48恥目 僕の友達
「なんだい揃いも揃って。アンタも忙しいねぇ」
「電話貸して欲しいんだ。いいかな」
「ああいいさ、ところでアンタ、嫁さん要らない?うちの店の子さぁ、アンタの嫁に行きたいって言うんだよ。相手がいないんなら、ねっ」
この五反田で、気兼ねなく電話を借れる場所。顔見知りの煙草屋のご婦人は気前よく電話を貸してくれた。けれど、その度に花街で働く女性との縁談を持ちかけてくる。
何故かと言えば僕は時々花街の警備のバイトをしている。たまたま悪い客に絡まれている子を助けると、こういう話が舞い込んでくるのだ。
「今は考えてないよ。僕は忙しいし、お嫁さんなんかとても」
そもそも僕、本当は女だし……なんて口が裂けても言えない。
「それがいいんじゃないか! 亭主は家にいるより外にいた方がいいんだよ。ああ、電話するんだったね。とにかく考えておくれよ。一目会うだけでもさ」
邪魔して悪いね、と軽い会釈をして、ご婦人は新聞に目を通し直した。煙草屋の奥の部屋にある電話の前に、5人ズラりと並ぶ。
「さ、しゅーさん頼んだよ」
「なんで俺が」
受話器を手渡すと、手を振って拒否る。
「自分のお兄さんでしょう?」
初代さんが言っても、頑なにそっぽを向いて知らんぷり。
「大学行ってないのがバレるのが怖いんだよ。僕がやる」
迷わず受話器を耳に当て、文治さんに電話を繋ぐと、お決まりの津軽弁の女性が出て、取り次いでもらった。少し待つと文治さんが「はいはい」と電話口に来てくれる。
「あっ、要です。ご無沙汰してます」
「ああ要さん。もう体は平気ですか?」
文治さんは大人だから、感じの良い返事を返してくれる。
「おかげですっかり良くなりました。本当にありがとうございます」
「なら良かった。それでどうしました、まさか、修治がまた何か?」
「それが、ですね」
言いにくいので戸惑いながら本題に入ろうとすると、中也さんが受話器を取り上げ、勝手に話し始めた。軽めの自己紹介を済ませ、同居の話を持ちかけるのだと思うと違う。
「単刀直入言います。修治くんは大学へ行っていませんし、要が借金を返済したと知れば次々と借金を繰り返しています。友人として、これ以上要に負担が掛かるのを見てはいられません……そこで提案なのですが、僕ともう1人の友人が同居して修治くんを正しくさせたいのです。僕らは働いていますから、生活費の心配はいらないでしょう」
まるで台本を準備して来たようにスラスラと話を進めていく。
しゅーさんは青ざめて吐き気を催し、嗚咽を吐くだけで否定も出来ない。文治さんがなんと返事をしているか、怖くて聞くことも出来ないだろう。
「坊ちゃんって見かけに寄らず男前なんだなァ。お前の事が最優先て感じだ」
「何タバコ吸ってんだよ」
しれっと売り物のタバコに勝手に手をつけて吸い始めている。その代金を支払ってないなら、それは万引きって言うんだよ。
……でも、糸魚川の言う通りだ。文治さんと話す時、何を言うにも「要が」と僕を心配してくれている。学校も辞めて、下宿先も捨てて、真っ直ぐな目をして此処に来てくれた。
「要ちゃん、いいお友達見つけたのね。中原さんと居る時、とっても嬉しそうだもの。よかった」
「そ、そうですか?」
照れ臭くて頭を掻いた。もしかして、女ってバレバレなんだろうか。
「いつも私達のためにお仕事して、何かあれば謝りに行くのは要ちゃん。怪我するのも、全部あなただもん。嫌になって、いつか居なくなっちゃうんじゃないかなって思ってたの。そしたらこの間、あの人がつまらない事言って出て行っちゃったでしょう? 私もあの人もすっごく不安になってね。気付いたら書斎にこもって、要ちゃんが帰ってくるまでずっとああしてたの」
「この前はごめんなさい。僕もカッカしちゃって」
あの時は本当に大人気なかったと謝った。
「いいのよ。普段は自分の事は二の次なんだから、頼れる人がいるみたいで本当に安心したわ」
初代さんは本当にほっとした顔をしてくれていた。この時ばかりは、お姉さんという感じがした。
しゅーさんと居る時は、守ってあげなきゃ! と護衛スイッチが入る。何故過剰に彼を心配するかと言うと、やはり、父さんの姿を重ねてしまうからだ。2度と父さんの時のように悲しい思いをしたくない。
彼がどんな死に方をするかはわからない。が、父さんのように独りで寂しく死んでは欲しくない。僕はその日のために、彼を彼という殺人鬼から守ってあげたいと本気で思うんだ。
「要、お兄さんが」
中也さんから受話器を渡されて、素早く耳に当てた。
「お話は聞きました。大賛成ですよ、全く、要さんのお友達は要さんみたいな方が多いですね」
「文治さんは不安じゃないんですか? 同居ですよ?」
予想外の返答に何度も聞き返した。大賛成? 本当ですか? と。
「修治を好き勝手させておく方が不安です。同居した方が、要さんの事も安心ですし……あなたは背負い過ぎ。息抜きを知りなさい。あなたも大切な弟、また怪我をされては困りますからね」
「文治さん……」
文治さんの温かい言葉に心を解される。しゅーさんの事をしっかりしていないと怒られるかと思っていたから。大お兄様の優しさは電話越しでも十分伝わってきた。
「お金はともかく、迷ったら人を頼りなさい。病院で泣いたように泣いたっていいんですから。そうした方が、周りも安心するもんですよ」
借りている電話でしょうから、と電話を切電され終話した。文治さんと話すといつも泣きそうになる。優しい言葉しかくれない。ザ・お兄さんだ。
「あまくせ、なんだって!?」
「同居に大賛成だって」
「……はぁ」
しゅーさんは腹を括れと言ったのに、自分がそう出来ていない。初代さんは喜んでいるし、糸魚川は住む場所があるならいいぐらいのテンションでタバコを蒸していた。
「でもしゅーさんを見張るとか、そういうんじゃないみたいだよ。今回は僕のせいだ。腹を括ってくれ。仕送りも減らされないよ」
「お咎めなしって事か?」
「さあ、それは後からあるかもね」
僕の意地悪な発言に「ああああ」と潰れた叫び声を出す。文治さんが怖いので、あとから書面や何かで叱られたりすると考えると怖くて仕方がないみたいだ。
文治さんが中也さんの意見に賛成したなら、しゅーさんは何も言えない。同居が始まっても今のスタンスを変えることはない。謝りにいかなきゃ行けなければ絶対行く。しゅーさんのためなら走る。
ただ変わることは、身近に頼れる人が増えて、一緒に居てくれるということだ。
これからはもっと、中也さんを見ても動じない強い心が必要だ。好意は隠す。ポーカーフェイスで乗り切らないと!
「中也さん、僕のためにありがとうございます」
お礼を言うと中也さんが耳元に顔を近づけてきたので、またからかってくると構えた。
ほら来た! ポーカーフェイス、ポーカーフェイス!
「本当は津島に悩まされる要が心配で同居を持ちかけたんじゃないよ」
「え? じゃあ文治さんに言ってたことは?」
「半分は本当。もう半分は違うね」
「はぁ、なんなんですか?」
問いかけて顔を見ると意地悪な顔している。「さあ、なんだろうね」と、さっき僕がしゅーさんに言ったみたいに返して来た。
先にアパートに戻ってると言って煙草屋を出ていくのを見ているしかない。これ以上詰めたら確実に倍返しされる。ポーカーフェイス? そんなの無理です。助けてください! 腰が抜けて、その場にへたりと座り込んだ。
初代さんはしゅーさんの尻を叩いて「しゃんとしなさいよ!」と喝を入れながら煙草屋を出て、その横で僕の兄はまたまたメソメソと泣いている。
「とんでもない男に好かれたなぁ」
「えぇ?」
糸魚川がヤンキー座りで隣に座って、コンクリートの地面でタバコの火を消した。ここ店の中なんだけど。ご婦人にバレないように、まだ熱い燃えカスを集めて手で包んだ。
「坊ちゃん、ありゃかなり嫉妬深いぞ。大変だなぁ、か、な、め、くん」
「なんだよその言い方!」
「罪な“男“だなぁ、要くんはぁ」
男という部分を強調し、意味深な事を言い残して彼も煙草屋を後にする。意味が気になって後を追おうとすると、傘の持ち手をワイシャツの襟にひっかけられて前に進めない。
「あいつのタバコ代!」
やっぱり払ってない! あの馬鹿! 厄介なのが1人増えた。しゅーさんよりこいつの方が大変そうだ。いや、しゅーさんの方が大変か。今日は何なら食べてくれるかなぁ。増えた同居人の好き嫌いも把握しないと。
僕の友達はクセの強い人ばかりだから、これからますます忙しくなりそうだ。
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