呪われた民の国 チロタ

162 南の果てへ向かう旅

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 ミルンとスニエリタは何の説明もないままマヌルド南部の大平原にほっぽり出され、うろたえていた。


 足元にはそれぞれの鞄が置かれており、拾って確認したところ、中には旅に最低限必要なものがみっしりと詰まっている。

 これを持って今すぐ行動しろというのだろうか。


 いつもやることが唐突すぎる、とミルンは思った。

 思えばアウレアシノンに着いたときも、事前に何も伝えずいきなり城壁を越えさせたりするなど、わりと振り回されている気がする。

 この、ふたりの目前にゆったりと降りてきた始祖鳥の神には。


 というわけでまずは一言、少し強めの口調で文句をつけることにした。


「おいクリャ、移動させるなら先に言ってくれよ」

「いつの間に荷物の用意なんて……まあ、さすがに二度目だけあって、準備は万端みたいです……」


 鞄をごそごそしながらスニエリタは感心している。


 神とはいえ恐らく男に荷物を用意されるのは嫌ではないのか、ちょっと疑問を抱いたミルンだった。

 その中には当然、その、下着の類も含まれているのであろうし。


 いや、重要な問題はそこではないのだ。

 クリャからの返答はないが、荷物を背負い直しながらミルンは続けた。


「またこんな家出みたいな形でスニエリタを連れ出したら、当然同じように追っ手がくるだろ。ヴァルハーレが個人で来る可能性は低くなったとはいえ、帝国軍を部隊単位でよこされたらどうする気だよ」

『そんなもの私が喰らうだけよ、造作もない』

「やめてください。あなたが誰か人間に危害を加えたら、その時点でわたしは協力をやめますからね」

『……ほんとうにまァ、かわいげがなくなったことだ。では殺さぬ程度に妨害しておこう』


 不承不承といったようすでクリャは答える。

 なんとなくスニエリタに対してのほうが素直に感じるのだが、それはミルンの気のせいだろうか。


 だいたいそもそも、スニエリタを旅立たせるために、その装置として自分が呼び出されたような感じはしている。


 これまで見聞きした話からしてスニエリタのほうが先に事情を知らされていたようだし、何より彼女は世界の改変に伴っての記憶の改竄から保護されていた。

 予めクリャに印をつけられていたからだが、しばらく行動を共にしていたミルンにもつけようと思えばできただろうし、やはりクリャの中ではスニエリタのほうが優先順位が高いのだ。


 とりあえずミルンとしては、それでスニエリタが不利益を被ることがないのであれば今は静観しておこうと思っている。

 むしろこうして再会することができた時点でミルン個人には充分に益があった。


 なんにせよクリャの我慢はもう限界なのだろう。

 確かに旅立ちを指示されてからずいぶん時間が経ってしまっている。


 日付にして七日間。

 一週間と言えば短くも思えるし、それだけの期間でスニエリタと再会から再出発までできたのはミルンの感覚では早いくらいだが、クリャにとってみればそうではないのだろう。

 神々にしてみれば、世界を乗っ取られてもう七日間も経ってしまっている。


 人間の眼から見れば、変わらず平和な世の中だ。

 誰もすげ替えられた神に違和感を抱かず、それまでの信仰を忘れ、しかし前と同じような方法で教会や神社の中にいるものを拝んでいる。


 そして、誰も気づいていないのだ。


 ひとりの少女が姿を消してしまったことに。

 この世のどの国にも属さない、たったひとりの『呪われた民』が、いなくなったことに。


「で、どこに行けばいいんだ。ほんとうにまったく何の手がかりもないのか?」

『ふむ。……それについて、私も逆説的に考えてみたのだがね。


 我が傀儡は大陸じゅうに散っている。あらゆる国と地域に、機能や精度の異なる個体を──均等というわけにはいかないまでも、まんべんなく展開したのだ。すべては生存効率を上げるため。

 だがそのいずれもが、消えた本体の居場所を察知できずにいる。

 ──それはなぜか?』


 クリャは翼を広げたり閉じたりしながら、芝居がかった口調で言った。


『恐らくララキは、この大陸にはいないのではないか、とね』

「……待て待て。大陸のどこかだって最初は言ってたじゃねえか、そっちもちゃんと理由はあったんだろ」

『むろんだ。あの子を隠したのがドドにせよ他の神にせよ、クシエリスルの神である以上は大陸の外には力を行使できない。

 だが、我々はこの"大陸"という概念に欺かれていたのではないか。

 つまりだなァ。文化はクシエリスルの大陸に属すが、地理においては大陸にあたらぬ場所だ』

「というと……周辺の島々でしょうか?」

「なるほどな」


 とくに訂正の言葉がないので、たぶんスニエリタの回答で正解なのだろう。

 ミルンは鞄から地図を取り出して該当しそうな場所を確かめる。


 島なら東西南北あちこちにある。大きなものは北と西の海に多く、東南の海は小さな島ばかり集まった群島が多い。

 何にせよ捜索範囲が広く、すべて確かめるにはかなり時間がかかるが、もう少し方角などを絞ることはできないだろうか。


 とりあえず探索の紋唱を描いてみるが、芳しい反応はない。

 探知妨害されている可能性もあるが、どうもここはマヌルドのど真ん中のようなので、距離的に捕捉できなかったとしても無理はない。


「スニエリタ、これより探索範囲の広い紋唱を知ってたら教えてくれ」

「はい、えっと、ではとりあえずわたしの知っているものを……──索荊の紋」


 スニエリタが見せてくれたのは、いつかのキノコの森でも使っていた術だ。


 紋唱からぞろりと生え伸びた茨がうねうねと四方に広がる。

 地面を這いながらしばらくそうして蠢いていたが、しばらくして、四本あるうちの三本がゆっくりと萎れ始めた。


「……か、かなりざっくりですけど、あっちの方向ですね……」

「羅針盤の紋! ──っと、とりあえず南だな。となると東南諸島のどっかにいるのか」

『便利なものだねえ』


 一緒にコンパス型の紋唱を覗き込んでいたクリャがほんとうに嘆息したような口調で言うので、なんだか拍子抜けした。


 おまえも仮にも神だろうに、と人間としては思うのだが、どうも神の事情は人間が思っているのとは少しばかり違っているらしい。

 というのは、そこから移動しながらクリャに聞いた話である。


 神とか精霊というのは人間が思うほど万能の存在ではない。

 持てる力はまず生まれつきの才能によるところが大きく、次に立地などの条件によって、その後の暮らしぶりが決められていくことが多い。


 稀にカーシャ・カーイやドドといった精霊が成り上がることもあるにはあるが、彼らはそれだけ犠牲を生んでもいる。


 人間がそうであるように、神も個体によってできること、得意なことは違う。

 たとえばラグランネは生命を持たない物体に化けるのが得意で、アルヴェムハルトは生物に化けることに長けている。

 ルーディーンのようにその場にいるだけで場を落ち着かせるのも才能だし、周りを意のままに働かせるペル・ヴィーラの気配や、あらゆる紋章を嗅ぎ分けるガエムトの鋭敏な鼻もそれぞれ固有のものだ。

 情報戦略においてはオヤシシコロカムラギの根より勝るものはない。


『もっとも、あの老人の情報網は我が傀儡によって常にどこかしら虫食い状態にあるのだがね』


 タヌマン・クリャがもっとも得意だったのは、権謀術数を巡らせて安定した生存を図ること。


 ヌダ・アフラムシカはその才能を買って彼を外の神に任命した。

 非常時にクシエリスルを助けるには、それまで同盟の外にあって他神の攻撃を受け続けても、しぶとく生存し続けなければならない。


『一方人間は、もとは己ひとりでは何の力も行使できぬ弱い存在だったが、紋唱などという技術を生み出してあっという間に大陸の支配者の地位に昇りつめた。


 おまえたちは当たり前のように何種類もの属性の術を使いこなすが、それは生物全体で見たら異常なことだよ。


 神でさえ己を規定する属性はひとつかふたつだというのに』

「……たしかに獣も持ってる属性は決まってるもんな。ミーに水や岩の攻撃をしろっつっても無理だろうし」

「どうして人間だけがいろいろ使えるようになったんでしょう?」

『元が虚無だからさ。予め持つものがないから、そのぶんだけ応用が効く。

 人間個人の紋章などちっぽけで何の意味もない、しいていえば属する神の証明くらいにしかならんが、おまえたちは紋唱術を通して世界に干渉している。


 スニエリタ、お前は風の術をよく使うが、あれはおまえ自身が無から生んだ風ではない。もとからあった風の力をどこかから召喚しているのだ。獣を呼ぶような要領でな』

「その理論でいくと、人間が人間を呼び出すこともできんのか」

『不可能ではないね。ただ、今おまえたちが使っている術理とは別の式を構築しなおす必要はあるだろうが』


 とまあ、そんな雑談を続けながらふたりとひと柱はひたすら移動した。

 具体的には、近くの集落まではジャルギーヤに運んでもらい、そこからは馬車を借りた。


 ずっとジャルギーヤに任せたほうが早く済むだろうとクリャには言われたが、ミルンはさすがに決闘後でジャルギーヤも疲れているという意見を押し通した。


 とにかく南下して、イキエスとの国境まではそれほど時間もかからない。

 発ったのは夕前だったが、夜にはかなり南のほうまで来た。明日の昼前にはイキエスに入れるだろう。


 南洋諸島までの最短ルートを考えるとハブルサを通ることになるが、ライレマ教授はどうしているだろう。


 ミルンとしては挨拶くらいしたかった。

 結局彼の提言どおりララキと旅をすることになってしまったし、ララキが一応はアンハナケウに到達できたこと、そして行方不明になってしまったことを保護者である彼には知らせるべきだと思うからだ。


 ただ、状況からして恐らく今の彼に、ララキに関わる記憶はない。

 それにミルンから旅の記憶が消されていたことを考えると、たぶん彼とミルンの面識も消えてしまっている。

 恐らく会いに行っても徒労に終わるだろう。


 などと考えていると、クリャが背後からぬっと顔を出して言った。


『なぜそんな迂回する道を選ぶのだ。海までまっすぐ南下すればいいだろう』

「いや南下って、大陸南端は呪われた民の国だろ。入れねえよ」

『呪われた……ああ、チロタのことか。人間の引いた国境など気にするな、私が通してやる。それに私がいれば危険はないぞ』

「チロタ、っていうんですね、ほんとうは」


 移動経路を大幅に修正され、海までの道のりはぐっと近くなった。物理的には。


 危険はないとクリャに言われても、正直この神をどこまで信用していいのかは未だによくわからない。

 マヌルドではそれほど助けにはならなかった印象だ。


 まあ恐らく呪われた国、もとい、チロタの現状は原生林のような環境であろうから、神の加護さえあればそれほど踏破は困難ではないのかもしれないが。


 そして、言ってみればそこはララキの故郷であり、これはクシエリスル制定以来の歴史的事業でもある。


 人生何が起こるかわからない、とよく言うが、かつて故郷を旅立ったときは、まさか呪われた民の国に足を踏み入れる日が来るとは微塵も思っていなかった。

 もちろんマヌルド貴族のお嬢さんと出逢うことも、彼女と恋仲になることも想像すらしていなかったが。


 これから何がどうなるのかもさっぱり予想がつかない。

 ただ、どんな困難があったとしても、乗り越えられる自信はある。

 ミルンは確実に成長しているし、隣にはスニエリタがいる。


 そして何より……これはまあ、どっかの誰かの受け売りだが。


 ──物語ってのは、とにかくハッピーエンドで終わらせなければならないらしいので。


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