18恥目 いつも、しっかり、すねかじり
「次はなんのために使う金だ。あの男に使う金は必要ないんだろう」
「まだまだあるよ」
「あぁいうのを甘やかすと痛い目に合うぞ」
飴屋の爺さんの弱った腰を揉む昼下がり。そういえば、と尋ねて来た。
季節は夏になった。風鈴が音を鳴したいと風を呼ぶと、そよそよと体に待とう空気で汗がキュッと冷える。
津島夫婦の新婚生活が始まりを告げてから、それなりに時間が経った。僕は五反田の家へ最後に行ったのが何時だったか思い出せない程、顔を出していない。
風の噂で、引越したとか引っ越さないとか聞いたりもした。何にせよ、最初は金を稼ぐためと出ていったが、どうしても気になる事があって帰りたいと思えない。
初代さんが暴れたあの日。
彼女の本音を聞いてから、邪魔をしてはいけないとずっと言い聞かせている。考えればわかる。しゅーさんと一緒に暮らす事を文治さん達が良いと言ってくれても、初代さんには許可を取っていない。
だから「アンタが居るとは聞いてない」はごもっともで、僕が最も頭をさげなければならない事柄なのである。
なので2人を養う口実で、誰にも言わずにこっそりと家を出た。
本当に家を出てよかったと思えたのは、学生達からの告げ口である。彼はようやく「学生」になれたようなのだ。
「あまくせさん! 津島の奴、女を連れてシンパしていたよ。帰り際は見せつけるように腕に女が絡みつくのさ!」
「大学は勉学に励むべき神聖な場所! 風紀が乱れるぞ」
おそらく女性関係には無縁のモサッとした男子学生が集団で、そうだそうだと息を合わせる。あの2人は夫婦なのだから普通のことだ。
彼らは悔しそうに告げ口をしにやって来た学生達を嫉妬に狂わせている。鼻息が荒い。ふんが、ふんが。
「大きな問題を起こしてないのであればいいんだよ。起こした時の責任は全部僕が取るし」
「学校にもあまり来てないぞ!」
「先生から週2回は来るようになったって聞いてる。それに図書館には毎日行ってるようだし、だいぶ成長したよ」
爺さんのマッサージを終え、ぼろぼろの畳のささくれをひとつ剥いて立ち上がった。
「行く」と一言、寝そべる爺さんに声をかけて。
店の前を囲む10から15人程の学生の真ん中を技と通り、花道を作り、文治さんがくれたピカピカの自転車へまたがる。
「また何かやらかしそうなら教えてくれよ。僕は学校の中には入れないからな」
僕の態度は落ち着いていただろうか。
昭和へ来た頃の僕は、そこらを駆け回り、叫び、ストーカー行為に近いことばかりしていた。
けれど今はしゅーさんを避けるように生きている。
お目付役や弟を辞めたわけではない。これが知れたら文治さんに怒られてしまうだろうか。
今度何かやったら、しゅーさんは青森へ連れ帰らされて監禁でもされるかもしれない。それでも僕はあの家には帰らない。それもこれも、何度も言うが新婚生活のための行動。
初代さんを傷つけないように。
「でも、文治さんも怖いな……」
悶々と頭を同じことをループさせて、まだ体に馴染まない自転車を漕ぐ。
考えても同じ答えしか出やしない。
*
「珍しいお客さんですねぇ。要さんはいませんよ」
帝大事務室――働き慣れたこの部屋に驚くべき来訪者が来てしまいました。
僕はしがない事務員の宇賀神拓実。しかし皆、僕を先生と呼ぶ。何故かはともかく、この来訪者は先生と呼ばない、全く珍しい人なのです。
ヒョロ長い身長、頼りない細い手。要さんが苦労するのも無理はないと一目でわかるほどやつれていますね。史実通り、どうしようも無い人なんですかねぇ。
「まあ、掛けてください。何も出せませんけど」
「あ、ああ」
革の椅子に座るよう促し、夏のぬるい水を差し出す。
汗を垂らした「修治さん」はそれをガッと飲み干し「ぬるいな」と、コップを見つめて眉を潜めた。
「僕のところにくるなんて、よっぽど要さんが恋しいんですね」
対象者と上手くやっている。それは平成から来た僕らにとっては1番嬉しく、大切な事。"遂行者"の先輩としては嬉しいことです。
性別を偽り、体をぼろぼろにして、頭を下げ続けてきた彼女の努力が報われているんですから。
彼も要さんを必要とし、会えないことを寂しく思っているのでしょう。
修治さんは半笑いで「まさか」と、続ける。
「ま、居なくなってせいぜいしてるよ。ハツコともそれなりにうまくやってるさ」
彼はなんの迷いもなく笑った。
「えっと、なら要さん以外に用事あります?」
「あまくせのことでは、あるんだが」
何かを企んだようなその顔。要さんなら何かすぐにわかるのでしょうか。
僕が知っている太宰でしょうか。妙に気味が悪いこの笑み、早く帰したい。
「金が、ね」
「要さんに毎月もらっているんじゃ?」
尋ねると「いやあ」とニヤケて誤魔化し、頭をかいて体をくねくねとさせる。
「シンパのカンパや、ハツコの着物だって買ってたら無くなってさ。だからその、あまくせに金をもう少し多く送ってくれと言ってくれないか」
僕が知っている太宰は、思った以上に太宰で。
情けない、情けない!どんな言葉で叱りつけようか頭で辞書を引いても、出てきません。この人は、生半可な気持ちじゃ到底手に負えない。
「要さん、事件ですよぉ」
アルバイトばかりしてる場合ではありません! 小声で彼女に非常事態を呟いた。
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