043 オルヴァルの森の迷道②

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 三人は疲れないのをいいことにひたすら歩き回ったが、行き止まり地点は単なる岩や樹などだけではなく、底なしと思われるおぞましい色をした沼であったり、今にも噴火しそうな火口だったりもした。

 森の中という地形は完全に無視されていたが、神の結界にそんな文句は通じない。そのうち砂漠とか氷河も出てきそうだなとララキは思った。


 歩みはどんどん遅くなっていく。

 沼に嵌まりそうになったり崖から落ちかけたりしていれば当然、一歩進んだ先を警戒するようになっていったのである。

 迷惑なことに、なぜかそういう危険な地形になっている道ほど、ぎりぎりまで近づかないと先が見えないのだった。霧であったり木の枝だったりが邪魔をするのだ。


「……こりゃあ完全にやられたな」


 何度目かの行き止まりを眺めながらミルンがぼやいた。時間の感覚がまったくなく、身体も疲れないとはいえ、こんな危なっかしい迷路で延々彷徨っているのは精神的にくるものがあった。


 道を寸断している岩に腰掛け、一旦休憩をとる。


「やたらめったら歩き回るのはよそうぜ。また崖にでもぶち当たったら今度こそ誰か落ちかねん」

「でも動いてないと先に進めないよ」

「そもそも進んでいるんでしょうか……同じところを回っているような気もしますわ」

「まったくだ。で、ゲルメストラとかいう神は『知恵を以て森を出よ』とか言ってたし、もしかしたら道の変化に法則性があるんじゃないかと思う。しばらく同じ向きを曲がったりして検証しよう」


 そう言うとミルンは手帳を取り出した。


 こんなめちゃくちゃな迷路に法則なんてあるとは思えなかったが、何もしないよりはいいだろう。三人はそこから先の道をきちんとメモに残しながら歩くことにした。


 十字路。左に曲がると崖に出て、引き返すと行き止まりになっている。

 そこからまた逆に進むとY字路に出た。Y字路を右に曲がると行き止まり、ここも引き返すと行き止まりになっていて、また逆に進むとT字路に出る。


 そうやって記録しながら進んでいくと、うっすら法則のようなものが見えてきた。


 まず十字路に出るたび左に曲がったところ、いつも同じ崖に出た。これはほぼ確定でいいだろう。

 T字路も右に曲がり続けたところ、毎回岩と樹による行き止まりに辿り着くので、これも確定。


 問題はY字路で、これは左に曲がって検証していたのだが、行き止まりに当たるときと沼に出るときがあった。

 それ以外の道に出ることはなさそうなので、ざっくり言えば『Y字路を左折すると二種類の行き止まり』と言えなくもないが、ここだけ結果にブレがあると右折の検証がしづらくなる。


 恐らくY字路そのものが二種類あると思われるが、見た目で判断できないのはまずい。


 何度目かのY字路に到達し、三人は立ち止まる。これはどちらのY字路で、今度どうやって二種類のY字路を見分ければよいのか、その方法を確立しないことには右折に踏み切れない。


「なんか目印とか置いてみる?」

「同じ道に出るというのが、完全に同一の道だということなら有効かもしれませんわね」

「……一応地面に俺らっぽい足跡はあるな。試しに石とか積んでみるか」


 三人はあたりを見回したが、ちょうどいい石がない。

 森の中なので枝ならたくさん落ちているが、石に比べて簡単に崩れそうで、ちょっと目印には心もとない。もっとも結界の中に風なんて吹いていないが。


 石を探すには道を外れて森の中に進む必要がありそうだったが、この迷路状態で道から離れるのは危険だ。どこかで石を調達できたとして、この道に戻ってこられるとは考えにくい。

 それに三人ばらばらになってしまったらもう二度と会えないような気さえしてくる。


 かといって三人で雁首揃えて石拾いというのもなんというか間が抜けている。ゲルメストラとかいう神がそこまで意地悪でなければ、別れたが最後……なんてことにはならないと思いたい。


「一旦分散してみるか。手分けしたほうが早いかもしれないし」

「でも危険じゃありませんか?」

「だよねえ……うーん……でも、こんなことで怖気づいてちゃアンハナケウには着けないかもね」

「ああ。それにこの森から出られるまでに、ゲルメストラがこれ以上何もしてこないとも限らないしな。何かあって分断されたときのためにも集合場所を決めたほうがいいと思う」


 ミルンは手帳の白紙を二枚ちぎって、そこに今まで調べた道の法則を書き写すと、一枚ずつララキとスニエリタに持たせた。もしはぐれることがあっても迷わないように。


「好ましいのはT字路か十字路だが、体感としてはT字路のほうが出やすい気がする」

「でもT字路に集まれたとして、あたしたちってお互いを確認できるのかな。なんとなくだけど、T字路の手前とその先ってもう別の空間になってる気がするんだよね。曲がったらすぐ別の道に繋がっちゃうみたいだし」

「では敢えて行き止まりの地点に集まるのはどうでしょう? いわば道の端ですから分岐はありませんし」

「じゃあ……あ、T字路を右に曲がったとこなら座れる岩もあるしちょうどいいんじゃない?」

「そうだな、それでいこう。──じゃあな」


 そう言うなりミルンは突然背を向けて森へと姿を消した。


 彼が去っていった方角を、女子ふたりはぽかんとして見つめていた。

 何がなんだかわからなかった。なにやら異様に速足だったし、しかもちょっと木陰に入ったかと思った瞬間、ほんとうに文字どおり消えてしまったのだ。


 スニエリタと顔を見合わせながらララキはさっきのミルンの言葉を思い返した。ゲルメストラが何もしてこないとも限らない、というやつだ。


 今まさに何かされたんじゃなかろうか。

 そう思うくらい唐突だった。声を掛ける暇さえないほどの一瞬でミルンはどこかに去っていってしまったのだ、こちらを振り返ることすらせずに。


 びっくりしてしばらく言葉が出てこなかった。結界の中なので厳密には時間は経っていないが、ララキの体感で一分くらいは呆然としていたような気がする。

 なんだあれ、とようやく言えたころ、スニエリタもふうと息を吐いていた。彼女も状況を飲み込むのに時間がかかってしまったようだった。


「ミルンさん、おかしかったですね……あれもゲルメストラの仕業なのでしょうか」

「ね、いきなりどっか行っちゃうとは。あたしたちはとりあえず集合場所を目指せばいいのかな……」

「そうですね、そうしましょう。念のため手を繋がせてくださいな」

「あ、うん」


 女子ふたりで手を繋いで森を彷徨う、というのはある意味三人で石拾いよりもおかしな光景である気もしたが、この際そんなことは気にしていられない。ゲルメストラとかいうやつが思いのほか姑息な神のようだから仕方がない。

 しばらく気になってちらちらスニエリタを伺いながら歩いていたが、彼女は急に速足になってどこかに消えるようなことにはならなそうだった。そうなったとしても手を繋いでいるのでララキも道連れだ。


 この対抗措置を破られることはなく、とりあえずララキたちはもともと突っ立っていたY字路を右に曲がってゆき、その先に広がっていた氷河(案の定あった)でふたり仲良くすっ転んでも手を離さなかった。

 幸い結界の中なので転んでできた擦り傷と凍傷もすぐ消える。


 そこから戻ってみると十字路に出た。T字路ではないので集合場所には行けないが、道の調査はできる。

 直進を選んでみたところふたりの目前に雷が落ちてきた。突然の落雷と轟音に驚いて思わずしりもちをついたが、よく見るとわずか先の地面が真っ黒に焦げていて、そこにひっきりなしに雷が落ち続けているようだ。

 これは紋唱なしに突破できる道ではないので、ほぼ行き止まり同然だろう。


 危ない危ない。ミルンにもらった紙に、十字路を直進すると雷の道、と書き足しておいた。

 あとはここから引き返した先がどの道に繋がるのかを確かめなくては。


 と、そこで気づいた。ララキの左手には紙。右手にはペン。


 スニエリタがいなくなっていた。


 慌てて周囲を見回すが彼女の姿はどこにもない。しりもちをついた瞬間は確かに隣にいたのに、紙とペンを出したあたりから記憶が曖昧だ。

 それにいつの間にか雷の音もしていなくて、目の前にはT字路があった。


 移動してしまったのはララキのほうだったのだ。操られたのかもしれないが、まったく気がつかなかった。

 ゲルメストラのやり口にぞっとしながら、T字路を右に曲がる。幸いなことに集合場所は近い。


 しかしララキの期待とは裏腹に、そこには誰もいなかった。


「……あれ? あれれ? スニエリタはともかくミルンもいないのはなんで?」


 別れてから随分経っているのに、まだ十字路にさえ辿りつけていないのか。


 と思ったが、よく考えたらこの場所に時間はない。別れてから時間が経っている、なんていうララキの感覚のほうが変で、実際にはほんの一瞬たりとも時間は経過していない。


 逆にどうしてララキにそんな感覚があるのか考えてみたが、それは、実際にあのY字路からここまで数十歩歩いてきた、という身体の記憶によるものだと思う。

 歩くのにかかった時間はなかったことにされ、疲労も蓄積しないが、「歩いた」という記憶は残っているのだ。


 ミルンと数十歩、スニエリタとも十数歩ぶんの距離があると感じる。ララキにとってそれは全くの無ではない。

 だいたい記憶が残らなければ道の形や曲がった先の変化を覚えていられない。


 タヌマン・クリャの結界にしたって、ララキはそこに転がっていた石や草の形をすべて覚えている。

 この結界の外はどうなっているだろう。かつてのララキのように、いざ出てみたら外では何百年も経っていた、なんてことにならなければいいのだが。


 とにかくララキは集合場所に残るのをやめた。ここを出るとY字路に着くはずだから、その先の道を調べることにした。

 集まりたい気持ちはあったが、道を移るために敢えて行き止まりに入る必要さえあるような迷路なのだ、また何度でもここに来ることができる。そのとき運がよければどちらかには会えるだろう。


 Y字路を右に曲がったが、氷河ではなくただの行き止まりだった。これを仮にY字路①として記録。


 引き返すと行き止まりで、逆に進むとまた行き止まりで、さらに戻るとT字路に出た。たしかここを左に曲がると、……火口だ。

 そこから引き返して行き止まり、また逆に進むとY字路。

 また右に曲がるとやはりただの行き止まり。


 つまり、T字路を左折して火口を見てから引き返した先のY字路は①になる。

 Y字路①への道は多く、十字路を右折しても辿り着くし、T字路に到っては結局どちらに曲がってもY字路①に着くようだ。


 そうやってどんどん記録していった。


 書き込んでいてわかったのだが、一旦分かれ道の形を確認してから進まずに回れ右をすると、また別の道へと分岐するらしい。つまり分かれ道はぜんぶで十三方向ぶんある。

 T字路を見てから引き返すと、十字路に出る。十字路を見て引き返すと、また十字路に出る。

 Y字路①を見てから引き返すとT字路に出る。


「あとはY字路②から逆のルートか……」


 紙とにらめっこしながら考える。


 Y字路②は右折すると氷河、左折すると沼に着く道だということがわかっているが、逆方向ルートに気づいてから一度も辿り着けていなかった。


 Y字路①に着く道筋ばかりあって、②の道はほとんどない。

 というか、今のところ見つかっていない。闇雲に歩き回っていたときに何度か偶然入り込んだだけだった。


 一生懸命記憶を引っ張りだそうと試みるが、最新でもスニエリタとすっ転んだところしか思い出せない。あのY字路②に着いたときはいったいどこをどう曲がってきたんだったっけ。


 メモした道をもう一度ひとつずつ確かめる。

 T字路、はY字路①と十字路にしか繋がってない。Y字路①はT字路と十字路のみ。……ということは繋がる可能性があるのは十字路だけだ。


 十字路の分岐といえば直進は雷の道、左折は行き止まりからのY字路、右折は不明、曲がらず引き返すと十字路に戻ることがわかっている。左折の先のY字路が②かもしれないが、右折も確認しておこう。

 というわけでさっそく辿り着けた十字路を右折したところ、前方からものすごい風が吹いてきた。


「うおお! ふんぬぅぅぅ!」


 決して乙女が出すような声ではない声を上げつつ、周りに誰もいなくてよかったと思いながらララキは無理やりそこを通り抜けた。

 暴風のため髪はぐちゃぐちゃになり顔も悲惨なことになったが、とくに身体が切り刻まれるとかの恐ろしい効果もなく、あったとして結界の中なので死なないし、とにかく通行可能だということが検証できた。


 果たしてその先は、T字路だった。

 なるほど。ここは進まず引き返せばまた十字路に戻れる。


 いつの間にかすっかり迷路に慣れてしまっていた。十字路に着いたら、今度はY字路を目指すため左に曲がる。

 その先は崖なので気をつけてゆっくり進み、際どいところで崖を確認したら引き返す。行き止まりになったのを確認してまた引き返す、と。


 Y字路に着いた。他の道から行けるY字路はすべて①であるため、理論上ここはY字路②であることになる。

 もはや確認する必要さえないだろう。ララキは頷き、そして踵でくるりと回転した。


 もうすべての道を確認したのだ。だから、もうあとは出るだけ。


「たぶんこの先が出口だよね」

「そうだな」

「でしょうね」


 気がつくと、いつの間にか三人揃っていた。


 右にミルン。左にスニエリタ。

 ふたりとも当たり前みたいな顔をしてララキを見ていたし、ララキもなんだかそこにふたりがいるのが当たり前のような気持ちになっていた。


 どうしてかはわからない。わからないけど、気分がいい。


「いつ来たの?」

「たった今ですわ」

「つっても時間なんかあってないような場所だから、実際のとこどうかはわかんねえけどな。一応答え合わせしとくか?」

「十字路を左に曲がって、崖を見てから引き返して、行き止まりまで行って」

「そこからまた引き返して、ふたまたの分かれ道を見てからまた引き返す、ですね」

「全員同じか。ま、こうやって集合できた時点で正解だろうけど……とにかくとっとと出ようぜ!」

「うん!」


 三人は、ほとんど同時に一歩踏み出した。


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