16恥目 髪の毛わしゃわしゃ、新生活

「そいじゃ、行きますね」

「寂しいですねぇ。巣立って行く子供を見送る親って、こんな気持ちになるんでしょうか」

「そんな遠くに行くんじゃないんですから。こまめに顔は出しますよ」


 先生のアパート前。あれからあっという間に年は明けた。新年の挨拶も早々にしゅーさんとの同居を始めるため、僕は半年以上世話になった先生の家から出て行くことになった。


 先生はポロポロと少しずつ涙を流して、僕との別れを寂しく思ってくれているようだ。こんなにあっさり出て行くのが申し訳ないが、僕の目的のためには仕方がない。荷物はリュックと少しの手荷物、引っ越しには身軽すぎる。いいんだ、物はこれから増やしていけばいい。


 半年程しか生きていない昭和で、僕の証を残すのはこれから。しゅーさんとの同居はようやく立てた、スタートラインなのかもしれない。


「か、要さん、ちゃんと寝てくださいね! あ、あと、コレ、忘れないでください」


 吉次はあまり話した事のないしゅーさんをチラチラと気にしながら、生き生きしているムラサキケマンを手渡してくれた。


「あー、完全に忘れてた。ありがとな」

「み、店に行くのが難しい時は、僕をいつでも頼ってくださいね!」


 鎌倉へ出掛けていた期間、吉次には本当に助けられた。初めて会った時は素直で幼い、華奢な男の子だと思っていたが人は見かけによらずだ。優しく頼もしく、気の利く柔らかい男の子だった。

 吉次のこういうところを、僕は見習って行きたい。


「さて、しゅーさん行こうか」

「あぁ」


 住み慣れ始めたアパートと世話になった2人に手を振り、別れを告げる。これからに期待していても、やはり寂しさはあった。平成にはなかった家族のような温かさを感じていたからだ。


 そんな寂しさと期待を胸に、僕らの住まいは五反田移る。物と思い出がない部屋から、僕らの新しい生活が始まる。



「さて、初代さんにどう説明しましょう」

「うーむ」


 時は少し戻って、年明け前――。青森への帰路、文治さんと中畑さんは頭を抱えていた。お目付役が僕になり、しゅーさんが不祥事を起こさないようにと同居を条件にしたが、どうだろう。結婚相手の事が頭にあったか無かったのか、僕の存在を説明するのに頭を抱えていたのだった。


「文治さん、どうして弟にしてしまったんです」

「いやぁ……命の恩人ともあろう要さんが、あんなに真剣な目で訴えて来るもんだからね。それに、芯の強い人だ。断っても何度も申し入れてくるよ。要さんは随分信頼されているようだし、修治のやつもまんざらでもなさそうだった」

「鎌倉の時は、要さんと走り回ってましたしね。要さんも他人なのに、よく修ちゃんのために走れますよ。理解できませんけどね」


 愚痴なのか、褒めているのか。2人の会話は謎だ。


「まるでそれこそ、家族のように、か」


 ガタゴトと体を揺らしてはしる列車は、結婚相手の待つ青森へと下っていった。



 引越し先へ向かうバス停まで歩く道、途中で買った塩煎餅に歯を立てながら話していた。


「吉次と先生の関係?」

「親子にしては宇賀神が若すぎるな、と」

「あー、言われてみれば知らないわ」


 しゅーさんが気になっていたのは吉次と先生の関係。気にした事がないというか、てっきり古在さんの関係で何か縁があって暮らしているのだと思っていた。

 

「今度聞いてみるよ。それより、結婚相手の人っていつ東京に来るのさ」

「頭が痛くなって来た、寝る」


 僕が話を変えれば、しきりに頭を抱えだす。鎌倉の事件以降、連絡も出来ずにただ黙っているだけらしい。謝罪の1つもしたもんだと思っていたが、しゅーさんにそんな度胸がある訳なかった。


「めっちゃ怒られんじゃない? ビンタ、ビンタ、目潰し、ビンタとか」

「ヒッ」

「ヒッ! じゃないよ。結納した後に結婚相手が他の女と自殺未遂しました! とか言われてみ? 怒るだろ、怒るわ」

「うわァ」


 やばい、言いすぎた。急に隣から姿がなくなったと思ったたら、しゅーさんは道の真ん中で、しゃがみ込んで下を向いている。調子に乗って言い過ぎた。僕は頭をかいて「ごめん」と謝る。


「で、でもさ、夫婦になるんだから、ごめんなさいとかは言わないとなぁ。言葉を言わなきゃ伝わらないしさ。ずっと引きずるのも嫌だろ?」


 僕は酷く慌てた。しゅーさんがあまりに思いっきり凹むから、道行く人がじろじろ僕らを見て行くのだ。いい大人が泣いているんだ。彼が笑い物になる。それは良くない。だから僕も、しゅーさんに向かい合うようにしゃがむ。


「泣くなよぉ! これからは僕がいるじゃんか!」


 可愛くて仕方がない犬を撫でるように、髪の毛をわしゃわしゃと撫でる。すると僕の手はすぐに払われて、しゅーさんはすくっと立ち上がり、不機嫌に髪の毛を整えた。


「うらさいやつだ」


 さっきまでグズグズしていたくせに、僕を置いて行くようにスタスタと歩いて行く。僕は塩煎餅をガリッと噛み砕くと、しゅーさんの背中に軽くぶつかってやった。


「面倒くせ!」


 そして僕も、しゅーさんを置いていってしまわない程度に走りだす。だから必然と追いかけっこが始まって、下宿先までふざけながら道を行く。

 

 小突いたり、膝カックンしてみたり。僕らはいい大人なのに。



 同居を始めて、一週間くらいたった休日。しゅーさん宛に文治さんから手紙が届いた。


「手紙来てるよ」

「あまくせ、お前が開けてくれ。内容が怖くなかったら、読み上げるんだぞ」

「なんだよそれ……いや、これ、しゅーさんが読まなきゃダメな奴じゃん。いや、本当に。しゅーさん、ヤバイって。だってこれ、ほら、結婚相手来ちゃうよ」

「無理!」


 耳を塞ぐしゅーさんの隣で、恐る恐る手紙を読み進めると、久々の感覚が僕を襲った。下宿先の風景は変わらない。けれど、しゅーさんの姿はなかった。


「しゅーさん?」


 シンと、なんの音もない。鼻の曇るような線香の匂い――。


「久しぶりですね、要さん」

「あんた、あの時の!」


 僕を川に突き落としたあの親父。あのおかしくて、しかし品のある親父が僕の目の前にまたいるのだ。空気椅子で足を組む。それだけで、とてもじゃないが人間とは思えない。

 人をタイムスリップさせたり、僕の事を知っていたり。

 

 正体不明の変な親父。何か一言、言ってやろうと思ったが、まるで接着剤を付けられたように口が開けられなくなった。


「歴史にちょこっと悪戯する。要さんは歴史を思いっきり変えることはしないが、絶妙に、そして面白く出来事を変えてくれますねぇ。でも要さん、本来、津島修治は碇ヶ関温泉に静養に行き、仮祝言を挙げるはずなんです。しかし――」


 親父は僕を無視して話を続ける。碇ヶ関温泉? 静養? 仮祝言? 歴史に悪戯程度は済まないくらいに、僕は歴史を変えてしまったのだろうか。口が開けられないので、目で訴える。


「もしや歴史を変えてしまった、と? いや別に構いやしませんけどね。死亡日さえ変わらなければいいんですから。あとはその都度、こちらが判断しているわけですし……しかし今回はこちらが少し悪戯したいといいますかね! ということで呼んでしまいました! さあ、頑張って!」


 親父がパチンと指を鳴らすと、口は開き、下宿先にはポカンとしたしゅーさんが居た。


「どうした? あまくせ?」

「なあ、今、白い背広を来た親父が居なかったか!?」

「いや、俺とお前しか……」


 辺りを見渡すと、やはり親父は消えて居た。でも、なんだ? 呼んでしまいました、って。誰を呼んだのか、親父の悪戯とはなんなのか。結局あの親父に振り回されっぱしでうんざりするばかり。結局聞きたいことは聞けないまま。


「大丈夫か?」

「ああ、うん。大丈夫。疲れて頭がおかしいのかもしれないや。ちょっと昼寝しようかや」


 僕はゴロンと横になると同時、部屋の玄関の戸が大きな音を立てて開いた。慌てて玄関を覗き込むと、そこに立つのは若い女性。短髪の黒髪に燻んだ桃色の着物を着て、風呂敷を担いで部屋に上がり込んでくる。


「あなたが連絡も何もよこしませんので、来てしまいました!」


 その人はしゅーさんに向かって、怒りを吐いた。僕は誰だか、すぐに見当がついた。


 この人は多分、いや恐らく、いや、絶対にしゅーさんの結婚相手の方。しゅーさんは冷や汗をダラダラ垂らすだけで何も言えないでいるだけ。完全に僕の助け船を待っている。


「小山、初代さん、ですか?」


 僕は確認のために名前を尋ねると、女性は僕をじっくり見た。


「あなたが弟?」

「え、えぇ、はい」

「……生まれた時にすぐ別れた弟が東京にいるなんて言ってなかったのに。隠し事まで多いなんて本当に酷い人!」


 文治さん達がついた嘘か、僕はいつの間にかしゅーさんと生き別れた弟なんて、映画のような設定を付けられている。それで信じた初代さんもすごい。あんなに怒っていた初代さんは一変、僕の頭を撫でた。


「要ちゃんに罪はないわ。立派に東京で生きて来たんでしょう?お姉ちゃんだと思って、たくさん甘えてね」

「は、はい……」


 僕が想像するより遥か上。初代さんは僕に優しく接してくれる。真逆に、しゅーさんには憎しみたっぷりで、ギロリと睨むとツンとソッポを向く。頼りないしゅーさん、怒った新妻初代さん、生き別れた弟設定の僕――。


 なんだか不思議な新生活が始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る