第312話 救える者、救えぬ者

 男が1人、ゆっくりと歩きながら大木を目指す。

 男が目指した先には大きな木が生えており、木の洞に身を隠すように蹲る子供とその母親らしきものの姿がある。


 一瞬、やって来た男の足音で母親が身震いする。


「おい、おれだ」


「あなた? 大丈夫だった?」


「パパ?」


 何かに怯えるように小声で会話する様から3人は親子だ。


「静かに……。いや、村は壊滅だ。神官様の言う通りだった」


 後悔するように、そして周りを気にするように父親は小声で話す。


「そう。これからどうするの?」


「神官様が南に行けと叫んでいたからな。このまま、魔獣たちのいない南に行こう」


「でも、これから暗くなるわよ」


「すごい数の魔獣がいた。このままだと、ここいらもそうなるぞ。早く行くぞ」


 小さな子供を持つ父親は、家族に急いでここから逃げようと言う。


「そんな」


「仕方ないだろ。……マイラは俺が背負うよ」


 荷物を持っている3人は大きな街に買い物をしに行った帰りだった。

 すると馬に乗った神官が必死の形相で魔獣がやって来ると叫んでいた。

 このまま南に逃げろという話であった。

 そんなことがと、父親は母親と子供を村の近くの木の洞に残して様子を見て来たら神官の言う通りだった。

 魔獣は村の中に溢れ返っており、生き残った者はいないだろう。

 神官に言われた通り、逃げていたらもっと安全なところに行けたかもしれない。 

 歩いて半日もしない街へ行った帰りで、食料も少し持っていることがせめてもの救いかと父親は思う。

 そして、今日は5歳になる子供が、街を見たいからと、家族3人で街へ行ったことをエルメア様に感謝する。

 お陰で今、この場に家族3人が揃っていられる。

 そろそろ日が沈む中、親子たちは立ち上がり、ここから離れようとした。


 大の大人が入れるほどの洞から出たその時だった、もの凄い悪臭が父親の鼻を刺激した。

 先ほど村の様子を見に行った時に嗅いだ臭いが強く漂う。


『ウウウ』


 何か唸るような声がして、父は気配のする方を恐る恐る見ると、すぐそばにトロルが一体こん棒を握りしめ立っていた。

 食料を見つけたと涎を垂らし、口を歪ませている。

 そして、ゆっくりと足を前に出し、捕まえにかかる。


「な!? 逃げろ!!」


『アア、ウア!!』


 食料を見つけたと、笑顔をにじませ身の丈5メートルを軽く超えるトロルが地響きを立て迫ってきた。

 もう20メートルもない距離にまで迫られ、とても逃げ切れそうにない。

 ゆっくりとした動作に見えるが、その一歩は人に比べたら何倍もの歩幅だ。

 こんな距離なんて、直ぐに詰められ捕まってしまう。


「で、でも、あなた!」


「いいから、マイラを抱いて逃げろ!!」


 父親は死ぬつもりで母親と子供を逃がすことにする。

 護身用の剣を握りしめたが、きっとこんなもの役には立たないだろう。

 そして、あっちへと指を差した方向を見て絶望した。


「!?」


 巨大で白銀の狼が少し離れたところからこちらを見ていた。

 50メートルは離れているのに遠近感がおかしいのか、頭の天辺が横に生えている木の高さとそんなに変わらない。


「そ、そんなエルメア様」


 子供を抱く母親は絶望し、最後に死ぬときこの子が苦しまないようにと神の名を口にした。

 3人ともこれで終わりだと思うには十分な状況であった。


『アアァ!?』


 トロルは手を伸ばし、立ちふさがった父親を掴もうとした。

 しかし、トロルには理解できないことが起きた。

 視線は父親から天空に移り、そして地面が迫ってくる。

 一瞬にしてトロルの首は胴体から離れたことすら理解できなかった。


 ズウウウウウウン


 力を失うようにトロルは大きな音を響かせながら地面に伏す。


「え? こ、これは……」


 何が起こったか分からない。

 目の前で頭を失って倒れたトロルの死体を呆然と見る。


『そこの人間たち。無事か?』


「キャアアア!!」

「ママァ!!」

「……ああ」


 あまりの恐怖で母親は叫び、子供は泣き、父親は声にならない。

 口から血を垂らした白銀の狼の姿をした何かが人間の言葉を発する。

 まだ、かなり遠くにいたはずなのに、一瞬の間にトロルの首を飛ばしたのはこの狼のような何かだった。


『まだいたのか……』


 白銀の巨大な狼は親子から視線を変えた。

 邪教徒たちがトロルの倒れた地響きに気付き、何十体とやって来た。


『静かに倒さないからだよ。集まって来たじゃあないか。ケケケ』


『そうだな。動きを止めてくれるか』 


『あいよ。ケケケ』


 白銀の巨大な狼の背中には白装束をした女性が乗っていた。

 父親はその美しさから一瞬目を奪われてしまうが、少し遅れて恐怖のようなものが襲ってくる。

 生気のようなものを感じないこの女性は、魔獣の類ではないのかと。

 その辺の村人では見られないような、おかしなところが見受けられる。

 頭には蝋燭を2本ほど鉢巻で縛り、右手には出刃包丁、左手には木槌を握りしめている。

 そして、ゆっくりと狼の背から飛び降りる。


 そんな女性に人間の姿をした邪教徒が襲い掛かる。

 邪教徒を見つめる白装束の女性はゆっくりと木槌を振り上げた。


『地縛呪!!』


『『『ウアアアアアアァァアアア!!』』』


「「「!?」」」


 白装束の女性は木槌で地面を殴りつけた。

 すると、波紋のように地面に衝撃波が広がり、そして家族の血の気が引くような異常なものが地面から出てくる。

 髑髏やゾンビの姿をした死霊の上半身が現れ、邪教徒たちの足元に両腕で抱き着く。

 正気では見ていられない光景だ。

 お陰で、かなり広範囲にいるはずの邪教徒が亡霊に足を掴まれ、一斉に動けずにいる。


『ふむ』 


 そう言うと白銀の狼は動かずに固まった邪教徒を蹴散らしていく。

 白装束の女性も出刃包丁でめった刺しにする。

 あっという間に立っているのは親子だけになった。


『これで片付いたかね。ケケケ』

 

 親子は何が起きたか分からない。

 震えていると上空にさらに何かが現れた。


「ここまで魔獣たちが移動してきたのか。動きに統一性がないからか?」


「そうみたいね」


 4つ足の獣に翼が生えた魔獣のような何かの上で男女の声がする。

 巨大な狼は天に浮く魔獣に軽く頭を下げ、そして白装束の女性も魔獣に乗って、またどこかに駆けていく。



「村も駄目だったな」


「……ええ、そうね」


 そう言ってアレンは、親子の元に鳥Bの召喚獣を降ろす。

 そして、父親らしきものに声を掛ける。


「こんばんは。3人とも無事ですか?」


「あ、ああ、俺たちは助かったのか?」


 親子を落ち着かせる。

 ここから少し離れた開けた所に移動してしばらく待つと、タムタム「モードイーグル」がやってくる。

 中に入ると、助かった村人や旅人、神官たちが大勢いる。

 そのまま、タムタムに乗せてニールの街に避難させた。


 アレンたちがニールの街にきて3日が過ぎた。

 エルマール教国の教都テオメニアから広がっていった邪教徒や巨人系統の魔獣の進撃は小さな村も含めて概ね殲滅できた。

 助けた人たちはタムタムに乗せてとりあえずニールの街に移動させた。


 救えた村や街には金の豆を蒔き、魔獣を寄せ付けない結界を張り、救済した人々は香味野菜を使って邪教徒にならないようにした。

 今のところ、香味野菜を使った人間は邪教徒にはなっていないようだ。

 ニールの街では、香味野菜を使ったら黒い影が出た人たちを一角に隔離している。

 牢獄に入りきらないほどの人間がおり、5000人近くいるようだ。

 街の一角を元邪神教信者に提供している。


 一応隔離しているのには理由がある。

 どうも、邪教徒に噛まれると感染して邪教徒になるようだ。

 噛まれて1日経つと発症するので、前世でかつて見たゾンビ映画を彷彿とさせる。


 1日というのもあいまいな情報で、3日間の間に救出した神官や村人の話を聞き、その情報を総合してそれくらいなのかという分析になる。


 なお、香味野菜を使うと24時間状態異常を防いでくれる効果があるので問題ないと思うが、こればかりは人の命が掛かっていることので検証は難しいだろう。

 結果、効果があったと分かるのは今回の事態が解決するときになるかもしれない。


 数時間後には震えていても無理やり乗せた家族も含めてニールの街に到着した。


「お疲れさまでした。キール様」


「いや、皆の協力があってこそだ」


 ニコライ神官は真っ先にキールに礼を言う。

 聖人と何度もキールは言われるので、才能を「聖王」だと言うと100年以上ぶりの聖王誕生で驚かれている。

 もう間もなく転職制度が始まるので、そこまで驚くことじゃないと言っても、キールの戦いぶりを見たニコライ神官は接し方を改めることはしなかった。


 アレンたちはニールの街の食堂で食事を済ませると、仲間たちと共に神官に借りた会議室に入って行く。


「アレン、街や村の救済はおおむね完了したってことかしら?」


「そうだ。セシル。人々の救済に随分時間がかかってしまったからな」


 教都テオメニアから広がるように移動した邪教徒たちの殲滅に、随分と時間がかかってしまった。

 必死に移動する者、その場でたたずむもの、いきなり移動を開始する者など邪教徒は様々な行動をする。

 軍隊のように移動してくれたらいいのだが、ほぼ無計画にばらばらに行動しているように思える。

 こんなものを作って魔王軍は何をしたいのかと言う話だ。


 そんな中、キールは何かを思い詰めるように考え事をしている。


「キール。亡くなった人を想うのは大事だが、今みたいなことはずっとあったことだぞ」


「アレンみたいに割り切れねえよ」


 キールはテーブルを見つめたまま口にする。


(そう、ずっとあったことなんだ)


 キールはそう言うが、アレンは今に始まったことではないと考えている。


 ローゼンヘイムでは去年300万に達する大虐殺が行われた。

 腹をすかせた魔王軍の魔獣たちの胃袋に、その半数近くが食われたと言われている。


 中央大陸北部では、アレンが生まれた以降も、毎年のように魔王軍と5大陸同盟軍との衝突が起きている。

 同盟軍側は毎年10万を超える死者が出ている。

 3年の兵役をこなしても、死亡率は3割ほどらしい。

 勇者ヘルミオスが現れる前は死者の割合が5割に達していた。


 アレンが天の恵みを配り、召喚獣を応援に出していても、兵が全員無事かと言われたらそんなことはない。

 Aランクの竜系統が要塞の最前線に出れば、天の恵みなど役に立たず即死する兵も大勢いる。


 これまでずっと、魔王軍の脅威が人々を苦しめてきた。


(それで言うと大厄災以降、魔獣の強さが1ランク上がっているからな)


 魔王が行ったと言われる大厄災によって、魔獣たちは1つ上のランクの力を得たと言われている。

 人々は魔獣の脅威にさらされている。

 どれだけの命が魔獣たちの手によって奪われてきたのかと言う話だ。


「それでも、俺たちは救える者しか救えないし、救えぬ者はどうしようもない。万能な存在ではないんだ」


「ああ、そうだな」


 キールを見ながらアレンは言うが、仲間たちもやるせない気持ちでいるのには変わらないようだ。


「メルス。それで生存者はいないって話だな」


 メルスを召喚して、テオメニアの様子について確認する。

 なお、ここにはニコライ神官も含めて神官はいない。

 第一天使だったメルスがここにいることが分かると面倒臭いことになる。

 だから神官の前で召喚しないように言われている。

 過去の驚異的な威光のあるメルスの言葉を借りて、指示を聞かせないといけない状況なら別だが、キールが何かを言えば基本的に神官は協力してくれる。 

 そういうわけで、神官たちはメルスがここにいることは知らない。


 メルスはテオメニアにいる魔神にやられてしまった。

 何でも、テオメニアの神殿には何やら祭壇のようなものがあり、それを守護するように魔神がいる。


『そうだ。全て殺されていた。アレン殿の言われていたシアとかいう者も探してみたが、見つからなかったな』


 シア獣王女はいないようだ。

 

「ニコライ神官の言うとおりか」


 シア獣王女だけを助けに来たのではない。

 しかし、ゼウ獣王子からもよろしくと言われているので、探してみたがそもそもテオメニアにはいないとニコライ神官に聞いている。

 何でも、「捕まえた者の処刑を見る趣味はない」と言って、用事があるからとテオメニアから出て行ったと聞いている。


 祭壇とやらを守るのが邪教祖ではなく魔神なのが気になる。

 メルスが戦ったが、グシャラなんたらという邪教祖の名前ではなかった。


「その魔神を倒して、テオメニアを救わないとだね!!」


 クレナは両手を握りしめ、フンスと鼻息をたて意気込む。


「ああ、そうだな」


 クレナはいつも深く考え事をしている時に大事な目的を示してくれるなとアレンは思う。


「よし、明日は魔神狩りだ。派手に行くぞ!」


「「「おう!!」」」


 仲間たちが声を上げる。


 今の状況が続く限り、アレンたちの行動は魔王軍の後手に回る。

 今回の戦いで魔王軍が何をしたいのか、先手を取れる戦いになればと思いつつ、皆に休もうと声を掛けるのであった。

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