22恥目 秋の幸と海嫌い
「うわぁ、マジ美味そう」
「手をつかわんで箸で食べろ!」
思わずつまみ食いをしたくなる手を叩かれる。涎はダラダラ、大洪水。
山菜の天ぷら、もみじおろしの乗った揚げ出し豆腐、さつまいもの煮付け、カブのお浸し、キノコの炊き込みご飯にナメコの味噌汁。
秋の食材がズラリと並ぶ食卓に、それぞれの皿からゆらゆらゆらめく白い湯気達。
息を吸う度に感じる、焼き立て、炊き立ての匂いが五臓六腑に染み渡る。そこらの旅館や料亭なんかよりずっとずっと美味しい、司の飯を僕はどれだけ心待ちにしていたか!
「まだ修治さんが風呂から上がってきちょらんじゃろ。大丈夫か?」
「大丈夫だろ! なんか1人で忙しいんじゃないの?」
ゴツン! と鈍い音。司は持っていたお盆で僕の後頭部を叩いてきた。明日起きたらたんこぶが出来ていそうだ。叩かれた場所をゴシゴシと摩る。
「はしたないことを言いんさんな! 馬鹿!」
「何がはしたないんだよ! だって服着るのにこんな時間かかんないだろ! じゃあ他に何するか、1人で忙しくするしかないだろ!」
「お前の脳みそは下半身についちょるのか!?」
司と口喧嘩していると、茶の間の戸がキィと空いて、髪に水滴をつけたしゅーさんが入ってきた。
「うらさいの」
「あっ、しゅーさん!」
僕はしゅーさんの後ろにつき、体を半分出して司を指差し、「しゅーさん聞いてくれよ! 司が僕を殴ったんだ!」とチクってやった。
司はぎゃあぎゃあ反論して来たが、しゅーさんはやけに冷静な顔で僕の方を向いて、体を袴の上からわしゃわしゃと触ってくる。
「な、何?」
「いや……ん……んー?」
「なんだよ、くすぐったいなぁ! うひっ」
僕がくすぐったくてケラケラ笑っているのを他所に、しゅーさんは一生懸命体をまさぐってくる。理由は知らないがくすぐったい。
「男同士で気色悪いことをしんさんな!」
体のむず痒さが限界すれすれの時、司が僕らの間に割って入り、さっさと座布団に座らせた。
*
「うまぁ」
「うん、美味い」
「まだあるけぇの。残すなよ!」
「残ったら明日持ってかえるよ。そういえば中原さんは?」
「ああ、なんか用事が出来たって。中也さんに貸すはずだった本持ってってくれんか。最近来ちょらん」
「そっか。どうしたんだろ」
司はちょっと寂しそうに天ぷらを口に運ぶ。僕も中原さんに暫くあっていない。飴屋にも来ないし、見かけもしない。最後に会ったのは確か、うーん。正月くらいだったろうか。いや、会ってないかもしれない?
「中也?」
しゅーさんは誰だというふうに名前を聞き返してくる。
「しゅーさんと同じくらいの学生さんだよ。感じいい人でさ。鎌倉から東京に帰る時も面倒見てくれたんだ。頭もいいしさぁ」
とことん中原さんを褒めた。中原さんの事を考えると相変わらず体が熱くなる。司もうんうんと聞いている。
僕はしゅーさんと中也さんの関係を思い出そうともしなかった。これが後で面倒な事になるのを、この時の僕は知らない。会わせないように努力した方がどれだけ良かったのかもしれない。
「あっそ」
「え? なんで怒ってんの?」
しゅーさんが酒をガッっと一気に飲むと不貞腐れたのか、ゴロンと寝そべり、司が中原さんに貸すはずの本をベラベラめくり、そのあと鼻で笑った。
「イケすかないね」
「もしかして嫉妬しちょるんか?」
「何に?」
僕はハテナマークばかり頭に浮かべて、めんどくさいなぁと喉まで出かけたのを押さえ込むように夕飯を掻き込んだ。
*
「こんな何処で寝ちょったんか。アンタも弟に布団ぐらいかけちゃれよ」
月は高く上がり、夜も深くなった。
あまくせが茶の間でイビキをかいてねているところを、飾ってあった植物の枝で鼻をいじって遊んでいた。
「ふゴッ」
豚のように鳴く。面白くてやめられない。
「もっと暗い人じゃと思うちょった、アンタ」
「ん?」
司と名乗る青年が、自分と俺の酒を卓に置く。飲めと目で合図されると、乾杯をし、ぐいと酒を飲む。ああ、美味い。
「お前、酒は飲めるのか? あまくせの、友達だろ」
「馬鹿。こう見えて23じゃ」
「年上か」
てっきり、あまくせがと会った時、16歳だと言うから、この司と言う男も同じくらいだと思っていた。
「しょっちゅう自殺するような人じゃけぇ、もっと精神的にやつれちょるのかって。まあ、今日会うたら想像とだいぶ違くてびっくりした。要からいろいろ聞いちょったけどさ。アンタの自慢ばかりさ」
「中也とか言うやつの事ばかり言ってたが」
「うわ、めんどくさ……あ」
しまった! と言う顔をしていたが、触れないでやる。こいつに、実は聞きたいことがいくつかあった。それを問うと返事はこうだ。
「要の過去? 知らんな。そもそも片手で数えるくらいしか会うちょらんしな」
そう、あまくせの事だ。風呂でのことで性別を疑っている事もある。
が、それ以前にこいつが未来から来たとか、どこの土地のやつだとか、そう言った事を全く知らないのだ。
「何も知らないのか?」
「アンタが関わっちょることしか知らんよ。俺も未来から来たが、あっちでの面識は一切ない。まあ、平成でのことをいろいろ聞いても濁すけぇな。要は」
「なぜ?」
「さあ。思い出せないとかなんとか。あ、一個だけ知っちょるのは、海が嫌いって事じゃな」
「海?」
海と聞いて思い浮かぶのは1年前のあの時の事。それが原因で嫌いになったのだろうか。
病院で目覚めた時、すぐに感じたあの磯臭をあまくせの匂いのように鼻が記憶するようになった。
それから司は、酒のつまみにあの日、鎌倉に来るまでの事や、俺と別れた後のあまくせの話をしてくれた。
いやしかし、自転車で鎌倉で来るのは遠すぎるだろう。
*
「本当にありがとう!」
「な、なあ。本気で自転車で帰るんか?」
「せっかく見つけてくれたんだから帰るよ。なあ、しゅーさん?」
「お前だけ自転車で帰ってこい。俺は電車で帰る」
「ダメだよ! ほら、中原さんに渡す本持って後ろに乗る!」
朝、目が覚めて朝飯を食べる。
そして司が見つけてくれた飴屋の自転車で帰ろうとしていたのだ。
もちろん、しゅーさんは寒いからと嫌がっている。
司はまた無茶をして、と呆れていたがしっかり本や弁当が邪魔にならないように紐を用意してくれていた。
僕としゅーさんは自転車に座ると背中合わせにして、紐で離れないようにきつく縛る。
「しゅーさん、骨ばってて痛いな」
「なら電車で」
「お金もったいないもん、自転車で帰るよ」
目をしっかり瞑り、下を向いたしゅーさんは「タスケテくれ」と言っていた。
「じゃあまたな! 近いうち来られるようにするよ!」
「ああ、おい、本気で気をつけてな」
司と古稀庵に別れを告げ、五反田へと走り出した自転車。
相当手入れされたペダルはこぎやすく、しゅーさんを乗せているのにとても軽い。ギシギシ言っていたサドルも直されている。実に素晴らしい友達を持った。
海沿いを走ると、白波の荒れ具合が余計に体感温度を下げて身震いする。
「なあ、あまくせ」
「何? なんか言った?」
海風が耳を塞ぐように吹いている。しゅーさんがまた、大きな声で言った。
「お前、海が嫌いなんだってな」
「泳げないからな!」
「それなのに、海に入って俺を探したのか」
「それはしゅーさんが心配だったからだよ。僕は君に海で死んでほしくなかったからね」
僕が海が嫌いなのはもちろん理由がある。嫌な事は、忘れたくても都合よく思い出せてしまう。昨日までは閉まっていたのに、急に引き出しを開けられて見せびらかされているようだ。
僕はその嫌な事を頭に、目に、体に、フラッシュバックが襲ってくる。せっかく聞いてくれてるのだから、質問には答えないと。
「僕さぁ、大津波に飲まれて死にかけてるんだ。遠い未来で大きな地震が起きるんだけどさ、そりゃ大変だったよ。そのあと海を見るのも嫌だったよ」
地元で震災にあった僕が経験した大津波は、当時世界中を驚かせた。
泳げなかった事が幸いして生きていれたが、僕の体は瓦礫がたくさん刺さってボロボロで。それから、僕は、海で誰か大事な人を――あれ、なんだっけ?
思い出すと古傷が痛んで嫌な事ばかり思い出す――いや、もう違う。忘れていくんだ。そうだ、今は違うんだ。古傷が疼いて、この人にはこんな思いをさせないようにしようと肝に銘じる事ができる。
「でも、しゅーさんのためなら海だって平気なんだ。ほら見て、白波が綺麗だ!」
「ああ」
自転車で走る海岸線。本当なら見たくないはずの海。しゅーさんとなら見ていたいと、本気で想える。
震災の記憶も苦しかった記憶も、かき消してくれるくらい忙しくさせてくれるからだろうか。
「青森の海も綺麗だぞ」
きっといつか行こう。しゅーさんの故郷の海を見に。
しゅーさんの体重が僕の背中にのしかかる。背を預けてくれている。この体温を失わないように。僕はまだまだ死ねない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます