154恥目 四分五裂の導火線


 あんまり酷い話だった。


 呪いが何だ、伝承が何だ、遺伝が何だ。どうやっても救えないのは酷いじゃないか。努力は報われない、それは時々ある事。けれどあんな言い方じゃあ、努力は全て無駄だと言っているようなものだ。残酷がすぎる。


 信じなければいいと思った。子供は嘘つきだ、けれど尽斗も似たようなことを云う。

 要の未来は変えられない。ただ、ただ、苦しい。自分が苦しいわけではないのに、身が引き裂かれそうになり、何度もえずいた。自分の事のように悲しかった。


 酒を飲んで忘れよう、楽になろう。何も聞かなかったように振る舞おう。気なんか使わずに接してやろう。最近はまともになろうと必死で、アイツと話せてなかったから、ダメなお兄様になってやって、世話を焼かせよう。


 尽斗と宇賀神、それから勝と酒を飲み回り、アルコールで、耳に入れた毒を全て洗い流した。宇賀神と尽斗が両脇を支えてくれないと歩けないほど飲んだ。ヨロヨロと骨が抜けたように歩みを進め、しかも少しでも話すと酒が苦手だという勝が匂いで咳き込むくらいだ。白金台の家に着いたのは、もう日付が変わりそうな時間だ。


 石の階段の上に立つ家からは、黄色がかった柔らかい灯が漏れている。扉を開けたら、第一声に「ただいま」と笑顔で言われて、その次に「こんなに酒臭くなって」と服を剥がされて、風呂に入れられたら、体を洗われて、それから水を飲まされてから布団に転がされるだろう。

 

 幸せじゃないか。アイツと出会った頃に戻ろう。変にまともに働くより、ダメ人間になって面倒を見てもらっている方が要もイキイキするんだから。そう言うとさ、3人共妙に腑に落ちたような顔をするんだよ。だからこれが正解なんだ。


 階段を登り、扉を開けたら「帰ったぞ」と大声で居間に帰宅を知らせてやった。バタバタ足音が聞こえてくるぞとニヤついて3人をみては、ゴロンと玄関に寝転がってやるのさ。

 大袈裟に騒いだりしてやってさ。なのに要は来やしない。


 代わりにゴツゴツと身勝手に意思の固い足音が聞こえて来た。


「何じゃ、酒臭いのう」


 寝そべる俺に声をかけてきたのは司。なんでコイツが。

「何でお前がいるんだ」と問いかけると「話がある」と申告な顔をされた。一気に酔いが覚めたのは言うまでもない。

 居間に通されると、薫と撫子と知らない子供が1人いて、人の家でダラダラ過ごしている。


「要は」


 寒気がした。ここに住んでいる奴が1人も居ない。乗っ取られた気分だ。

 すると長い髪を垂らした薫が、鼻で小馬鹿にしたように笑い、はしたなく日本酒の酒瓶の口元を唇で蓋った。


「皆一言目には要、要って。本当のあの子を知ったら嫌いになるよぉ? 天性の嘘吐きでしょ」

「……は?」


 酔っているのか。態度が悪いのは元々だが、今夜は特別悪かった。着物から足を恥ずかしげもなく出し、鼻で笑って挑発する。

 すると俺に指差し、空中で円をかきながら饒舌に話だした。


「あの子が性別偽ってるの知ってる? 知らないかなぁ。あの子ねぇ、過去の話もすんごいの。聞いてみる? この子ね、直くんっていうんだけどさぁ、あの子のお兄ちゃんと暮らしてるんだって。ねぇねぇ失格さん、早いうちにあの子とは手を切った方がいいよ。なっちゅうさんだって、そうしたよ?」


 薫の言う事は意味不明だ。本当の性別は知っている。

 薫はやけに煽って話すので、会話をやめたかった。宇賀神は下手に会話に入るまいと様子を伺って、尽斗はハァハァと呼吸器を乱した。


 直と名乗る少年と軽い挨拶のような会釈をすると、俺や他の了承も取らずにまぁベラベラと他人の事を話し始めるのだ。


「学って言うのが要の兄貴なんだけっどや、酷ぇんだよ。昔兄弟や父親とヤったり、暴力事件起こしたりたかしったんだと」

「それは確かなのか?」


 人の言うことは時々、当然と言っていいほど適当な事がある。


「当たりめぇだべ! やられた方は記憶に焼き付いてっから苦しんでんだ」と直はどこか聞き慣れた地方の言葉を使って怒号のように云う。

「かっ、要はそんなこと、しないと、思うよ」と遮って娘を庇おうと尽斗は云う。


 そうだ。要はそんな事はしない。兄貴って名乗る奴がいるなら、それだって嘘だ。あまくせの兄貴は俺なんだ。俺がそんな悪く言うはずない。


 司だって、薫だって、そのくらいわかるだろう。なんで信じてやれないんだ。人を不幸に追いやるのが楽しいのか。

 どうしようもない絶望が再び襲ってくると、司はまた追い討ちをかける。


「いいや、檀さん。人はみかけじゃわからん。その証拠にな、要のヤツ、自分の過去は忘れたとしか言わんかったろ。直の話を聞いたらヤケに腑に落ちてな。人様に言えんような過去じゃったから言えんかったんじゃよ。いい奴だと思っとっただけに、俺らは失望しとる。嘘吐きじゃ、アイツは」

「直くん……でしたっけ。司くん達は今日会った子の事ばかりを信用するんですね? 要さんと過ごした時間は信用材料にはなりませんでしたか?」


 良かった、宇賀神は味方でいる。


「直の事だけじゃないんじゃ。撫子の事も裏切ったと言うとるしのぉ、何より俺が許せんのは中也さんの人生を妨害しとる所じゃ。早く結婚して子供を産まんといけんのに、いい人ぶってたぶらかしとった」

「要が中原をたぶらかしてた? いいや、完全な真心だったよ」

「修治は要に洗脳されてるんですわ。子供の希望まで奪っておいて、真心だなんて笑ってしまいますもの」

「お前のはそっちが勝手に失望しただけだろ」

「何を言われても、裏切られたんだからそれそうの報いを受けて頂かないと気が済まないんですの」


 何を言っても、この4人とは平行線のままだ。自分は裏切られた側の被害者、許せないから要のボロを出して追い詰めよう。そういえばあの人、こういうところがあった...なんて、好き勝手に悪者へと育て上げる。


 直の言う要の過去はどれも中身がない。撫子のいう裏切りに要の悪はない。薫も司もそれを鵜呑みにして、性別を偽っていたのを責め立てて何がしたいのだ。


 それに中原の結婚なんていうのは、そんなもの無理矢理しなくたっていいと思う。確かに嫌いだし、いけすかないのは確かだけど、要を守ってやろうとするのは本心からだと思う。今姿がないのは、要を探しに行っているからだ。そうに違いないんだ。


「俺は悲しいよ。それだけの関係だったのかい」


 胡座をかき、心情を吐露すると、薫は信じられないと言いたいようで、パチンと平手で俺の左頬を打った。

 

「それだけって……嘘つかれて騙されたんだよ? 薫達被害者じゃん! それに、暴力してた人と一緒にいたくないし、兄弟とするとか本当ないよ! 気持ち悪い、失格さんも目を覚ましなよ! 騙されてるんだって!」


 頬にジンとした痛みが残る。この痛みこそ呪いだ。自分の意見を押し付けて、暴力で従わせようとするのだから。お前が嫌う暴力とは何が違う。一緒だ、お前らだって身勝手だ、まるで正義を語っているようだが、最低な言い分だ。


 これじゃあ騙す方が辛い。騙す方が騙される方より何十倍も辛い。要は1人で十字架を背負っているのに、それに追い討ちをかけられている。


「出ていけ」

「はあ? 話を来ていたんですの? 私達はどうしようもない貴方を助けて差し上げようと――」


 俺を助ける? 何を抜かすんだ。ただ自分たちがいいようになりたい、したい

だけのくせに。もう我慢できなかった。怒りが頂点を越え、目からはぼたぼたと涙が溢れ、自分を全否定されたような、酷い孤独に襲われた。


 信用できない悪魔達の首根っこや手を鷲掴んで玄関まで連れ出した。荷物も履き物も全部外へぶん投げて、二度と戻って来ないように支度してやる。


 悪魔達はここでも被害者面。寒いと嘆く余裕もあるのだから、幸せ者だ。


「人ん家に居座るな! 出ていけ、出ていけ!」


 奴らが敷地を出るまで、何度も叫んだ。近所迷惑だとは誰も言わなかった。薫は「たっくんはこっちじゃないの」と義父を味方につけようとしたが、宇賀神は黙り込み、家の奥へと入っていった。


 諦めた悪魔達は文句を垂らしながら階段を降りていく。


「撫子!」


 勝が撫子の名を呼んでも、振り向きもしなかった。信頼していた人間の意見が少しでも違うと人は平気で裏切れる。自分の主張は大きくするくせに、他人に自分がされたことを返しても何も思わないのか。


 それでも凹まず、勝は叫ぶ。


「自分の思い通りにいかない事を、裏切りなんていうのは違うと思うよ」


 彼の言葉に司は一度立ち止まった。けれど、もう後戻りは出来ないと迷いながら足を進めているように見える。

 

 過去は誰にだってある。隠したくなる過去もある。それの何が悪いのだ。何か過ちを犯したのなら、過去の過ちと向き合う事も大切だ、要はそう教えてくれた。


 けど、アイツの過去はそうじゃなさそうじゃないか。母親に捨てられて、父親が自殺して、それだけで十分辛いじゃ無いか。

 中身の無い法螺話のような悪口を聞かされたもんだ。


 可哀想で、可哀想で、尽斗の肩を抱いてやった。あれが嘘だと思っていても、やはり心の折れた時の事を思い出すと苦しくて泣いてしまう。

 何を想っているかは聞かないでやった。だってもう、あの嘘を頭の中で考えてしまったら、違うとわかっていても嫌になる。


 宇賀神だって感情を押さえ込むように涙を溢しているんだ。コイツは過去云々ではない理由で泣いている。


「こんなに、脆いですか」

「ああ、世の中薄情者ばっかりだよ」


 俺たちは要の過去を知りたいわけじゃ無い。何故泣いているかと問われたら、もうわからないけど、兎に角悲しくて仕方ないんだと言う。


 人と人を繋ぐ糸は脆い。繋がっているうちは太く丈夫な糸に見えるのに、何かのきっかけで導火線だと気付く。そして、火が着くと爆発して、一瞬で無くなる。

 正義とは何か。悪は何か。今、心が苦しいのは、きっと自分の正義が悪として睨まれたからである。

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