99恥目 四十九院

 愛子は焦っていた。浅草や五反田、新宿と言った聞き馴染みのある土地に連れ回された。どこも風俗街というか、言い方は悪いかもしれねえけど、快楽を演じなきゃ金なんてもらえない場所だ。こういう場所はどこにでもある。


 必死になって、愛子は「その子」を探していた。どこかに売られていないか、店の一軒も見逃さないように何度も同じ場所を歩き回る。時間など関係ない。オレはただ着いて歩くだけ。少し手伝おうと“男”だけに声をかけて、「その子」の情報を探り歩いた。


 「その子」の“名前“を聞いたら、人ごとに思えなくなった。“名前”ってのいうのは、不思議だねぇ。知人と同じってだけかもしれないのに、妙な情を沸かせるんだよ。今度は助けてやりたい、あの人に“勝ち“たいって思わせんのさ。


 かれこれ1週間はそんな日が続いたと思う。

 

 そもそも、こうなったのは浅草で工事作業員のところへ「その子」の情報を聞きに行った時からだ。

 どうやら作業員の男が人攫いに情報を売ってしまったらしい。愛子からもらう倍の金額を支払ってくれたから協力したと。

 

 勿論、愛子はブチギレたさ。約束したのに騙した。絶対に「その子」の事は他に言わないと約束したのに、と。人として“恥ずかしく“ないのか、下衆、裏切り者。横で見ているしかしちゃいないが、随分言っていた。

 しかし、作業員の男は「お前だって人を騙してるクセに」と、後味の悪い台詞を吐いてその場から消えちまって。

 こんなわけで、寝る間も惜しんで探し回る日々を送る嵌めになっちまったってわけだ。


 つまり人攫いが既に攫っているかも知れないって事。

 人の多い東京は、悪い奴を綺麗に隠してくれる。顔のしれぬ他人の顔なんて、誰も気に留めちゃいないのさ。田舎なら、知らない顔一つあれば、それを用心深く見極めて、追い出したり受け入れたりする。


 多くの人生があふれる街。 

 皆、自分を守るだけで手一杯だべ。「あの人」みたいな人を陥れて、食い物にされないよう必死だから、知っていたって教えてくれないんだ。オレがそうだったみたいにさ。

 真夜中、五反田の花街でとうとう愛子は立ち止まった。疲れ切った様子で、カフェーの陰へ座り込み、顔を膝に押し付ける。彼女の足も心も限界と言っていい。


「もう、ダメなのかしら」


 愛子だって人間だ。「その子」を知らないとばかり言い切られたら、心が挫ける。

攫われたか、どこかに引っ越したかも定かでないのに、人っこ1人探すのは2人だけでは、足りるわけがない。

 

「諦めんですか? もうちょっと探してみましょうよ」

「・・・・・・なんでアンタの方がムキになってんのさ。そんなにお人好しには見えないんだわ」 

「単純すよ。名前が妹と一緒なんすわ。オレの妹も、要っていうんだ。種違いの兄弟すけどね」

「そう・・・・・・」


 少し距離をとって、隣に腰を下ろす。尻を地面につけると冷たくていけないから、踵をつけたまましゃがんだ。

 愛子が探している子の名前は「要」。妹と言ったが、そう思っているのはオレだけだろう。家族は誰も要を認めなかったし、両親が嫌々引き取った子だから苗字だって違う。


 あいつは元気にしてっかな。前を向いて、生きているかな。最後に会ったのは、要が中3の時。女の子なのに、オレが着ていた男子の制服を着せられていたっけ。

 最後に、結構キツく突き放してしまった事を後悔している。傷ついてないと、いいな。


 いけねぇ、思い出したら涙が出ちまいそうだ。すかさず落ち込む愛子に声をかけて、自分の過去に蓋をした。


「で、愛子の探してる要さんはどんな男なんすか? いい男?」

「ええ、いい人よ。気は優しくて力持ちでね。顔は、女の子みたいなんだわ。茶色い目と髪が綺麗なの」

「そうかいそうかい。妹も茶色でしたわ」

「あら、偶然だわね。そういえばアンタは髪の毛の色が不思議よね。先っちょだけ黄色」 

「まあ、これはぁ・・・・・・。はあ。なんつうんすかね、オレが普通じゃないっていう証っすよ」

 

 昭和初期に髪を染める文化なんか浸透していない。髪の毛は塩で洗愛ような時代だ。

 かと言って“未来から来た“、と言って信じる訳がない。“大将“もバカ言うなと笑って、数日は顔を見るだけで鼻から息を漏らしたってのに。

 とある理由で中学を卒業してすぐに金髪にイメチェンして、大人になってもそれを続けているだけさ。この時代に来てから染められなくなったから、所謂プリンになって。毛先だけが黄色い。


 愛子は「説明になってない」とそっぽを向いた。それでもいいけど。どうせ年の瀬までの付き合いだ。初めから深い関係性になろうと思ったり、自分の素性を話そうとは思っちゃいないのさ。

 今は妙に気になる、昭和の要さんを探すのことが最優先。啄木のノートも愛子の知り合いが探してくれているし、とにかく彼が見つかりさえすればそれでいいってこった。


 疲労、それから、愛子の不機嫌。ただ休むために座り続けるだけでも、時間は過ぎていく。冬に光る明るい星を眺める。星の名前は、知っていても役に立たないな。ただの目に浮かべて、光る粒を見るだけ。

 その輝きが眩しい。だから、空を見るのはやめた。オレには全ての星が“シリウス“と同じ意味を持っているようしか感じられない。


 おかげさまで、オレも不機嫌だ。はあ、嫌だ嫌だ。愛子と同じ、膝に顔を埋める。


 すると、ただでさえ騒がしい花街に拝み倒す声が響き渡った。金の払えない客が、店の主人に支払いを待ってくれと土下座でもしてんだろうさ。そう思って、一度は無視した。しかし、声は大きくなる一方。あんまりにしつこい。

どんな奴だか、顔が見たくなった。


 「うっせえなぁ」


 腰を上げて、人の行き交う通りを見る。大きな人だかりができて、手には皆財布を持っている。何かにポーンと銅貨や銀貨が何かに飛んでいく。賽銭箱が道のど真ん中にあるとは思えないし、なんだろうか。

 その中心が知りたいと、できるだけ人に触れないようにして中へ張り込んだ。

 愛子もいつの間にかついてきていて、首に巻いていたマフラーを掴まれる。今度は置いてったことに、期限を損ねているらしい。全く忙しいねぇ。


 騒ぎの中心にいたのは、ひょろひょろの男。土下座して、茶色の革カバンをそばに置いている。そこに金を投げ入れている。浮浪者が金をくれと泣き出して、気の毒になったのだと分かった。少し可哀想なきもしたし、ここで金を出さないのは顰蹙を買う流れになると思い、財布を取り出した。


 あまり使いたくないから、少額にしよう。金額をいくらにするか悩んでいると、土下座した男は顔を上げやがった。そして、目が合う。

 ヤベェ。目があったら、きっと全部くれと言われるかもしれない。いや、しかし。この顔を、どこだで見た気がした。答えはすぐに出た。


 太宰、太宰治だ。要が大事そうに本を持っていたからよく覚えている。この時代で本物を見るとは思いもしなかった。驚いたさ。でも、同時に嫌な予感がした。

 だって、この顔は太宰治で間違いない。要の恩人だ。あの“要”の大事なオジサン。

 また過去の蓋を少し開けて見る。もしかすると、もしかするかもしれない。


 オレも死にたくて自殺未遂を犯したんだから、この時代に要が居てもおかしいと思わない。だから確認する。この男に、直接。女の子みたいな顔なのに、男の子。そして「要」と言う名前。妙にしっくりくるからだ。


「なあお兄さん、この金なんに使うか教えてもらえねぇすか?」


 彼に問う。すると余裕のない表情で、「攫われた兄弟を助けたいんだ」と言った。

 オレは「名前は?」と返した。


「生出要だ、知ってるか」

「いいや、知らないねぇ。知らないけど“お兄さんなら“、その要さんを救えるさ」


 やっぱりそうだった。偉人が居て、平成の人間がいたらそう言うことなんだよ。

 要であるなら尚更納得がいく。そうだよな、死にたいよな。あの親を持ったら、誰だって死にたくなるよ。オレだって同じだ。だからこの時代にいるんだから。


 オレは肩掛けカバンからべつな巾着を取り出し、その中に詰まった数年の苦労をカバンの中にぶちまけてやった。地面と貨幣がぶつかる音は他の人間の出す音よりも長く続く。


「50円ある。これで要さんとやらを救くう一部にしてけろ」

「ご、50円!?」


 太宰も愛子も、他の人間も金額を聞いて驚いていた。

この金はやましい金じゃない。“大将”のためになると思って貯めた金だ。そう説明すると、太宰先生は、なぜこんな大金を見ず知らずの自分にくれるのかと、かえって恐ろしそうな表情をする。


「あんたのファンだよ。執筆に影響があっちゃいけないだろ?」


 太宰に素性を詳しく聞かれるのは都合が悪い。それだけ言って、愛子の手を引き、その場から姿を消してやった。小さく、背中に「ありがとう」と、涙まじりの声が聞こえる。


 何、安いもんだ。要がオレの知っている生出要なら、太宰にしかあの子は救えない。

 金を払って救えるのなら、いい。その後、傷ついた要の心の傷を救えるのは、今も未来もアンタしかいない。オレは今も昔も、金でしか要を救える術を知らない。


 花街の外を出ると愛子は手を強引に振り解いた。説明しろという顔に、短く勢いのある溜息を吐いた。


「要はオレの兄弟かも知んねえなぁ」

「何言ってんのよ。突然金を出したり、要を妹だって言ったり。変だわよ。あの子は男なの!」


 まあ、確かに。妹だから、女だ。

 でもあいつは、実の母親からずっと男にさせられていたんだ。根っからの女嫌いで、自分の受け持ったクラスの生徒との間にできた子供を汚点だと虐待するような母親から、そう生きろと強いられていた。だから、平成で自殺しようとした要が、こっちでは男として生きているって言われても、不思議じゃねえのさ。


 まあ。これも愛子に説明したとてわからないだろう。だから、愛子と要の共通点を突いてやるわけだ。オレは女を触ると蕁麻疹が出るが、愛子を触った時、そうはならなかった。よおくみると、喉には小さな山が一つ出ている。


 つまりこいつも要と同じ。


「さあ、どうかな。それがもし、愛子みたいに自分の性別とは逆を言っていたらわからないんじゃないすか?」

「なっ・・・・・・!」


 どうやら図星のようで、愛子は信じられないと目を大きく見開いた。

 

 完璧に女性のなりをした彼女は、今まで性別の偽りを暴かれたことがなかったのだろう。

 愛子になぜ分かったか理由を話した。女の格好した男であろうと、気持ち悪いとも思わないし、それがお前ならそのままでいればいいと言った。


 すると愛子は吹っ切れた様子で、今度は重たい解放されたように笑うのだ。

「そうだわね、アンタと要、まんま同じこというのね」と、何があったかは知らないが、愛子はそれで兄弟だと信じると言った。


「で、あんたも生出さん、なの?」

「いいや。違うよ。要は家族にさせてもらえなかった人間だ。女って時点で、オレの家族にはならねえのさ」

「よくわからないんだわ。アンタは何さんなの?」 

「一度聴いたら忘れねえさ、オレの苗字は――」


 一度聴いたら忘れない苗字。

 それは、霊魂を現世と浄土との間に日にわたり吊るす、最後の審判に生魂を慰める場所。それが四十九院。

 

 ――には相応しくない、地獄のような家庭だ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る