140恥目 名探偵・要

 友達の家に行くと言って5日程前の明朝に出て行ったしゅーさんは帰って来ない。さすがに心配になって、先生に何処の誰の家にと尋ねたりしてみたが、知らないの一点張りで困らせるだけだった。


 時期に帰ってくるさ、なんて呑気な事を言われたけど、みんなはわかってない。


 3月になろうとしている今日から考えると、留年しそうなのかもしれない。バレるギリギリまで身を潜めて、怒られる時に怒られるつもりなんだ。留年するのなら、文治さんの所に一緒に怒られに行くのに。やっぱり2度目はないのかな。


 逃げてるだけならいいけど、もしお馴染みのアレを考えていたら・・・・・・そう、しゅーさんは思い詰めると死にたがる。

 もしかしたらと最悪の事態を想像すれば、全身の毛がサワサワとしていても経ってもいられない。

 

 今日こそら正座で足が痺れる前に探しに行こうと思う。そのチャンスが今だ。


「もう我慢出来ない! 探しに行く!」

「要さん! ホント、行かなくて大丈夫ですよ」


 ワイシャツの袖をギリギリと引かれ、外出するのを止めるのは先生だ。しゅーさんが居なくなってからというもの、ずっと先生が泊まっている。


 それだっておかしい。なんで先生がずっと居るのさ。思った事をそのままそっくり問えば、先生は目を逸らした。さらに問い詰めると顔まで逸らす。


「えぇと、最近1人で眠れないから・・・・・・」


 先生がこめかみを人差し指でポリポリ掻く時は嘘をついている時だ。5年も付き合っていれば大体わかる。


「しょうもない嘘付かないでください!」

「ほ、ホントですよ! 修治さんが居ないんですし、寝床はあるじゃないですか! 彼が帰宅するまで泊めてください!」

「じゃあ泊まりたい理由を述べてください!」

「家にゴキブリがいるんです・・・・・・!」

「さっきと理由変わっとるやないの」


 隙なくツッコミを入れる志蓮。僕が言いたかったのに!

 頑なに帰らないなら、先生としゅーさんは確実に絡んでいる。先生は知っているんだ。しゅーさんが何処の誰の家に行って、何故身を潜めているのかをーー。


 でも何故先生がしゅーさんに協力しているのんだろう。普段なら何か小さい事でも僕に報告してくれる先生が、今回は口を割らない。何か貰ったのか? 賄賂的な?


 いやいや、しゅーさんが賄賂なんか渡せる訳ない。お金なら先生は受け取らないと思うし、家に先生が欲しがりそうな物もない。


 今回は実に不思議な家出だ。

 もしかすると他に協力者が? こうなれば今家にいる全員に事情聴取だ。


 この名探偵・要が必ず真実を暴いてしゅーさんの悪事を突き止めてやるってんだ。


 それを文治さんにチクって怒られてもらえば、今後僕に内緒で居なくなるなんて絶対にしない筈だもの!


 まず1人目は、寝室で翻訳の仕事に精を出す中也さん。横顔が相変わらず素敵ですが、何日にも放置されている髭が凄いです。


「中也さんはしゅーさんがいない理由知ってますか?」

「死んだんじゃないかな」

「しゅーさんが死んだら、僕は平成に帰れないんですけど・・・・・・」

「帰らなくていいよ・・・・・・え・・・・・・帰る気で居たの?」


 中也さんが寂しそうな顔で僕を見るんだもの、胸がギュウってなる。


「あんまり考えてないですけど・・・・・・」

「まあいいや。あんなクソ野郎の事はいいから隣においでよ」


 髭が気になるけれど、隣に来いとゴザを優しく2回叩たかれるから側に行きたくなるのが性ってもので。

 仕事中だから邪魔になるとわかっているのに、そろりそろりと足は向かう。


 後はしゃがめば寄り添えるというところで、居間から空咳がゲホゲホと聞こえて来た。

 あまりに大きくて苦しそうだから、寝室を離れる。誰だと言えば、その音の正体は志蓮。


「大丈夫?」


 風邪でも引いたのかと声をかける。


「いや、持病の嫉妬が・・・・・・」

「持病の嫉妬」

「もう平気よ。心配してくれたん、嬉しいわぁ」


 ニパッと満足そうに笑うけど、嫉妬ってなんだよ。


「ちなみに志蓮はしゅーさんがいない理由知ってる?」

「知らんよ。ちなみに尽斗さんも知らんて言うとった」


 いつも一緒に居る父さんまで知らないのか。だとしたら、この家の人はやっぱり誰も知らないみたいだ。

 大学に行って交友関係を漁る方が確かかな。

 もしかしたらしゅーさんの師匠のお家とか?いや、カフェの姉ちゃんの所とか、シンパ時代の仲間とか、同人仲間・・・・・・意外としゅーさんが行きそうな場所って沢山あるなぁと、交友関係の広さを羨ましく思う。


 もしかして調べても無駄? ムラサキケマンを見ても何も感じない所を見ると、大丈夫って事なのかな。あまり深く考えず、帰って来たらお説教にしとこうか。


 うん、そうしよう。自分の中で解決すると、後ろからひょっこりと顔を覗き込む奴がいる。


「尽斗さんって誰じゃ?」

「うぉおい、まだいたのか!」


 司だ。先生同様、暫く此処に居る。


「お前が居ろって言ったんじゃろ? なぁ、尽斗さんって・・・・・・」


 しかもコイツには父さんが僕の父さんである事を明かしてない。父さんの名前は檀一雄であると伝えてある。

 だから尽斗の名前を聞いて不思議に思い、訊いてくる事は自然のことなのだ。


「修治さんのお友達です。悪い事を企む時に世話になりにいく、言わば悪友ですね」


 先生がすかさずフォローを入れてくれる。


「はぁ。そんな友達がおってもロクな事にならんと思うけどのう。まぁ修治さんらしいな」


 悪友の括りは司の嫌いな物に含まれるから、それ以上の事は質問して来ない。

 そのかわりに、何を探っているのか尋ねて来る。僕は皆にした質問をそのまま答えると、司は確かではないと保険をかけて言葉を返した。


「初代さんがの、修治さんがお兄さんに許してもらわんといけん事があるー言うちょったって。内容まではわからんがのう、初代さん最近機嫌が悪いで、何か関係あるのもな」

「確かに機嫌が悪いねぇ。あんまり話さんと家を開けるようになったし」


 司と志蓮の話で、最近の初代さんの様子を思い出す。


 仕事の量が増えたと言って家を開けるようになり、そのストレスでツンツンしているんだと思っていた。


 けれど司の話が本当なら、しゅーさんと初代さんの間に何かがあって喧嘩になった。とか?


 なるほど。家出の理由は夫婦喧嘩かもしれない。

 と、なれば。文治さんに許されなければいけない事を想像する。


 夫婦の間で起きて、兄に許されなければいけない事。うーん浮かばない。


 すると司がまさかと言う顔をする。それから深刻な空気を作り出し、声を顰めた。


「もしや、離婚ーーちゅうことはないじゃろうか・・・・・・」

「離婚!?」


 思わず揃う、離婚という言葉。

 ありえる。辻褄が合う。


 しゅーさんは離婚の為に青森へ出向き、その許しを得ようとしているのかもしれない。

 先生はそれを知っていて、正式にOKが出るまでは、内緒にしておいてくれと口止めされているんだ。


 そうか、成程。それなら納得出来る。

 まさか津島夫婦が離婚を考えているだなんてーー。


 ますます事態は深刻だ。


「拓実さん、どうなんじゃ!」


 真実を知っていそうな先生に視線が集まる。彼は目を合わせないようにして、天井を見つめたりする。


「り、離婚ではないですよ・・・・・・そういうのではなくて・・・・・・正直、僕も事情までは・・・・・・」

「目を逸らすっちゅうことは、嘘をついとる証拠じゃぞ」

「嘘なんて、そんな」

「ならどうして言えんのじゃ」


 司が先生を詰めた。離婚でないのは本当かもしれない。


 すると志蓮が「もう忘れたんかな」と苛立ちを含んだ独り言を吐いて、またいつものように穏やかすぎて胡散臭い笑顔を作る。


「藤重クン。今は悪い意味でなければ何を言っても無駄な雰囲気や。拓実サンはしゅーさんとの約束を果してるだけやろ? 約束破ってもうたら、しゅーさんとの信頼関係もなくなるし、かと言ってボクらに話したところでプラスには動かん。それなら拓実サンには何の得もないやん。あんまりしつこく聞いたらあかんよ」

「でも」


 司も負けじと反論しようとしたけれど、志蓮の方が早かった。


「理由は本人から聞くんが1番ええの。いらん事で誰も傷つかんやろ」


 笑顔に見え隠れする、怒り。いつもの声色とは違う。さすが祗候館の看守長だっただけある。その怒りを察すれば、あの司だって黙ってしまう。


 志蓮の言う事は正しい。けど、誰の為の怒りだろう。正しいと思っただけかな。なんか、余計な事を言わないように監視しているようにも見えた。


 いいや、気のせいか。しかし、曇天の下にいるような空気になっちゃったや。

 司も先生も息がしにくいだろうから、なんとかしないと。


「でもほら、1番悪いのは居なくなったしゅーさんだし? なんかゴメンな! いつもいつも、うちの兄貴が・・・・・・」


 ピリついた空気を変える為に、僕も詮索はやめて努めて明るく、ぺこぺこ頭をさげながら謝った。


 中也さんが「帰って来たら殺してしまおうか」と冗談に聞こえない冗談を言うと、皆が口々に「本気でやりそう」と志蓮が怒らないか確認しながら笑う。


「ボクも言い過ぎたわ。ごめんね」


 志蓮も手を合わせて謝る。雰囲気は良くなったんだから、後は食事でもしながら、いつ帰宅するかもわからない津島夫婦の帰りを待ってみる。

 文人が帰ってきたら心配はいらない。


 酒が入れば、もしかしたら今頃、夫婦で旅行していたりしてなぁと司が言うもんで、そりゃあ取り越し苦労だとますます明るくなった。

 

 そうしていつの間にか夜も明けて、次の朝日が登る。

 好き勝手した後の僕らは酒が回り、気持ちよく眠っていた。


 すると静かに戸を引く音が聞こえる。そっと閉め、ゆっくりは着物を脱ぎ、廊下を慎重に歩く足音もする。


 すぐにしゅーさんだとわかり、飛び起きた。

 目は大きく開くけど、飲み慣れない酒のおかげで二日酔いだ。右側の頭が痛むので、手で押さえながら足音の方に向かう。これも酒のせいかな。なんだか胃やらなにやらムカムカする。

 

 居間と廊下を隔てる襖を開けたら、久々のお兄様のお顔を拝見。


「おかえり」

「ダァアッ!」


 お兄様ったら大袈裟で。腰を抜かし、荷物も全部床に落として、超睡眠妨害待ったなしの大声をあげる。

 他のみんなが起きたのではないかと今を見たが、酒が深く入っているみたいでピクリともしない。

 逆にしゅーさんは少々焦っているようで、荷物を拾ったり置いたりを数度繰り返した。


 やっぱり何かやらかしたんだ。寝起きでも、怒る準備は出来ている。


「どこに、行ってたの?」


 起きたばかりだから、喉が乾燥している。咳払いを交えながら聞いてみた。


「・・・・・・帰ってた。青森に」


 どうせ次に聞かれることはわかっている癖に。物足りない返事だ。僕の顔を横目で見るなり、答えるから待てと目で訴えてくる。そして彼の中で決まったようで、一つ頷く。


「お前に言わなきゃいけないことがある」


 早朝の時間帯を気にするんではなく、ひっそりと真面目に、慎重に話すつもりなのだろう。軽蔑されるのを恐れているようにも見える。僕は黙って冷えた廊下に正座して兄の顔を見つめた。僕はしゅーさんの真面目な面持ちと深刻そうな声色に緊張している。


「聞くのが怖いんだけど」と僕は目を逸らす。

「何も怖くない。お前には朗報なくらいさ」としゅーさんは肩を叩いて笑った。そうして、隣に座ったと思ったら、背中に手を添えてきて、落ち着いて聞けよと間を置いた。


「まず、学校を辞める」


 予想していたことなのに、本人の口から聞いたら驚いた。なんと言ってやろうか考えている隙に、しゅーさんは話を進める。


「それで文字を書きながら働こうと思う。就職先は新聞社にしようと思うんだ。あそこなら、色々勉強できると思うし、意外と向いてるかもしれないだろ。ほら、井伏さんちの近所でな、案外いけるんじゃないかって噂になってるらしいんだよ」


 井伏さんはしゅーさんの師匠だ。その周りが期待しているというんだから、自信もつくさ。だからサプライズ成功! みたいな顔で、ニコニコして話が出来るのだ。


 文治さんも認めてくれたみたいで、荷物から何かを取り出したと思えば、青い背広をもらったと嬉しそうにする。


「受かったの」


 僕は文章を読んだように訊いた。


「いいや、試験は今からだよ。でもきっと受かる。まあ、新聞社でなくても他を探す気でいるんだ」

「例えば」

「そりゃわからん。ただの会社員でもいいし、もしかしたら芥川賞を取って小説家になるなんてこともあるだろうしな。とにかく東京にあるだけの新聞社の試験は受けるつもりさ」


 未来に希望を見出している君を、僕は喜べないでいる。質問を重ねて意地悪してやりたいと思っているんだもの。

 背中に羽が生えてしまう前にもぎ取ってやりたいーーと、残酷なことを平気で考えているなんて知らないで、僕が喜ぶもんだと疑わずに笑っている。


「まだ決まってないのに受かったみたいだね。そもそも働こうと思った理由は何?」


 随分冷たい言い方になった。だって浅はかなんだもん。働く大変さも何も知らない。

 働くと言っている自分の勇気に惚れ惚れしているだけじゃんか。理由だってくだらないんだ。そうだ、くだらなかったら止めてしまえばいい。

 どうせ学校だって、退学届は出していないんだから。また思うままに人生を散らかして、そのままダメになるに決まってる。


 しゅーさんに質問したら、彼はうんと静かになった。落ち着いて、僕を暖かな陽だまりのような目で見たら、頭に手を置いて撫でた。


「一生平凡に暮らしてさ、人並みに生きて、なんでもないをずっと続けて行こうと思ったんだよ」

「人並み・・・・・・?」


 聞き返すと、ゆっくり頷いた。


「俺のために働かなくていいんだ。これからはのんびり暮らせ」


 何故だろう。優しい顔なのに、とっても悪意に満ちている気がするの。働かなくていいということは、もう必要がないって事に違いない。

 

 大人になるから、もう必要ありません。これからはどうぞ、近くいないで勝手に生きてください。お前がいるだけで平凡ではありません。と言っているんだ。

 お金を稼いで借金を返し、しゅーさんが困らないようにそばにいるのが僕の務めなのに。今、それが出来ていないから痺れを切らしてしまったんだ。


 母さんの言った通り、僕は何も出来ないクズなんだ。


 しゅーさんが僕よりダメで不幸でいてくれないと居場所が無くなると恐れている。その不幸を助けて、いい人になり、英雄扱いされることで居場所にしていたんだと気づいてしまった。


 いつだったっけ。文人に「いい人になりたいだけだろ」と言われたのがここに刺さったままだったのは、こういう事だったんだ。


 勝手に居場所を無くすなと責めたい。それでは逆恨みだ。築き上げて来た“いい人“が、悪い人になって本当に居場所を無くしてしまう。


 だからぎこちなくても笑顔を作る。


「うまく、いくといいね」


 僕の中の何かが、雪崩のように崩れ始めた。もう、昭和に来たばかりの楽しかった日々に戻れない。人並みでない僕にこの生活は贅沢だった。


『思い出したでしょう? 貴女に刻まれた傷の全部を』


 母さんの声が脳内に響く。体がズキズキ痛むのは思い出したから。もう誰の前でも肌を見せられない。僕がいらないと言われる前に逃げ出したい。いい人のまま死にたい。


 いい人だったねって、泣いて欲しい。


 しゅーさん。貴方が前を向くと、僕は死にたくなる。もう貴方の言葉では救われない。だって貴方に知られてしまったんだもの。前を向いた貴方の言葉は猛毒に近い。

 だから後ろを向いて、泣いてくれやしないですか。そうしたら、僕はいい人のまま死なずに側にいられるから。


 私は汚くて“恥ずかしい“人間です。人の不幸に笑って浸かり、救いを手を差し伸べるふりをした悪人なんです。

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