101 寂寥の夢

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 誰でもいいからクシエリスルの神よ、あたしの相談を聞いてください──。


 ララキはひたすらそう念じながら意識が途切れるのを待った。

 これまで夢で会うことをこちらから願い出たことはなかったので、方法としてそれで正しいのかはわからなかったが、どのみち今は身動きも不自由だ。


 それにここは寺院らしいからもうなんでもいいだろう。


 せめて祀られている神の名前くらい確認すればよかったが、生憎ララキたちが運ばれてきたあと管理僧はほとんどこちらに顔を出さなかった。

 忙しかったのか、場所は貸してもそれ以上関わり合いになりたくなかったのか、その真意はわからない。


 果たして待つこと数分、ララキの意識はゆるゆると夜の闇に融けていく。


 まどろみの中で誰かのすすり泣く声を聞いたような気がした。誰か、なんて確かめなくてもわかっているけれど。



 夢は、今まででいちばん奇妙でおかしな感じがした。


 あたりが暗い。

 足元がどうなっているのかよく見えないし、どこかでぱきぱきと乾いた音が鳴っているようだが、それが何かわからない。

 誰がいるとも思えない薄闇の、そこが一体どこなのかさえよく見えないのだ。


 ともかく身体が自由に動かせるので、夢の中なのは確かだろう。ララキは気をつけながら歩き始める。

 誰かの結界ではあるようだから、きっとそのうち結界の主に会えるだろう。


 靴の下に何か脆いものがあったようで、何度もぱきんとかばりっという嫌な音がしたが、何を踏んだのか眼を凝らしてもわからない。

 確かめるのを諦めてただ進む。たまに涼しい風が吹き込んで、あたりでさらさらと軽いものが擦れる音がする。

 やはり砂漠だろうか、いやでも、砂が流れる音とは少し違う。なんだろう。


 しばらく歩いていると、頭上にぽかりと月が出た。

 満月だ。今夜はまだ欠けていたはずだが、まあそこは夢なので気にしてはいけない。


 ただ、光源が増えたことにより、ララキは足元に散らばっているのが何だったのかが見えてしまった。


 照らし出される白いもの。棒状の、あるいは歪な球体をした、ところどころ穴の空いたもの、板状のものもある。

 それは無数の骨だ。

 獣も、人らしいものも区別なく混ざっている。


 数え切れないほどの夥しい白骨が、隙間もないほど大地を覆っていた。もちろんララキが踏んでいたのもそれである。


 恐ろしい光景に泣きそうになりながら、理解した。

 この結界の主は神ではない。少なくとも表の神などではない。つまり、ここは、死者の世界。


 理解したとたんに前方の骨の山ががらがらと音を立てて崩れた。

 ひっと身を竦めてそれを見る。崩れたというより、その中に埋もれていた者が姿を現そうとしている。


 ぼろぼろに朽ちてもとの形を留めない骨の瓦礫から、月を掴もうとするように突き出たその腕は、青黒いもじゃもじゃの毛に覆われていた。


「……ガエムト!?」


 思わずその名前を呼ぶ。腕は空を一度掻いてから、一気に骨を散らしてその身をあらわにした。


 いつか会った異形の神に違いない。こんな姿の神はきっと他にはいない。

 頭から爪先まで何の獣にも似ておらず、しかしところどころで何かの獣を思わせる造型を残した奇妙な怪物は、あの冥い瞳でララキを見る。


『ヌダ……アフラムシカ……喰う』


 その声は、今は空じゅうから降ってくるようだった。ここは地底なのかもしれない。


 ララキは震えて立ち尽くし、それからあたりを見回す。


 誰かいないか、誰でもいいからこの忌神と言葉を交わせる者がいないか。


 もちろん、いない。

 ここには生きている者などララキのほかにひとりとしていない。


 脚が震える。歯が鳴る。


 ガエムトはゆらゆらとこちらに向かって歩いてくる。歩みが遅いのが余計に恐ろしい。

 彼が一歩踏み出すたびに、足元の骨が耳障りな音を立てて割れ崩れる。


 逃げたほうがいいと理解していたが、脚が動かなかった。その場に縫い付けられたようだった。


 あと数歩のところまで来ている。目の前に立たれたらどうなってしまうのだろう。

 彼はシッカを食べるようなことを言っている、きっとララキを守ろうとしてシッカが出てくるのを知っているのだ。シッカはガエムトを止められるだろうか。


 だめだ、だめだだめだだめだ怖い怖い怖い怖い!!


 気づけばララキは叫んでいた。自分でも叫んでいることに気づかなかったほど、聞いたことのないような絶叫が喉から吹き上げた。

 泣いて、その場に尻餅をついたところで、やっと震える手足をばたつかせてその場から逃げようとする。

 だが手も足もまともに動かせず、ララキが這いずるよりガエムトが一歩歩くほうが先だった。


 ガエムトは、もうララキの目前に佇んでいる。


『アフラムシカ、喰う……寄越せ……紋章、寄越せ』

「いや、いやあああああッ!」


 泣き叫ぶララキにガエムトの手が伸びる。

 闇と泥を塗りたくったような黒い爪が、ララキの頬を掠めたそのときだった。


 額がじんと熱を帯び、そこから薄い橙色をした光が漏れて、それがガエムトを押し返したように見えた。


 ガエムトが手を止める。表情はわからないが、無言でこちらを見下ろしている。

 両手はだらりと肩から垂れ下がっていて、もうその腕にララキを攻撃する意思はないようだった。

 ただ彼の背後で尾と思われるものが不機嫌そうに大地を叩き、骨が砕け散るのが見えた。


「なん、なんで……"荒山の守護者は風とともに麓へと顕現し"……えっ、何、なに?」

『フォレンケ……?』

「"すべての土に還る者の言の葉を聴く"……?」


 いつかのように口が勝手に動いた。それを聞いたガエムトが二歩、三歩と後ずさる。


 彼とララキとの間に竜巻が起きて、穴のようにそこだけ骨がなくなるまで散らしたので、初めてララキはその下の地面を見た。

 そこは沼地のようだった。


 顕現するヤマネコの神は、沼に脚を濡らすことなくそこに立つ。


『いやあ、よかったよかった。こんなこともあろうかと……』

「フォレンケ! ああもう来てくれるのが遅いよ、あたしめちゃくちゃ怖かったんだけどぉぉ!」

『そりゃあ自業自得だね。名指しもせずにこんなところで神を呼んだら、しかもアフラムシカを連れてるきみがだよ? ガエムトを引き寄せないわけがないじゃないか』

「し、知らないよそんなの……」


 そんな当たり前だろみたいな顔をされても、それとこれとがどう繋がるのかララキにはさっぱりわからない。

 ただ、とりあえずこれからは絶対に名指しをしよう、とだけ胸に誓った。


 それにしてもフォレンケが現れた瞬間ガエムトが大人しくなったのが気になる。

 大人しいというか、ぼんやりとフォレンケの一挙一動を見守っているように見える。とりあえず尻尾を振り回すのはやめている。


『で、……そもそもなんで神を呼んだの?』

「あっそうだった。あの、……前にヴニェク・スーに話したことなんだけど、あれってフォレンケには伝わってるのかな……」

『スニエリタの背中のことかい? とりあえずボクとヴニェクと盟主の間では共有されてるよ。それ以下の神はまだ知らない』

「盟主ってペルなんとかも入ってる?」

『あ、そっか、人間は盟主の顔ぶれをちゃんと知らないんだっけ。ペル・ヴィーラのことなら彼こそ東の柱だよ。あとはオヤシシコロカムラギ、カーシャ・カーイが北の柱で、中央はきみも知ってるルーディーン。南はドドとアフラムシカだったけど、アフラムシカは今は何もできないから代わりがヴニェクって感じだね』

「……あれ、それだと六柱じゃない? あとひとりは誰?」

『西はそこのガエムト』

「え……ええ!? あ、あれ偉い神さまだったの!? あっごめんなさいあれとか言っちゃった」

『気持ちはわかる。ガエムトって力はあるけど頭は弱いからね。

 というか、ガエムトみたいな神が力ばっかりつけていろいろと世界の均衡が怪しくなったから、これ以上増長させないように縛るためのものがクシエリスルだよ。もともとは人間の戦争がどうのこうのとかそういう目的じゃないんだ。人間のほうではそう伝わってるみたいだけどさ』


 驚いてしまったが、そういえばミルンやその兄やルーダン寺院の修行僧くんも、ガエムトは盟主に数えられることがあると言っていた気がする。それが事実だったということか。

 盟主といってもルーディーンなんかとは随分雰囲気が違うように思う。

 あとヴニェクに盟主説があるのもシッカの代わりを務めているからなのかもしれない。


 というか現状だとシッカが盟主だというほうが奇妙だ。ララキの個人的な感情はさておき、イキエスでヌダ・アフラムシカという神の知名度はあまり高くなく、ロカロのような小さな町に祠が残っているのみなのだから。

 それも彼が受けている罰と関係があるのだろうか。


 なんとなくそこでガエムトを見ると、しゃがみ込んでそのへんの骨を噛んで遊んでいる。


 ……誰の骨か知らないけど可哀想に……いや、神の慰みだからべつに可哀想ではないのか。

 むしろあれが供養っていうかそういうことなんだろうか。適当に噛み砕いて吐いてるようにしか見えないけど。


『それで何、今度はペル・ヴィーラと話がしたいとか言わないだろうね?』

「う……言いたいんだけど、やっぱダメ? 盟主ってそんなに忙しいもんなの?」

『それは神にもよるけど、きみっていちいち呼びにくい神ばっかり指定するんだもの……ペル・ヴィーラはよほどのことがないかぎり自分の領域から離れないよ。ここじゃ距離がありすぎるしね』

「うう、じゃあとりあえずフォレンケでいいから聞いてほしいんだけど……スニエリタって家出とは違うんだけど、まあそれに近いような状態だったから、いまそっちの人が来て家に連れ戻そうとしてるんだ」

『うん、で?』

「いやあの、で? じゃなくてさ、あたしたちと一緒にいないと危なくない? あの背中の紋章があるとタヌマン・クリャに見つかっちゃうでしょ」

『ああそういうことね。そうだねえ、彼女はヴィーラの民だけど、あのひとそういうのぎりぎりまで放っておく性質だしなあ……それに……あのこともあるし……まだわかんないからな……』


 フォレンケはぶつぶつと何か言っていたが、後半はほとんど聞き取れなかった。ただかなり難しい顔をしていたのは確かだ。

 これまでこの神がこういう顔をしたのは、それこそタヌマン・クリャを逃がしたあのとき以来だった。


『んー……どうしよう、できればこの件は一旦ボクが預かりたい。ちょっと他の神にも相談したいから』

「もうあんまり時間ないからできるだけ急いで。スニエリタを連れ戻しにきた人は今は怪我して倒れてるから、さすがに明日明後日で動けるようにはならないと思うけど……それにその人だけじゃなくて、マヌルドにいるスニエリタの家族も当たり前だけど心配してるみたいだし」

『ああ、きみは彼女を帰したくないわけ。まあこっちとしてもそのほうが都合いいけど……仕方ない、じゃあこっちの結論が出るまで、そっちは適当に足止めさせてもらおうかな』

「え、そんなことできるの?」

『……きみは忘れてるみたいだけど、ボク、これでも神だから』


 じゃあね、と言い残してフォレンケは消えた。


 最後の問答はさすがに失礼だったなと思いつつ、なんだかんだで話ができた相手がフォレンケでよかったな、とも思った。たぶんオーファトやカジンではこうはいかない。


 ヴレンデールに来てからフォレンケとは何度も会っていて、こちらの事情もよくわかってくれているし、なんといっても雰囲気が柔らかくて繊細なことでも話しやすい。

 頼りになるかは別として、相談がしやすいのはいいことだ。ララキ的に友だちになりたい神暫定一位と言っていい。


 ほっとしたところで、足元でぱりんという音がして、まだ結界にいることに気がついた。


 ……恐る恐る振り返ると、まだそこにガエムトがいる。

 相変わらず骨をがじがじ噛みながらその顔はこちらに向けられていた。さっきほどの恐ろしさはないが、それでもフォレンケ抜きにふたりきりにされるのは不安しかない。


 どういうことだフォレンケ、どうしてララキを残して先に消えてしまうんだ。

 せめて話が終わると同時にララキを現実世界に帰しておいてほしかった。


 ガエムトはじっとこちらを見ている。と、思う。

 骨面の穴の向こうに何も見えないので感覚でしか言えないが、視線を感じる。


 ララキを見ているというより、ララキを通して、たぶんシッカのことを見つめている。


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