第29話 弟子、寡欲を知る

「ハルは分かってくれたようだね。」

「はい。」


よろずのが確認すると、遥香は笑顔で答えてくれた。


「課長は??」

「はい、はい。分かったわよぉ~。」


よろずのが念のために確認すると、結衣は不本意そうに答えてくれた。

言われた通りになかなかできない結衣としては、嫌みとして受け取ったのだろう。



「ま、こんな感じで、自分が儲けたいと焦る心を適度に抑えた方が、実績は上がる。これをオレは、『寡欲かよく』と言ってる。」

「かよくって??」

寡欲かよくすくない欲と書いて、寡欲。」


よろずのは、テーブルの上に指で文字を書いて説明した。



寡欲とは、少ない欲のことを言う。

良く『無欲』の勝利と言う言葉は耳にする。

だから、少ない欲にするのではなくて、欲を無くした方が良いのではないかと考えてしまう。

しかし、よく考えて欲しい。

欲を無くすと考えることこそが、欲の発露ではないだろうか??



そもそも、欲が無ければ投資なんぞはしない。

欲があるから、投資をするのだ。

それなのに、無欲を志すと言うのは、自分を欺いていることになるだろう。

投資の世界は、自分を欺いて成功出来るような優しい世界ではない。

だから、わざわざよろずのは、余り使われない『寡欲』と言う言葉を使うのだ。



「欲を減らすことが寡欲なんですね!」


遥香は寡欲を理解した。


「まぁ、そうだね。」

「どれくらいまで、減らせば良いのかな??」

「成功出来るまでだよ。」

「成功出来るまで???」



よろずのは、投資で成功するための知識は、それほど多くないと説明したつもりだ。

多くの投資家は、成功するだけの知識を得ていて、成功するだけの資格がある。

それなのに、その殆どは未だに成功していない。

これは、自分の判断に自信が持てないからだと言った。



投資は対人戦である。

だから、他の投資家の動きによって、自分自身の投資も左右される。

左右されると、自分の判断が絶対では無くなる。

いくら買い場だと判断しても、他の投資家が損失覚悟で売り続けていれば、買っても値下がりしてしまう。

つまり、買い場ではなかったと言う焦りが、自分の中に生まれる訳だ。



自分は、どうして買い場と判断したのか?

それは、大きく売られて、安くなっていたからだろう。

安いから買い場と判断したなら、更に安くなっても買い場であるのに違いない。

更なる買い場が続いていると判断すれば良いだけなのだ。



ところが、多くの投資家はそう考えられない。

ピンポイントの底で買いたいと考えているから、続落すれば失敗と考えてしまう。

先にも言ったが、安いという理由だけで底にはならない。

売りたい投資家が売り尽くして、初めて底を形成するのだ。

そうなると、底かどうかを判断するには、他の投資家の動向を知らなければならない。

そんなことが、果たして普通の投資家に可能なことなのだろうか??

遥香は説明を聞いて、そう感じた。



「可能なんですか、そんなこと?」


遥香が相づちを打つように、尋ねた。


「一言で答えるのは難しいな。可能な場合と、不可能な場合がある。」

「可能な場合って、例えばどう言う場合なんですか?」


そこでよろずのは、先にも話題になった数年に一度の大暴落の話をした。



多く株が売り続けられると、世間が株安で騒がしくなる。

普通のニュースでも株安は取り上げられ、政府の対策が求めるような論調一色になる。

国民生活への悪影響が取り沙汰され、国民誰もが不安に駆られる。

信用評価損率は-20%を簡単に下回り、多く投資家が苦痛に喘いでいる。

そんな時に、更なる悪材料が出て、何もかもが売り気配で始まる時が買い場で、予見可能だとよろずのは、言った。



「それって、なんか世界の終わりのような状況じゃないですか?」

「そうだよ。世界の終わりのような状況。のような状況だけであって、世界の終わりじゃない。だから買い場なんだ。」

「なるほど。」


納得する遥香に、よろずのは説明を続けた。


「『いんきわまれば陽に転じ、ようきわまれば陰に転ず』と言うのが、陰陽家おんみょうかの格言にある。」

「おんみょうかって、陰陽師おんみょうじと関係あります?」

安倍晴明あべのせいめいか??」

「そうです。」

「日本の陰陽師は、陰陽家のことだよ。本来は、陰陽五行説いんようごぎょうせつと言う考えに基づいて、世界の理を見つけようとした学派のことだよ。」

「ヘェ~、初めて聞きました。」


よろずのの話に、遥香は興味をそそられた。


「『陰極まれば陽に転ず』、つまり、最悪が極まると、後は良いことしかないってこと。世界の終わりみたいなんだから、当然、陰の極みでしょ。だから、そこからは上がるしかなくなる。」

「『陰極まれば陽に転ず』かぁ~。」

「これは、世界の理の一つだから、覚えといたら良いよ。」

「そうなんですか!?」

「おみくじが『大吉』だと嫌じゃ無かった?」

「『大吉』って、一番ですよね。どうして嫌なんですか?」

「『大吉』は、老陽ろうようともいうんだよね。」

「ろうよう?」

「老いる陽と書いて老陽。つまり、今が最高で、これからは悪くなる、下がる一方だと言うことにらなる。だから、『大吉』を嫌がる人がいるんだ。」

「ヘェ~~~。」


遥香は、『大吉』を嫌がる考えに、そう言う考えもあるんだと思った。

ただ、やっぱり自分は、それでも『大吉』が良いとも思った。



「ちょっと話が逸れたけど、欲が多いと、今言った暴落の途中に、反発したら買えずに損すると考えて買ってしまう。すると、やっぱり失敗になる。そうなると、やっぱり欲がまだ多過ぎるんだと思わない?」

「思います。」

「だから、まぁ、そこが指標になると理解したら良いよ。まぁ、卵が先か鶏が先かと同じで、成功したから寡欲になるのか、寡欲になったから成功したのかは、分からないからね。」


笑いながら言うよろずのを見て、遥香はよろずのの考えの一端を見た思いがした。

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