089 神々のざわめき

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 その日、すべての神がアンハナケウに召集された。

 例によって必ずしも全員が呼びかけに応じたわけではなかったが、ともかくほとんどの神と精霊の類が幸福の国に参上し、いつもの切り株の広場に集結した。


 切り株にはそれをほとんど指定席としているパレッタ・パレッタ・パレッタが止まり、その左右に盟主たちが並んでいる。

 生憎今日もガエムトはいなかったが、それでもルーディーン、カーシャ・カーイ、ドド、ペル・ヴィーラと四柱も揃えばかなり壮観だ。

 自然と精霊や力の弱い神々は後ろに下がり、前列はフォレンケやゲルメストラといった中堅の神が占めた。


 予定していた時刻になったところでパレッタが切り株に備え付けられている鉦をつつく。

 キンキンと甲高い音が鳴り、それまで私語に溢れていた一堂がしんと静まり返った。


「あー、本日みなに集まってもらったのは他でもない、ヌダ・アフラムシカの処遇についてである」


 ドドがらしくもない真面目な口調で切り出す。彼の声はよく通るので、最後尾にいた小妖精にまでしっかりと届いた。


「先日の定例神宴において、そろそろアフラムシカを許すべきだという声が上がり……」

「えーっ、早すぎません~?」

「ラグランネちゃん、ちょぉっと黙っててなァ。

 ……あー、簡単に言うとだなァ、枷の効果が我々の想定以上であったというか──要するに死にかかっとるようなんだ、我らがアフラムシカが。笑っちまうよな!」

「笑えませんよ、ドド。さすがに不謹慎です。

 ともかくアフラムシカを解放するにあたり、一度ララキをこちらに上げる必要があります。みなにはそれを理解していただきたく──」


 ルーディーンが継いで説明した。


 ヌダ・アフラムシカが自力でアンハナケウに上がれないため、彼の紋章を預かっている呪われた民の末裔を招くほかに、彼をここに呼ぶ手段がないこと。

 また、ララキがすでに複数の神から試練を与えられ、それを無事に突破していること。

 それゆえララキをアンハナケウに呼び上げてもよいと盟主たちが判断したこと。


 ララキ反対派で知られるペル・ヴィーラでさえ仕方がないといったふうに頷いたのを見て、今まで彼についていた神たちは困惑した。

 さすがに盟主たちの判断とあってはそうそう意を唱えられない者が大半だった。

 もちろん、そうでない者もいるにはいる。


 最前列に並んでいた中堅どころの神々のうち、さきほどドドを遮っていたタヌキの女神が口を開く。


「事情はわかりましたけどぉ、うちらにも試験だけはやらせてくださぁい。アルヴェくんもいろいろ考えてたんですよぉ」

「ら、ラグ! 僕を巻き込むなよ」

「やりたいって言ってたのはほんとでしょお? たしかヤッチーもだよねぇ」

「え? おいらは別にどっちでもいいよ。それよりアフラムシカのことが心配だなあ」

「できれば私は再試をしたいがね。少々設定が甘すぎた」


「まあラグランネの言い分もわかるな。あいつらが通ったのはイキエスとワクサレアの一部とヴレンデールくらいで、結局ほとんどの神は試練をやり損ねてるわけだし。不満が出るのも当然だ。

 ゲルメストラ、てめえは却下な」


 中堅の神々の意見にカーシャ・カーイがまとめて答えた。彼の言葉にラグランネは満足げに微笑む。


 そしてやはりヌダ・アフラムシカに関しては、消滅寸前の状態ともなれば強硬に反対する者は少なく、議論は概ねララキに対する意見に終始した。


 アンハナケウは神々にとって憩いの場で、そこに呪われた民を上げることに抵抗のある者は多い。

 とくにまだ試験なり対話なりでララキ本人と交流がない者にとっては、呪われた民という言葉に付随する嫌悪感や野蛮な印象が先行してしまい、そんな人間を入れたらアンハナケウが汚れたり壊されたりするのではないか、というような不安があるようだ。

 別口でそもそも人間自体をアンハナケウに上げたくない潔癖派もいる。


 とりあえず盟主たちとしてはララキを上げることはもはや決定事項なので、不満がある者の話を聞いてやりつつ、何とか納得してもらえるように働きかけなくてはならない。

 具体的には彼らなりの試験の実施を認めることで妥協させるのだ。


 昔のように上の者の一存で抑えつけて言うことを聞かせるなんてことがなくなっただけ、ずいぶんクシエリスルは風通しが良くなったようだと、カーシャ・カーイは思った。


 カーイ個神こじんとしては以前のやりかたのほうが楽だが、それではいつか破綻が起きる。

 それくらいは理解している。

 そして、そういう内側からの破滅を防ぐために、あのいけ好かないライオンの神はクシエリスルなんてものを拵えたのだ。


 その結果が裏切り者の出現というのはあまりに皮肉だろう。それを聞いたアフラムシカがどんな顔をするか見ものだ。

 もっとも、ほんとうならその顔は、カーイ自身が裏切ったときに見るはずのものだった。


 集まってきた中小規模の神たちからそれぞれの言い分を聞かされながら、カーイは視線をルーディーンにやる。

 ヒツジの女神は今日もいろんな意味で美人だ。何も汚いことなど知らないという顔をして、彼女を慕う神々の言葉に真摯に耳を傾けている。


 ──その耳を噛み千切って、俺の声しか聞けなくしてやりたいもんだよ。


 腹の中でそうわらい、カーイは溜息をつく。


 彼女を煩わせるのも裏切り者ではなくカーイだったはずなのに、最近はすっかりお株が奪われている。

 あらゆる意味で面白くなかった。


「……ちょっとぉ、カーイ聞いてるぅ?」

「ん、ああ、聞いてる聞いてる。アルヴェムハルトと合同でやるんだろ、好きにしな。場所は俺が用意してやるよ」

「やったぁ! やっぱ話の分かるヒトっていいわぁ。……ねぇねぇ、あとでちょっと、うちとしよ?」


 ラグランネはカーイに身体を摺り寄せながら、いたずらっぽく囁いた。

 背後で他の女神たちがむっとした視線を送っていることなど気にも留めていない。同じワクサレアの神でもルーディーンやゲルメストラのような生真面目さとは無縁な、自由気ままで奔放な女神なのだ。


 しかし彼女を見咎めたのは女神たちだけでなく、キツネの神が焦ったようすで詰め寄ってきた。

 彼は大陸東端に信仰地域を構えるアルヴェムハルトという神である。


「おい、ラグ、やめろよそういうの」

「あんたには関係ないでしょ~? じゃ、またあとでね、カーイ」


 もちろんそれにも構うことはなく、ラグランネは尾を揺らしながらさっさと席に戻っていく。


 取り残されたキツネの肩をぽんと叩いて、振られちまったな、とからかったカーイも同じくらいひどいかもしれない。


「そんなんじゃないっす……」

「でもよぉアルヴェ、おまえ、ラグランネと組んで試験すんだろ? 満更でもねえんじゃねえか」

「それはラグが勝手に言い出したんです、僕は別に……」

「気がないなら断ることも覚えろよ。そうやってどっちつかずだから、ラグランネみたいな女にいいように振り回されんだ。それともそのほうが都合がいいか?」

「だからそんなんじゃ……あ、アニェムイ! きみは試験をやらないのか?」


 なんとか話題を逸らそうとしたらしい、アルヴェムハルトは急に通りがかりのシロクマの神に声をかけた。


 アニェムイは大陸北端で白ハーシ人に信仰されている、ハーシにおいてはカーイに喰われなかった数少ない神である。

 シロクマはその巨体に秘めた身体能力とは裏腹に、緩慢な仕草で手を振った。


「おれはいいよ、そういうのを考えると頭が痛くなる性質なんだ。カーイもそうだろ?」

「ハン、俺は死なねえ程度っつーのがわかんねえから降りてんだよ、おまえと一緒にすんな」

「そりゃ威張って言うことじゃあないな、ははは」


 このように、あらゆることに対して寛容というか思考を放棄したような態度の神もいる。

 自分の意見がないわけではなかろうが、アニェムイの場合はほんとうに言葉どおり人を試す方法を考えること自体が煩わしいのかもしれない。


 あるいはそもそもクシエリスルだのアンハナケウだのに対してそれほど愛着や熱意を持たない者だって存在する。

 もしそれらが失われても、喰うか食われるかの弱肉強食の世界で充分生き抜いていく自信がある場合だ。


 もちろん長く平和な時代を享受してきた結果、全体的にクシエリスルの神は弱くなった。

 相手を信用することを覚え、捕食者の眼を気にしなくなり、いつしか油断しているという自覚さえ失くしてしまっている。


 果たしてそれは良いことなのだろうか。


 カーイの思う答えは否である。タヌマン・クリャの問題をひたすら先送りにし、呪われた民の末裔をアンハナケウに上げるかどうかなんて瑣末な議題でこんなに盛り上がり、もはや獣であるのは外見だけになってしまった。

 見かけ倒しの牙と爪が並んでも、それらはもう血の味を忘れている。


 裏切り者はこの光景を見て笑っているに違いない。これなら簡単に壊せそうだ、と。


 カーイの予想どおりなら、そいつが済ませているであろう小細工の幾つかは、そのうちオヤシシコロが見つけてくれる。調査結果はカーイにのみ伝えるようにも言ってある。

 その報告内容によって今後打つべき手が決まるが、なんにせよ最後はカーイひとりで決着をつけるつもりだ。


 またルーディーンには嫌がられるだろうが仕方がない。どうやったってカーイは彼女の望まないことしかできないらしい、たぶんそういう運命なのだろう。


 だが、裏切り者にも、そうでない神にも、知らしめてやらねばならない。


 カーシャ・カーイの牙はまだ尖っていることを。

 もし何か間違いがあれば、いつでもそいつの喉笛を噛み砕く用意があることを。



 ‐ - ― +



 ずっと大勢の小さな神々に囲まれて、四方八方から降り注ぐ不満や愚痴を聞き続けるのは、ルーディーンにとってもそれなりに気力を削がれるものだった。

 迎合派のフォレンケとヤッティゴが助けてくれなければどうなっていたことか。


 ヤッティゴというのは大陸南部、イキエス南東部に信仰地域を構えるトカゲの姿をした神である。

 地理的にはドドとヴニェク・スーに挟まれた恰好だが、好戦的な彼らと違って、彼自身は大変に温和な性格で明るく人懐っこい。フォレンケと仲がいいのも頷ける。


 逆に言ってフォレンケとヤッティゴの間に位置する神が気性の激しいヴニェクであることのほうが不思議ではあるが、案外均衡というものはそうやってとられるのかもしれない。


 ともかく話を聞いてやっていたかぎりでは、ほんとうに不満を抱えているのは中堅どころよりもっと小さな神や精霊のほうなのではないか、とルーディーンは思っていた。

 なぜならば彼らは力が弱すぎてララキたちに試練を与えることさえできないのだ。

 そのうえクシエリスルの存続が自身の存亡にさえ関わってくるものだから、なおのことララキの招待に慎重になったり精神的苦痛を感じたりしている。


 彼らのことはルーディーンたち盟主の大神が護ってやらなければ。

 苦しんでいるのなら、それを和らげる措置をとることが盟主としての義務というものだろう。


「ガウヨナの森の精霊たちはなんとか分かってくれたみたいだよ、ルーディーン。他の南部のちいさいのの説得もおいらに任せておくれよ」

「ありがとうございます、ヤッティゴ。フォレンケも忌神たちをほとんど頼んでしまってごめんなさいね」

「気にしないで。いつものことだし、ボクのほうが彼らの相手は慣れてるしね」

「お礼なんか言ってくれるのルーディーンだけだよな。見てほら、ヴィーラなんてティルゼンに丸投げしてるし、あー……カーイはまあいつもどおりだな。

 そもそもドドはどこ行ったんだよ、本来ならおいらに礼言うべきなのあいつだろぉ」

「あの人らは自由でいいよね……」


 ふたりの会話を聞いてふと周りを見回すと、なるほど他の盟主たちはルーディーンほど真剣に対応してやっていないようだった。

 まあ、もともと彼らにそういうところを任せてはいけないと思っているので、今さら落胆することもない。クシエリスルの精神的な安定を図ることこそルーディーンの担当だという自負もある。


 ただヴィーラに代わってひとりで東部の精霊たち全員の相手をさせられているカワウソの神はさすがに可哀想だ。そのうち話を聞いてやるなりなんなりしてあげなくては。


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