57恥目 結び蒟蒻

 太宰治がちょっぴり世の中に顔を出した。

 しゅーさんはそれを自信にして、黙々と作品を生みだそうとしている。きっと彼は、これから作家としても苦しむだろうけど、それはそれで僕と父さんを救うバイブルの誕生に繋がっていく。

 

 3月に同人雑誌を出すらしくて、その創刊号に魚服記を載せると意気込み、文章の添削に没頭し、書斎にこもっていた。


 ご飯も酒も口にせず、真面目に取り組む姿は格好いい。

 中也さんの働きかけもあって、日中は大学にも顔を出しているようだし、先生とも顔を合わせていると聞いている。

 先生や友達とお昼ご飯も一緒に食べたりして、素晴らしいキャンパスライフを送っているらしい。


 僕がどれだけ言っても聞いてくれなかったのに、中也さんの言うことは聞いてくれるなんて。

 史実じゃ絶対ありえないけど、策士が同居を持ちかけて来ただけあるなと、感心する。


 学校にもちゃんと行ってるし、賞は取れたし、文治さんも大喜びのはず。褒める以外のないと思うんです。


「大学生しながら作家になれちゃうなんて、さすが僕のヒーローだなぁ」

「そうね、ちょっと惚れなおしちゃったかも」

「自慢の兄貴ですもん、自慢の旦那ですよね」

「ねー」


 僕と初代さんは頻繁に襖を少し開けて覗き見ては、しゅーさんのペンを走らせる姿に夢中になった。

 家事もせずに見惚れて、僕、今はただのファンなんです。


「要、要!」

「あ、要ちゃん、中也さん呼んでるよ」

「ん?」


 呼ばれた方向を見てみた。どうやら立ち上がらないと、姿は見えないらしい。返事をしても、何度と名前を呼ばれている。

 休日の中也さんがどうもご機嫌が悪くって、怒っているような声だ。


「なんでしょう?」 

「吉次に2人で呼ばれてるんだ、一緒に来てくれ」

「いいですけど、何か怒ってますか?」

「怒ってない!」


 怒ってるじゃん! 普段あんなに優しい中也さんが僕の事を置いて、先に出て行っちゃうなんて! 

 初代さんに出かけてくることを伝えて、中也さんを追うと、今日はやけに早歩きでムスッとしている。


 胸がザワザワ、嫌な感じ。


「僕、何かしちゃいました……か?」

「別に」


 素っ気ない返事。絶対怒ってる、怒ってるよ。僕の方は絶対に見てくれないもん。ほっぺた膨んでるもん、怒ってるよ!


 中也さんは怒ると怖いから、出来るだけ怒らせないようにして来たけど、どうやら僕は気づかないうちに、何かしてしまったらしい。

 薫の時みたいに、また何か誤解させるような事を言ったのだろうか。本当最低な性格だ。無意識はタチが悪い。


 変な汗をかきながら、心当たりを探す。

 僕の海馬はあんまり優秀じゃないから、何か思い出せるだろうか。不安だ。


 うーん、うーん、考える。そしてふと、糸魚川の言葉を思い出した。


"――坊ちゃん、ありゃかなり嫉妬深いぞ”


 ――もしかして、なんですけど。勘違いかもしれないけど。

 ここ最近しゅーさんにつきっきりだったから、やきもち妬いてるとか?

 まさか、中也さんがそこまで嫉妬深いなんて。無い無い、自惚れハッピー野郎かよ。もっと心の広い人のはずだ。一人でうんうんと、腕を組んで頷く。


 もっと怒らせるような最低をやらかしたんだ。ちゃんと失態をしたはず、はず……いや、待て。引っ越しをしたあの晩、僕が揶揄われまくったあの夜の事だ。


 "――津島も妻帯者だけど男だ。近い距離にいる要を女だって気づく日も来るかもしれない“


 言ってた。ちゃんとご本人からの申告がありました。

 もしその通りならすごく、寂しい思いをさせてしまっていたんだ。


 僕にとって、しゅーさんは対象者で兄でしかないけど、中也さんには同じ男としてしか映ってない。

 私は、中也さんが私を大事に思ってくれる気持ちを踏み躙るような事をしていたんだ。


「中也さん、ごめんね」


 先を行く中也さんの左手を掴んで、握った。

 振り払われるだろうか。ほんの一瞬、1秒がとてつもなく怖かった。

 目を瞑れば気持ちは少し楽になるかもしれない。けれど、それは逃げだ。自分は傷つきたく無いだなんて、弱虫はいけない。


 僕は握った手を一瞬も目を離さなかった。すると彼は、ちゃんと立ち止まって、僕の右手を握り返してくれる。

 けれどすぐに、握り返してくれた手は優しく、私の手を離れてく。


「……要の対象が自分だったらよかったのにな、って思うよ」


 振り返ってくれた。まるで大量にあった花びらが、突風で一気に散り乱れるような、儚さと、悲しさと、寂しさと。


 なんで、そんなに悲しそうな顔するの。

 なんで、そんな事言うの。


 司に全部聞いたんでしょう。

 あなたがどんな道を歩くか、どう生きるか、いつ死ぬか、経験してなくても全部知ってるくせに。

 いつ誰と恋に落ちて、結婚して、その子が生まれて、あなたがその人達に愛されながら死んでいくのを見てろって言うの?


 耐えられるか、そんな拷問みたいな時間。胸が張り裂けて、粉々になって死ぬ。他の誰かの物になるを見届けるくらいなら、いっそ死んだほうがましだ。


「中也さんが対象なんか絶対ヤダ! 知らない女とキャッキャウフフしてるの見せつけられて平然としてられるか! 無理! ヤダ! 絶対! ヤダ!」

「えっ、ちょっと、要」


 僕はお菓子を買ってもらえない子供のように騒いだ。ヤダヤダと癇癪を起こし、一目もは憚らず、地団駄踏んだ。

 突然こうなっては中也さんもびっくり。ほら、珍しくあたふたしている。


「本当は毎日中也さんにべったりくっついてたいもん!家庭教師されてる学生が羨まし過ぎて、どんな風にフランス語を発音するか、実技とかされるのか妄想してますもん!ああ、私にも大人の家庭教師してくんないかなぁって、月謝いくらですか! って!  でも口に出したら、重たいとか、めんどくさいとか言われるかなと思って言わなったんだし! はあああ、中也さんめっちゃ好き!」


 僕はかなり暴走した。暴走し過ぎて、赤の他人も巻き込んでしまいそうだから、僕は白金台のすみっこで愛を叫ぶ。


 出会った時から今まで、ドキドキしなかった日なんかない。一つ屋根の下で暮らして、私が男性と偽ってなかったらどうなっていたか。想像しなかった日はない。

 

 中也さんがいつも味方で居て、守ってくれるから僕は頑張れるんだ。生出要は嘘と本当がないと、中也さんに好かれることは出来なかったんだから。


 だから中也さんが対象者ならなんて、もしも話でも絶対に嫌だ! しゅーさんだから成り立ってるんだから!


「要、待って、落ちつこう。俺の思ってた愛情表現より遥かに過激だよ。対象ならよかったって言えば、要の事だから控えめに好きとか言ってくれるかなって考えてたよ。でも、待って、想像以上に愛されてた、ごめん」

「だから中也さんが思ってる以上に好きって言ったじゃないですか!」

「う、うん」


 中也さんは顔を真っ赤にして僕に圧倒されている。

普段は真逆なのに。僕のストレート球が中也さんにちゃんと届いている。

 これから中也さんがヤキモチを妬くことは減るだろう。いやそんなことないか。でも僕の方が大好きなんだ、信じてくれるはず。


 嫉妬をするということは、相手を信じていないということ。僕は何かでそれを見たか、聞いたかした。そして、信じていた。人の心を疑うのは、最も恥ずべき行為だ。しゅーさんもそう言っている。


 でもね、ヤキモチって実は調味料みたいなもんなのかなと思ったりして。

 たまの刺激にはちょうどいいんじゃないかなあ。お互い好き同士なんだ。もっと信頼して、愛し合っていこうじゃないか。愛し合っていこうは照れくさいし、ちょっと重たいかな。


「で、吉次はなんで僕らを呼んでるんですか?」

「恋愛のアドバイスが欲しいって」


 どうやら吉次は薫を落とすため、悩み、奮闘しているという。

 吉次も青い春してるんだなあ。演出のように吹いた風が、もうすぐ春が来るぞと大きく鳴いた。


「薫にも結びこんにゃく食わせればいいんですよ! そしたら、こうなれます!」


 今度はちゃんと人目を気にして、手を握ることはしないけど、小指を小指に絡ませて、結んでみる。


 中也さんは今までで1番照れて、はにかんだ。

いつまでもこれからも、恋愛“対象“は中也さんだけ。

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