096 激突

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 何が起きたのかわからなかったが、無理やり開いた眼に映ったのは、長いきれいな銀髪の後姿だった。


 あ、あれミルンのお兄さんだ、とララキは理解した。よくわからないけど、ミルンが死にそうだと気づいて助けにきてくれたのだろうか。

 よかった、ロディルならこの状況をなんとかしてくれるかもしれない。


 ことの発端はスニエリタの追っ手に捕まったことで、しかもそれがスニエリタの婚約者だった。

 背が高い金髪の巻き毛の美男子で軍人だと聞いていたので、見た目ですぐそれとわかったが、問題はその人が思った以上に嫌なやつだったことだ。

 周り全員で一生懸命妨害してやっとスニエリタの話を聞いた、というか聞かせるだけのわずかな時間を作れたが、彼にはちっとも響かなかった。


 スニエリタが彼の話をしたときまったく楽しそうではなかった理由がわかった。

 好きじゃないんだろうな、とは思ったが、これは無理もない。ちっともスニエリタのことを考えてくれていない。


 そりゃあスニエリタは家出人で、連れ帰る側のほうが正しいのかもしれないが、それでもスニエリタのことをちゃんと考えていて心配していた人なら、まず失踪した理由を知ろうをするはずだ。

 同行していた黒髪の軍人は実際そうだった。スニエリタも顔を見てぱっと名前が出てきたくらいだから、そちらももともと知っている人なのだろう。

 しかもその黒髪さんの口ぶりでは、婚約者の金髪はかなりひどい男のようだった。


 だが、たぶんララキたちが抵抗したのに加えて、本来は金髪の味方だったはずの黒髪さんの抗議が、金髪の怒りを頂点に高めてしまったのだろう。

 金髪はいきなりこちらを攻撃してきた。黒髪さんは殴られて昏倒してしまい、こちらもついでとばかりに一緒に攻撃されてしまった。


 まずいことに金髪が洒落にならないくらい強かった。

 器用にスニエリタを避けて両側のミルンとララキだけを的確に吹っ飛ばしてくれたうえに、完全に容赦なしの威力の術を連発され、こちらは防御の紋唱を駆使してなんとか受けるのが精一杯だった。

 何度か受けきれずにかすってしまい、それだけで意識が飛びかけた。


 描くのが速ければ当たり前のように両手を使うし、見たこともないような高難度の術ばかりだし、しかも当人はララキたちを殺す気でいる。術の威力でいえば充分直撃で即死できそうだ。

 もうこうなったら神頼みしかないだろうか、とララキが薄れかけた意識の端っこで思ったところでのロディルの登場だった。


 ほんとうによかった。あと少し遅れていたら、きっとシッカが無理に出てこようとしてしまっていた。


 だんだんと術同士がぶつかっていると思われる爆音が遠ざかっていく。

 そして身体をふわりと温かい光が包むのを感じ、顔を上げるとスニエリタが回復を行ってくれていた。

 案の定彼女はまたぼろぼろに泣きながら、ごめんなさいと繰り返している。


「……スニエリタはなんにも、悪くないでしょ……」

「でも、わたしが大人しく従っていればきっとこんなことには……っ、ごめんなさい、ごめんなさい」

「その子の言うとおりですよ、スニエリタさま」


 声がしたほうをみると、黒髪の軍人さんがなんとか身体を起こそうとしていた。確か金髪にはロンショットと呼ばれていた気がする。

 スニエリタは彼をディンラルさんと呼んで、すぐさまそちらにも駆け寄って回復の紋唱を行った。


「ヴァルハーレ卿は初めから、お嬢さまの同行者を殺すつもりだったのだと思います……申し訳ありません、私が不甲斐ないばかりにお嬢さまの手を煩わせてしまいましたね」

「いいえ、ありがとう、ディンラルさん。さっきのこと、わたし……ほんとうに嬉しかったです。

 ごめんなさい。わたし、マヌルドにはわたしの気持ちをわかってくれる人なんていないと思っていました……自殺なんて考える前に、あなたに一言でも相談すればよかった」

「それこそ私の力不足というものです。お気になさらないでください。

 でも、……せめて今は、刺し違えてでも彼を止めなければ……どなたかは存じませんが、このままではきっとあの人は殺されてしまう」


 ロンショットさんはふらふらした足取りで喧騒のほうへと向かう。

 紋唱をかけたといってもほとんど応急手当だけでまだ身体は傷だらけ、しかも相手があれではとても勝ち目はないと思われるが、彼も帝国の軍人ならそれなりに強いのだろうか。


 だが、その心許ない歩みを止めた者がいた。まだ倒れたままのミルンが、彼の足を掴んでいる。


「行、くな」

「止めないでください。こうなってしまった以上、彼は私が止めなくては」

「だから、その役を、あいつにやらせてくれって……頼んでんだ……」


 スニエリタが駆け寄ってミルンを助け起こし、ララキもそこになんとか這うようにしていって、一緒に回復させるのを手伝った。

 あの金髪はミルンのことがとくに気に入らないようで、明らかに彼がいちばん負傷の度合いがひどかったからだ。

 理由はたぶん彼が男だから。もしかしたらハーシ人だから、もあるかもしれない。


 ほとんど意識があるのが奇跡なくらいぼろぼろに痛めつけられていたが、手当てさえすれば死にはしないだろう。

 でも当分はまともに歩くこともできないかもしれない。


 ミルンは震える声と手で、まだロンショットさんを離さない。


「俺もあのふたりの、因縁は、知らねえけど……たぶん、ジーニャには、ジーニャの理由が……あるんだ……。

 単なる好奇心とか親切なんかで、首を突っ込んできたわけじゃ、ねえよ……誰かを殴りたいなんて、兄貴がそんなこと言うの、初めて聞いた……」

「あなたの言いたいことはわかります。ですが、あなたの兄はヴァルハーレ卿に勝てない。

 あの男は人間性にこそ問題が多いが、史上最年少で大佐の地位に昇りつめた天才なんです。現役の帝国軍人の中では実質最上位と言ってもいい」

「そりゃすげえ……はは、でもさ、さっきそいつが言ってたろ、"帝国学院唯一の汚点"ってよ……あんたもマヌルド人なら、その意味くらいわかんだろ……?」


 ロンショットは黙り込んだが、ララキには意味がわからなかったので、どういうこと、と尋ねる。

 ミルンは少し笑ってからこう答えた。もうだいぶ声が震えなくなってきていた。


「マヌルドでいちばん伝統のある学校で、ハーシ人がマヌルド人より良い成績で卒業したって意味に決まってるだろ。あの金髪野郎が天才だってんならジーニャだってそうだ。

 それに……ジーニャは自分じゃなくて、ナスタレイハって女のために戦ってるんだろう。そういう喧嘩では絶対に負けねえ」


 そう言ってロディルたちのほうを見るので、ララキもつられてそちらに眼をやる。


 凄まじい光景だった。数え切れないほど吹き上がる炎の柱に、地表を覆い尽くすほどの多量の水流がぶつかっては、絶えず爆発めいた轟音が鳴り響く。

 火山と海が殴り合っているみたいな光景だ、とララキは思った。


 空から巨大な岩が降り注ぎ、それを氷の刃が引き裂いて粉々にする。

 だが、割れた岩の破片はまだナイフのように鋭く尖っていて、標的を破壊する能力を失っていない。


 ロディルは八つ裂きにされようとしている。しかし彼が繰り出した術で地面が大きく抉れながら隆起し、破片をすべて受け止めながら、そのまま逆にヴァルハーレに覆い被さろうとした。

 対するヴァルハーレはそれを津波で押し返し、重ねて氷結と落雷の術を放つ。

 ロディルの周りに炎が渦を巻いてそれらを拒む。


 一瞬の間にそれらが幾度となく繰り返されている。


 彼らにとっては複数の術を重ねたり連発したり、あるいはほとんど同時に放つのは当たり前であり、攻撃と防御が組み合わされていたり、あるいはひとつの動作で完結してもいる。

 互いに対人戦闘に慣れているのがよくわかった。絶対に隙を作らないし、相手に余裕も与えない。


 だが、それぞれの性格の差か、戦法にはわずかに違いがあった。

 ヴァルハーレは攻撃に特化していて、防御はそこに織り込まれているような形で無駄が少ない。

 彼のほうが積極的に攻撃を仕掛けており、ロディルはそれを受け流したり防いだりしながら、たまに跳ね返す形で攻撃に転じている。


 だが、不思議とロディルのほうが圧されているようには見えなかった。彼のほうが落ち着いているからだろうか。


 ヴァルハーレの攻撃は、彼の苛立ちや怒りが乗っているせいか、苛烈でとげとげしい。

 対するロディルは即物的な、つまり相手に直接的な痛みを与えるような鋭いものではなく、大きな力でじわじわと圧していくような攻撃が多い。


 一度当たってしまったらヴァルハーレの攻撃のほうが効くだろうが、ロディルの攻撃は、たとえ直には当たらなくても、防御越しに相手を少しだけ削ることができる。

 圧し、引き摺り、少しずついる。


 なんとなくだが、見ているララキにはそのように思えた。


 すごい、とロンショットが呟いたのが聞こえた。まさかロディルがヴァルハーレ相手にそこまで渡り合えると思っていなかった、という感じの声だった。

 こちらとしては逆の感想だ。ヴァルハーレこそ、あのロディル相手でもこんなにしぶといとは。


 ──人間って、強くなろうと思ったらあそこまでなれるんだ。


 ただただ感心する。しかもロディルに至ってはそれでもまだ満足していないのだから。

 いや、まだ勝負がついたわけではないし、ふたりの実力は概ね拮抗しているようにも見える。


 空を焼くような炎がまた吹き荒れる。多量の湯気が舞い上がって視界を覆ってしまい、もうどちらが何をしているのかも見えなくなっていた。


 ロディルに勝ってほしい。

 そう思うのはララキだけではない。ミルンは当然として、スニエリタとロンショットさんも恐らくそうだろう。

 あんな性格の悪い、顔と才能だけ恵まれたような男になんて勝たれたら、寝覚めが悪いなんてものではない。


 ただ、仮にこの場はロディルが勝ったとしても、そのあとどうなるのだろう。


 ヴァルハーレはきっと、ロディルに負けたところでスニエリタを連れて帰る意思を曲げたりしない。


 相手は探知系の紋唱も使えるから逃げたところで意味がない。

 結局ララキたちが彼を追い返せるくらい強くならないかぎり、スニエリタを守ることはできないのだ。


 もちろんロンショットという、任せるに足る人物が見つかったので、マヌルドに帰すことにこれまでほどの抵抗はない。

 いつかはそうしなければならないのだから、ララキだってミルンだって諦めなくてはいけないのだ。

 それが思ったより早かった。それだけの話。


 ……でも。


 ララキはちらりとミルンを見た。


 ──ねえ、あなたはそれで、何も言わないままお別れしても、いいの?


「……うわっ!?」

「きゃっ」


 戦闘の余波だろう、激しい地響きにその場の全員が思わず声を上げる。

 瞬間に瞑ってしまっていた眼を開けると、霧が晴れ、ふたたびふたりの術師の姿が見えるようになっていた。


 ロディルが血を流しているのが、はっきりと。


 対するヴァルハーレは一見無傷に見える。血を流していないだけでどこか打ったりしているかもしれないが、ここからでは表情がよく見えないので、見た目だけで状態を察することはできない。

 描画速度は依然変わらず、恐ろしくなるほどの精密さでロディルに無数の雷刃を叩き込んでいる。


 それをいなすロディルの動きは明らかに当初より鈍っている。

 雲のようなものが彼の周りに取り巻いて守っているが、刃の幾つかはそれを突破して中のロディルに届いているようだった。


 血飛沫が舞っている。きれいだった銀髪が、鮮血に染まって紫色になっていく。


 今にも倒れそうにさえ思えるが、それでもロディルは前をしっかり見据えて紋唱を続けた。

 さっきまで競り合っているようだったのに、いつの間にかロディルが圧されて、完全に防戦に転じてしまっているようだった。

 ロディルが放つ術はヴァルハーレを目指すことすらせずに、彼の周りに立ち込めて術者を護る動きしかしていない。


 ヴァルハーレは攻撃をより激しくして、それを力ずくで叩き壊す。

 蒸気は干上がり、氷は砕け、丸腰になったロディルを炎の槍がまっすぐに貫こうと伸びてくる。


 もちろんロディルもすぐ防御を張りなおそうとするが、それが防げても、槍の背後には別の術がもう迫っている。

 反応が後手に回っているような状態で、波状攻撃から身を守りきれるとは思えない。


 もはやロディルに勝ち目はなさそうどころか、このまま殺されてもおかしくはない。


 助けに行きたいが、身体がまだまともに動かない。

 行けたところで大したことはできないとわかっているが、せめてロディルが殺されるのだけは防ぎたいし、見ているだけなんて嫌だ。


 ララキが歯噛みする隣で、同じ思いを抱いたらしいロンショットが立ち上がる。だが、彼の腕をまたミルンが掴んで引き止める。

 この状況でもまだ止めるのか、ララキもさすがに呆れてやめさせようとしたが、ミルンの顔があまりに真剣なので言葉を失ってしまった。


 ミルンはまだロディルを信じている。


 揺らがない彼の瞳に、彼方で起きた爆発の光が映りこんだ。


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