144恥目 被害者ヅラ


「またダメだった・・・・・・」


 しゅーさんが突如始めた就職活動。結果は予想どおり惨敗で、彼のやる気をどんどん削いでいるに違いない。不採用通知が届く度に心の奥底で喜んでしまうのは申し訳ないけれど、このまま上手くいかないでくれた方が、僕には都合が良い。


 あと何社か落ちれば諦めてくれる筈だ。

 それが、今までのしゅーさんだったらの話だけど。


「よし尽斗。今回の面接でなにがダメだったかアドバイスをくれないか。次に生かしたい」

「良いですけど、僕は面接官なんてしたことないですよぉ。拓実さんも頼りましょう」

「そうか、そうだな。という訳で行ってくる。飯は要らないよ」

「あいよー気ィつけてな」


 遊びに来ていた父さんを連れ、先生の元へ面接練習をしに行くと言って出かけて行く。本当に就活生の様で、毎日慌ただしく背広で出かけて行っては、夕方ごろに帰宅して執筆活動ではなく履歴書を書くのに必死になっている。

 志望動機は変でないか、会社勤めの経験がある志蓮や文人を頼って何度も書き直しているのだ。


「兄さん、マジになってんなァ」

「何がそうさせるんだろう・・・・・・文人って仕事したことあるんだね」

「これでも平成じゃあまともに働いてたんだぜ? 中也達も遅いみたいだ、飯食っちまおう」


 文人は2人分の食事を用意すると、やたら話したそうにしたがるので、職業は何をしていたのか聞いてみた。すると当ててみろと勿体ぶるので、思いつく職業を言って行く。

 飲食店、眼鏡屋、土木作業員、パチプロ、競馬プロ、風俗のスカウト――しかしどれも当たらない。

 いい加減教えてくれよと言うと、箸を丁寧に揃えて置いて最後にドヤ顔だ。


「公務員。しかも役所勤め」

「嘘だ! お前がいたら街が潰れる!」


 こんな不真面目で借金まみれだった男が公務員だなんて信じられない! 役所勤めと言われると、余計お堅いイメージがあるから驚きだ。だってちょっと前の文人なら、町の金を横領して、全額風俗とかに使ってしまいそうな人だったもん。


「流石にそんな度胸ねえよ。食い逃げも昭和に来てからやった事だしな」

「あー懐かしいね。そういたそんなこともあったよ。それで、何課にいたの?」

「俺は国民年金課。年金って複雑なんだよなァ」

「年金ねぇ・・・・・・支払うの大変だった記憶があるや。そういえばこっちも来てから支払ってないかも! 督促状とか来てなかった!?」


 平成でも何度か見てしまった支払いの催促状を思い出す。あの封筒に何度心臓を握られた気分になったか。今まで届いた郵便物が全て保管してある箱をひっくり返す。


「制度自体ないから安心しろ。まあ仮にあったら、兄さんには確実に督促来てそうだよな」

「あれ見ると吐きそうだよ」

「お、お前も滞納してたクチか?」

「最終的には全部払ったもん・・・・・あ、正社員になってからは来なくなったかな」

「そりゃあ厚生年金に切り替わっただろ? 会社と折半で給料から自動的に引かれるやつな」

「そうなんだ、知らなかった」


 文人は得意げに年金の知識を披露してくれた。国民年金と厚生年金の違い、仕組み、歴史、どれもチンプンカンプンで頷くことしか出来ないけれど、平成では真面目に仕事をしていたことが窺える。

 もしも昭和初期にも平成の年金制度が実在していたら、しゅーさんが会社勤めになったら厚生年金に加入だと説明された。


「そうだ、文人はしゅーさんがどうして就職する気になったか知ってる?」

「文治さんにケツ叩かれたんじゃねェの? お前が知らねェなら知らねェわ」


 知識披露大会をぶった斬ってしまったからか、途端に素っ気ない言い方をされた。ごめんと一言謝ると、食べ終えた食器を片付けてくると行って席を立たれてしまう。

 最近は気が落ち込みやすいから、誰かの些細な変化にも敏感になって「嫌われたかもしれない」と焦ってしまう。

 せめて表に出さないように、口の中を強く噛んで表情を殺す。


 昭和に来たばかりの僕には戻れない。せめて、みんなの迷惑にならないような生き方をしないと、居場所を壊してしまうから。

 誰にも嫌われたくない。文人にも少しだって嫌われたくないんだ。気持ちより先に、体が僕の気持ちを察して立ちあがり、文人が立つ台所へと急いだ。


 皿を洗っている彼から、たわしと皿をぶん取り黙々を洗う。文人は驚いている様で、心配そうに顔を覗き込んできた。


「急にどうしたんだよ」

「嫌な気持ちにさせたと思って」

「なにもしてねェだろ? どした?」


 文人はわかっていないんだ、自分の機嫌がほんの少し悪くなったことに。ほんの少しだけ、眉を顰めたことに。

 僕は文人と目を合わせるのが怖くて、皿を見つめて、あるはずのない汚れをしつこく落とそうとたわしで擦る。


 ただ皿洗いをしているだけなのに。それだけなのに母さんの声が聞こえてくる。

 僕は毎日、自分は食べていない食事の後片付けをさせられていた。洗剤で手荒れした手が痛痒くて仕方がなく、寝ている間に掻きむしってしまうから傷が出来て化膿し、辛くて辛くて、何度医者に連れてってくれと頼んだかわからない。

 すると母さんは「そんなに綺麗な手でいたいの? 誰もアンタの手なんか見ちゃいないわよ。誰に握られる訳じゃないんだから、汚れたままでいなさいよ」と、綺麗な赤色のマニキュアを塗った白い手を見せつけてくる。


 今の僕の手はどうだろう。洗うのをやめて掌を見ると、硬くなった豆と切り傷、それからジワリジワリと忘れていた傷が浮かび上がり、僕の記憶は嘘でないと証明してきたのだ。

 

 痛くも痒くも、滲みたりもしないのに涙が我慢できない。また傷が増えた。こんな手ではマニキュアなんか絶対に似合わないんだもの。


「おい、大丈夫かよ。何か言っちまったか? なあ、なんで泣いてんだよ」

「違う、違うの。何でもないの。ごめんなさい」


 泣いているんだから、何もないわけがないのに、理由を聞かれたくなくて、言い訳を探した。自分でも何を言っているかわからないから、文人もますます混乱するばかりだ。

 

 こんな自分が嫌だと自己嫌悪に陥ると、まだ涙も止まぬうちに玄関の戸が開き、最悪のタイミングであの人が帰って来てしまう。


「丁度いい! なあ中也、要が急に泣き出したんだよ、何とかしてくれって」


 文人は困っていたので、帰宅したばかりの中也さんを台所に引っ張ってくる。僕はさっきまで不安だったのに、急に慰めてもらえることを期待し始めた。中也さんならきっと、この手のことも聞かずに抱きしめるか何かしてくれる筈だと期待したのだ。


「何かしたの?」

「い、いえ、あの・・・・・・」


 お帰りなさいが先なのに、しゃっくりが混じる。僕が何も答えないで黙り続けていると、中也さんはゆっくりと瞬きをしながらため息をついた。


「何を思っているか言ってくれないと解決できないよ。こんなこと言いたくないけど、最近に要は察して欲しいが多すぎる。俺も疲れてるんだ。良い大人なんだからあまり泣かないでね」


 そう言うと、彼は着替えに寝室へと向かった。確かに疲れているような顔をしていた。別に、今だって僕を嫌って言った訳ではないのに。ただ、一般的な意見として忠告してくれただけなのに。


 僕は冷たく突き放されたと思い込んで、傷ついている。これ以上泣いたら、本当に嫌われてしまうと強く思うから、何とか持ち堪えることが出来た。泣かなければ嫌われないんだ。

 思ったことは言わなくちゃ、相手に伝わらない。全部出来ていたことなのに。

 平成の僕はこんなに臆病で価値のない人間だったのだと思い知らされる。


 嫌われたくない一心で、欠けた茶碗を手相の線に沿ってジリジリを押し付け、わざと傷を作った。赤い鮮血が滲み出ると安心する。これで言い訳が出来る、と。


「文人、ごめん。手を切ったんだ、痛くて声に出ない時ってあるじゃん」


 わざと作った傷を見せる。水に混じった血はサラサラと腕を伝い、脇まで滴ってきた。文人は傷を見たのに、安心したような表情で膝に手をついた。


「何だよ! 急に泣くからビビったわ! はー、中也じゃねェけどよ、女特有の察してかと思ったわ。俺変わるから傷なんとかしてこいよ」

「悪いな」


 皿洗いを交代する。今度は本当に痛そうな演技をしながら、申し訳ないと笑ってみせた。居間の救急箱を取り、箱を開けると包帯やガーゼが押し込まれている。僕はそれを着物の中へ隠し、傷はそのままにした。


 寝室に視線を送ると、中也さんが着替えている姿が見える。謝った方がいい。そんなことはわかっている。だけど、裏切られた気持ちでいっぱいなんだ。

 泣いているのに、欲しい言葉が貰えなかった。一方的な被害者意識が彼を遠ざけたいと、家に居づらくさせる。


「文人、包帯も何もないから買いに行ってくるよ」

「ねェの? じゃあ中也と行けよ」

「ううん、いい。疲れてるって言ってたでしょ」


 そうか、と文人が納得したことを確認したら、財布を持って出かけることにした。初代さんは仕事で家を開けることが多くなったから、夜に1人で出かけても何も言われない。

 こんな時間に薬局も雑貨屋も空いている訳ないのに、文人はよく家から出したなあ。


 今頃しゅーさんたちは楽しくしてるんだろうか。未来に向かって歩む兄を見るのは嬉しいことの筈なのに、誰も彼も羨ましくてしょうがない。僕だけが立ち止まって置いて行かれているみたいだ。この妬みも、働くようになれば消えるのかな。夜空に見える星の瞬きさえ妬ましいよ。僕は落ちるとこまで落ちて行くのかな。


 さっきわかったことだけど、どうやら平成の僕では受け入れてもらえないみたいだ。何も言わず、ただ生きているだけの僕は迷惑のようだ。


 昭和で生まれた理想の生出要に、どうしたら戻れるか考えよう。本当の私は早く殺して、記憶に左右されないような気持ちを作らなきゃ。

 好かれる、必要とされる要で居なきゃ――。


 感情を押し込めば押し込むだけ、また涙が出て来ちゃう。せめて、誰か1人でいいから平成の私を受け入れてくれる人はいないかな。


 誰か助けて。叫びたいのに、許してもらえない。僕には綺麗なマニキュアより、真っ赤な鮮血を流す方が似合うみたいだ。


 母は偉大なり。全部全部、母さんの言う通りなんだ。


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