76恥目 誰にでもある秘密
「おっ」
「うわ」
「うわってなんだよ・……中也も昼飯?」
「そうだよ。お前、仕事は?」
「今日は休みですゥ」
仕事の合間の昼休み。ばったり糸魚川改め、文人に会ってしまった。
思わず顔に「お前とは会いたくなかった」と出てしまっただろうが、構わない。
「蕎麦食う?」
「なんでお前と!」
「いや、奢ろうかなって。嫌ならいいけどよ」
「……まあ、たまにはいいか」
金のないはずの文人が奢るというのは些か不安だったが、心を入れ替えたばかりの好意を胸にするのも居た堪れない。
仕方なく蕎麦屋に同行すると、以前は人の金で豪遊していた文人が1番安い「掛け蕎麦」だけ注文した。
俺も同じ物を頼んだが、ここは仕返しに高いのを選んでやるんだった。
蕎麦が来るまでの時間は特に会話もない。別に話す事はないし、同じ部屋で寝起きを共にしているのだから帰ればまた顔を合わせる。
しかし蕎麦を啜りだすと、文人は沈黙を破った。
「なぁ、拓実の趣味知ってるか?」
「いや。知らない」
唐突になんなんだ。拓実さんの趣味? 知るわけない。趣味を知る程の深い仲ではない。それを伝えると、文人も「そっか」と締め括る。
おい、この会話いるか? 蕎麦を3回くらい啜って、また文人は話し出す。
「言いたいから言うけどよ、小説書いてんだよ。すっげェの。エロいぞ」
「官能小説か? 別に興味ない」
「本当か?」
「ああ」
こいつは女好きだからそういうのに興味深々だろう。さすが、脳みそが下半身についてるだけある。
男が皆そうだと思わないでほしい。史実通りの俺がどうだかは知らないけど、今の俺は特段興味がない。
「ふうん。じゃァ、それにお前と要が出ていても?」
「は?」
咄嗟に反応してしまった。何、俺と要の官能小説?何だ、ソレ。
昼間にする話ではないと思い、周りを見渡し文人に少し椅子を近づけた。
「要と中也のエロい話」
「それを、拓実さんが書いてると?」
「おん。リアリティとかないけどな。全部妄想で」
なんだそれ。気にならない訳ねぇだろ。
「お前この後予定あるか?」
「いや、ないけど」
蕎麦を一気に平らげ、おしぼりで口を拭く。文人も慌てて同じようにしたので、金を台の上に置いて蕎麦屋のを出た。
さあ、帝大はどっちだったか。落ちつけ、さほど遠くはなかったはずだぞ。
「どうしたんだよォ、急に飛び出して。もしかして読みたいのか? つか、金」
「金はいい。大至急」
金を差し出されたが受け取りを断った。そんなことよりもその小説とやらが気になる。男というのは性に忠実だ。
「見せてくれっかなァ。ガッコはこっちだぜ」
見せてくれっかなぁ? はぁ? なら最初から言うなっつうの!
そう言いたいのを堪え、爪楊枝を加えた文人の後をついていく。
角を曲がると帝大はあっさり顔を出した。こんな近くにあったのかと恥ずかしくなった。目的地がわかれば、すんなり道を思い出して、事務室を尋ねる。
軽やかに扉をノックすると「はーい」と、気のいい穏やかな声が返って来た。遠慮なく部屋へ入れば、拓実さんが一人で机向かって座っている。
「あらあら、またクズの伝統芸ですか?」
「今日はっていうか、もう違ェよ。あん時は本当、すいませんした」
深々と頭を下げる文人。
拓実さんは「まあ、僕もああなるとは」と言って苦笑い。
少し会話にぎこちなさはあるが、平成の人間同士わかり合おうとしているように見える。
「で、なんですけど。中也さんがいるのは何故でしょう?えーっと、あの、まさか、糸魚川くん、言ったんですか!?」
「言った。やっぱダメだった?」
「ダァメ!」
机をバンと叩き、彼が荒ぶる姿を初めて見た。
頭を押さえて上下に振り、我を忘れたのか事務室にある物を来客用ソファに投げる投げる。
顔を真っ赤にして、憤る姿は赤鬼のようだ。
「あのね、推しに言っちゃダメなんですよ! こういうのは! 本人達が気分を害したら僕は悲しい! そういうこと考えました!? しかも妄想ですからね!? 中也さんがどう思うか! 引かれたらどうするんですか! ああバカイ川くん! なんで!? わかりませんか!?」
バレた恥ずかしさを紛らわすためか、かなり早口になっている。文人に怒っているのもあるだろうけれど、誰でも人に知られたくない事がバレたらこうなるもんだ。
文人が往復ビンタをくらっている。迂闊に、読んでみたいなんて、言うもんじゃなかったか。
「引くかどうかは別として、是非拝読したいなと・・・・・・」
「推しから直々に読ませてくれとか光栄なんだか拷問なんだかわかりませんね……絶対に要さんに言わないと約束出来ますか?」
「多分」
「出来ますか?」
目を半開きにし、俺を凝視する疑いの目。
手に小さな鍵を握っているということは「見せないとは言ってない」の意味だろう。
「わかった! 言わない! 絶対に!」
「誓いましたね! 誓いましたね! 開けますよ、せーの! ハイッ!」
鍵のかかった引き出しを開けて取り出すのは、数冊のノート。文人曰く「1冊増えてる」らしいが、これが全部ソレだと思うと、拓実さんの想像力の豊かさに脱帽する。
「最近、お二人が夫婦になりすましたじゃないですか。公式供給って奴で、妄想が膨らみましてね。ありがとうございました」
ノートを渡してくるなり、掌を合わせて拝み倒してくる。そして何度も「ありがとうございます」「ごちそうさまでした」と言われるのに背筋がゾワゾワした。
「俺ももっかい読も。本人の前で読むと変な感じすンな! あーなんか、河川敷のエロ本見る感覚だわ」
「違いますよ! しがない同人作家が身内に作品を公開する感覚です!」
文人はソファに寝転がりノートを捲った。同じく1ページ目を捲り、深呼吸をした。
リアリティのない内容はどんな物か。今後の参考、いや、普段我慢している欲求が満たせるなら良いと、目を見開いてがっつくようにノートにかじりついた。
*
「しゅーさんっ」
「あまくせ」
夕方、大学の校門前でしゅーさんを待ち伏せ。2人で食べようと道中で買った一つの鯛焼きを半分に割って差し出した。
「頭と尻尾どっちがいい?」
「じゃあ頭」
頭を選んだしゅーさんに鯛焼きを手渡して、僕らは歩き始めた。
働き詰めだった1ヶ月の間に落ちた体重は徐々に戻り、体力も同じように回復した。
甘い物を食べる事は、僕にとって療養。甘いって幸せだ。
しゅーさんは自分から食べたいと言うことはないけど、僕が買えば食べてくれるし、何より半分こが嬉しい。
「そういやお前、仕事の面接するって言ってたろ。なんの仕事だったんだ?」
「えっ?あー……あんまり言いたくないんだけどさ」
しゅーさんが飲み屋に入ろうとしてしていたあの時、僕は迷っていた。
お金に困り、どうしようもなくて、切羽詰まった僕はある職業に就こうと考えていたのだ。
あるバイト先の人間の紹介で出会った女性から「お金がないなら」と紹介されたが、僕自身、その職に就くのに抵抗があって決め切れていなかった。
「なんだ、もう就く必要ないんだろ?」
「まあね……しゅーさん、僕の事嫌いにならない?」
「いつも嫌いだ」
「酷いよぉ」
一見意地悪に聞こえる回答。天邪鬼だなぁ。
「……男唱になろうかなと思ってたんだ」
言ってしまった。溜息をつきそうになったのを鯛焼きを口いっぱいに詰め込む。
あまりよく思われる職じゃないと思う。本当は女だけど、口だけのソレなら出来るからと考えていた。
とはいえ売春は違法だから、僕は犯罪に手を染めそうになった。借金が苦しかったのもある。けど、どうしてもあの家を守りたかったのだ。
表裏一体の気持ちに葛藤していた時、偶然そこにいたしゅーさんに見つけてもらえた事に僕は感謝している。
しゅーさんは僕の頭をくしゃくしゃと揉んで、軽く突いた。
「お前には向いてないね」
ぶっきらぼうだけど優しい声。
「そうかな」
「泥に塗れてた方がお前らしいよ」
僕もたまには間違えそうになる。その時はダメな奴と言われたしゅーさんがかっこよく助けてくれる。
この人のそういう所が大好きだ。
「兄さん! 要!」
名前を呼ばれたと振り返ると、糸魚川と中也さん。なぜか2人は顔が赤い。息を上げているから、走って来たのだろうか?
「今帰りですか? 珍しい、中也さんと糸魚川が一緒に居るなんて」
この2人の中に僕がいる事があるけど、その組み合わせは珍しかった。
「そこでたまたまね」
「そうな、たまたま」
「へえ……」
何故か顔を見合わせてヘラヘラ笑い合うこの2人、いつの間にこんなに仲良くなったんだろう。
2人でコソコソ話したりして、ちょっとモヤモヤする。
「何話してるんですか?」
「いっ、いや、そんな大した話じゃないさ!」
中也さんの焦ったような嘘くさい返しにそれ以上何も突っ込まなかった。しかし、糸魚川は意味深な発言をする。
「中也は男の子だからなァ……あんなん読んだら、こうなるわな」
「バッカ、言うなってば!」
「要、今日は別な部屋で寝た方がいいぞ! 襲われちゃうかもしれないからな!」
「えっ」
もしかして、さっきの話聞かれてた!? 思わずしゅーさんを見ると、首を横に大きく振っていた。
「そうかぁ、要があんなことやこんなことをねえ」
「しない、しないよ。何言ってんのさ!」
「中也は期待してんだねえ」
「してない!」
絶対に聞かれてた。中也さんを見ると顔逸らされるんだもん、絶対聞いてた! 僕が男娼になろうとして、きっと呆れているんだ!
「はあ」
同じタイミングで溜息をついたから、もうダメだ。あとでちゃんと誤解を解かなきゃ、とんだ破廉恥野郎だと思われたままだ。
それでも、普通に接するの難しくなりそうだなぁ。
*
「はあっ、はあっ」
息が詰まりそうだ。死んだはずなのに、息が詰まりそうだ。毎日、洗面台でゴジゴシと顔を洗って鏡を見つめても「私達」であるのに。
この家、部屋、匂い、時代、全てがわからない。見覚えのないものばかりで、毎日混乱している。
わからない。自分が何故「あの人に」になっているのか――。
闇雲に走れど走れど、ゴールがわからない。
誰に聞いても「私」は「あの人」なんだ。
確かに「私は私」。しかし名前は「あの人」だ。
もし、本当に「私達」が「この人」であれば、憧れのあの人に会えるかもしれない。
でも、嬉しくない。また思い出してしまうかもしれないから。また首を切らなきゃいけないのか?
――わからない、わからない。これはあの世、夢、さあ、どれだ!
「いつまで苦しめばいいんだ」
まだ意識が無くてはいけない理由を探す。
洗面台の物置に無造作に置かれた枯れた花。薄茶の古い写真の色をして「私」の目を奪う。
頭の中が揺れると、舌を噛んだ。過去を思い出せ。花がそう言うんだ。
「僕」のポンコツな海馬は、何を教えてくれるんだい。
彼岸花。花言葉は多くの意味があるけれど、思い出せるのは、「悲しい思い出」くらいだ。
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