので、すでにヴニェクの意思だけでは押し返せなくなってしまっている。
拮抗したまま、ドドが続けた。
『真面目な話よ、アフラムシカのどこがいいんだ?
おめえだけじゃねえ、ここいらの女神はみんなあいつに入れあげとるよな。いや女神だけじゃなく、野郎でもあいつのことだきゃァ認めてるってえ奴が、何柱もいらァ。
なァんであいつは誰からも好かれるんだよ?』
あまりにも真剣な表情でそう言うので、ヴニェクは毒気を抜かれてしまった。
何よりドドがこんな顔をすることがあると知らなかった。
何も考えていない脳筋の単純バカだとばかり思っていたのに、そのときドドが見せたのは、深い苦悩と思案に満ちた顔だったのだ。
ただ、言っている内容についてはどうしようもなかった。
わからないほうがどうかしているとヴニェクですら思う。
アフラムシカは、他の神とはあらゆる意味で一線を画した存在だ。
まず何より強い。
彼は世界的に見ても古い神だが、永く生きているというのはそれだけでもその力の強さを証明している。
幾度となく繰り返された乱世をそのたびに生き抜いてきたということだからだ。
ただ、強いだけの神ならいくらでもいる。
アフラムシカが人望厚い最大の理由はその性格にある。
謙虚というのか、誠実というのか。
騙し騙されるのが当然のこの大陸にあって、彼がそのような駆け引きを用いたという話はほとんど聞かない。
アフラムシカはつねに真っ向から相手の話を聞き、無駄な力を使わずに対話を以て和平の道を探るのだ。
周り一帯を捻じ伏せるだけの力を持ちながら、腕ずくで何かを解決することは決してない。
彼の前ではどんなに弱く小さな生きものであっても発言が許される。
また、彼は礼節も弁えている。
自分より古い神はもちろん、ほぼ同時期に成立したルーディーンなどの他の地方の神々にも敬意を払うし、それが口先や上っ面だけのものでないと誰が見てもわかる。
アフラムシカが尊敬や信頼を集めているのは、そうした生きかたを数千年に渡って続けているからだ。
一朝一夕に得られたものではない。
ということを、ヴニェクはこんこんと説明してやった。
なんとなくドドが憐れに思えたからだ。
恐らくドドも彼なりに神としての在りかたを考えたりしていて、しかしまだ若く経験が浅いので、正解が見つからずに困っているのだろう。
だが、ヴニェクの解説をドドは鼻で笑った。
『どいつもこいつも同じこと言いやがる。
でもよう、己ァ納得いかんのよ、そんな完全無欠なやつがいるもんかね』
『何が言いたいんだ?』
『あいつだって己らと同じ神で、男だ。裏でなんか、えげつねェことしとるんじゃ……』
『……アフラムシカに限ってそれはないと思うが』
呆れながらそう返したヴニェクを、ドドは睨むような目つきで見つめていた。
──どうして今になってそんなことを思い出すのだろう。
もうドドはいないのに──ヴニェクは小さく溜息をついて、アフラムシカを見る。
彼は今、ヴィーラと何ごとかを話し合っているようだった。
ヴニェクは少し離れたところからそれを見ているので、その声や内容までは聞こえてこない。
だから眺めていたって仕方がないのだけれど、こうしてアフラムシカの姿を遠巻きに見つめるのが、ヴニェクの心を安らがせる数少ない機会なのだ。
ドドの掲げていた疑問を、こちらこそ鼻で笑ってやりたい。
アフラムシカは絶対にヴニェクの信頼を裏切ったりはしない。
そんなふうに思える男はこの世に他にいない。
ヴニェクもそこそこ永く南部で神として生きているが、基本的には誰も彼も利己的で自分勝手な生きものだ。
ヴニェクに対して愛想が良い者はいるが、それは媚を売っているだけであり、ただ単に己の翼や鉤爪を恐れているだけのこと。
そういう計算や感情を抜きにして、対等に接してくれるのはアフラムシカしかいなかった。
ドドに突っ込まれたのは癪だが、彼に対し、他に比べて甘い態度をとってしまうことを自覚してもいる。
なぜならアフラムシカには虚勢を張らなくてもいいと思えるからだ。
彼はこちらを害することは決してしないと思うから、必要以上に防御を固めることはしなくていい。
……ありていに言ってしまうなら、彼にならこの身を委ねることがあってもいいとさえ、思える。
充分に好意は抱いている。それはもう何百年も前から。
だが、ヴニェクは未だに身持ちの固い高潔な女であり続けている。
それもある意味では当然で、アフラムシカに求められることなどなかったからだ。
こちらから誘うだなんて下品な真似はヴニェクにはできないし、しようとも思わないわけだが、そうなるときっかけがないかぎり関係は進展しない。
でも、それでいい。
アフラムシカもヴニェクを信頼してくれているし、他の女神が粉をかけたとしても丁重に断わっていることを知っているから、焦りも悩みもない。
今の状態がヴニェクには心地よく、都合もいいのだ。
しかし、だからこそ、悔しいこともあった。
アフラムシカが人間の小娘なぞに気をかけていることが許しがたかった。
それが彼の信徒ならまだしも、まったく関係のない他の神の信徒、よりにもよって呪われた民だったから、なおのことヴニェクの怒りは深かった。
あの小娘を殺せるならそうしたかったし、それを許さない原則や彼女を守ろうとするアフラムシカの行動が気に障って仕方がなかった。
今はその理由もわかって、どうにか納得しようと心の内で努めている。
ついでにクリャに対する妙な嫉妬心が芽生えてしまったのが難ではあるが、それも時間が解決してくれるといい、そうであるよう願っている。
そして今、アフラムシカはすべての神の頂点に立った。
自分はそれを支えたい。
できることならいちばん傍で、彼の右腕として動きたい。
その席だけはクリャには譲りたくないし、幸いにして、あれからクリャはアフラムシカとは行動を共にしてはいない。
アフラムシカがヴィーラと別れたのを見てヴニェクは立ち上がる。
そしてすばやく彼に駆け寄ると、できるだけ、頬に力を入れるように意識しながら声をかけた。
それにしても恋する乙女のような面とは、傍から見た己はどんな顔をしていたのだろうか。
「アフラムシカ、ヴィーラと何を話していたんだ?」
ヴニェクは性格上、婉曲な言い回しなどできない。
単刀直入にそう切り出すとアフラムシカは頷いて、大したことではないのだが、という前置きをする。
「大紋章の改訂が、思ったよりも時間がかかってしまうそうだ」
「……それは、大したことではないのか?」
「改訂そのものが不可能だというわけではないからな。少し予定と違うというだけで、誰かに負担を強いるわけではない」
「まあそうか。それで、遅延の原因もわかっているのか?」
「アルヴェムハルトだ」
アフラムシカは視線でその神のいる先を示す。
切り株の傍に設けられた治療場で、ラグランネの腕に抱かれているアルヴェムハルトは、未だ四肢が不完全なまま意識も戻らない。
ラグランネが必死に手当てしている甲斐あって胴体は概ね再生しつつあるようだが。
なぜ彼のために改訂が遅れるのかというと、大紋章を最初に創造した際の手順に関わりがある。
大陸全土に影響を及ぼす巨大な紋章を創り上げるのに、各地の神が協力した。
まず全員が己の紋章を差し出したのは言うまでもないが、それらを統括し、求められた動きをするよう機巧を設計するために、各地方の頭脳派と目される神が集められたのだ。
北からはオヤシシコロとカーシャ・カーイ、西はフォレンケ、中央はゲルメストラ、南はドドとアフラムシカ、そして東から参加したのがアルヴェムハルトだった。
今にして思えばなぜその場にドドがいたのかが不思議だが、今回の変事の下準備がそこですでに行われていたとすれば、それを目的として自ら名乗り出たのかもしれない。
そのあたりの詳しい事情はヴニェクも知らないが。
ともかくその七柱の神々が共同作業で大紋章を創ったが、やはり巨大な創造物であったため、作業を手分けして行った。
アフラムシカは全体を監督したが、すべての細かい部分まで把握しているわけではない。
そのうちアルヴェムハルトが個人で担当した部分が改訂作業に影響を与えており、彼がいないことには作業を終えられないというのだ。
つまるところ、アルヴェムハルトが意識を取り戻すのを待たなくてはならない。
「そういうことなら、手の空いている者をあちらの補佐に回したほうがいいんじゃないか」
「ああ……ラグランネとティルゼンカークも自分の怪我を放っているようだが、彼らを一度休ませてやりたい。
すまないがヴニェク、手配を頼めるか」
「任せろ」
ヴニェクは快く頷いた。
アフラムシカから用事を頼まれたという事実が、ヴニェクを心地よくさせる。
思わずふわりと浮き足立ってしまった己を数瞬置いて自覚したヴニェクは、慌てて肩を強張らせてみたけれど、明らかに頬の緩んだところをアフラムシカに見られた。
喜色を悟られるのは気恥ずかしい。
誤魔化すように急いで立ち去ろうとするが、アフラムシカに呼び止められた。
「……ヴニェク、手配が済んだらまた私のところに来てほしい。
おまえにしか頼めないことがある……」
その殺し文句めいた言葉に、ヴニェクの心臓が跳ね上がった。
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