第10話 始祖の血
右目から血を流し、背中から白煙を上げるカイル。彼の背中に傭兵のリーダーが振り下ろした剣が迫る。
「――――ッ!」
瞬間、カイルは剣へと振り向いた。振り下ろされる剣に右手を向けて、剣の刃を右手で直接受け止める。
ざくり、と手に剣の刃が食い込んだ。相手からしてみればどちらにせよ都合がいい話だろう。このまま剣を引き抜いて、カイルの右手を使い物にならぬようにしてしまえばよい。
その考えを実行し、カイルの右手から勢いよく剣を引き抜いた。
「へへへ」
薄ら笑いを浮かべる傭兵のリーダー。様子のおかしかったカイルに脅威を感じ取ったものの、それは間違いだったと思い直したか。
だが、それこそが間違いだ。
「カイル……?」
剣を受け止めたせいで、カイルの掌がザックリと斬れた。掌から血を流すカイルの背中を見つめるリーゼロッテは、彼から発せられる雰囲気に当てられて背中に冷たい汗が伝う。
掌からボタボタと垂れる血。それがピタリと止まった。
傷口から垂れていた血がガチガチと音を立てて水が氷るように硬化していく。血が硬化していく様は、まるで木から生える枝だ。その木と枝を更に血が滴ると硬化して……傷口から垂れるカイルの血が歪な赤い剣となった。
「血の魔法!?」
それは始まりの吸血鬼。ヴァレンタイン家どころか、全ての吸血鬼の祖たる始祖吸血鬼が行使したと言われる特別な能力であった。
『始祖吸血鬼は種の根源たる血を操り、万の兵をたった1人で即死させた』
リーゼロッテが叫んだ通り、その能力の名は『血の魔法』『血晶魔法』『血液操作』などと複数の呼び名がある始祖吸血鬼のみが行使していたと記録され、続く吸血鬼達の中には1人たりとも発現しなかった能力。
己の血を操作して、硬化させた血を武器に変えて。吸血鬼一族に伝わる伝説には、相手の体内に流れる血さえも操れると謳われた始祖にして最強の吸血鬼が行使した能力。
その能力を目の前にいるカイルが使っている。目にしたリーゼロッテは言葉を失い、遠目に見ていたクライス達さえも驚愕の表情を浮かべる。
「…………」
傷口から伸びた血を剣に変え、赤い剣を握ったカイルは傭兵のリーダーを睨みにつけた。
「血が剣に? だからどうしたッ!」
己に喝を入れるかの如く、傭兵のリーダーは吼える。じゃなければ、目の前に立つ男が放つ雰囲気に飲まれてしまうと思ったからだろう。
コイツは弱い。一度は殺しかけた。どうせ狩人。見た事もない魔法に騙されているだけ。
傭兵のリーダーは小さく呟き続ける。だが、既に顔中には脂汗で塗れていて彼の今まで培ってきた経験が「マズイ」と警鐘を鳴らし続けている。
「うおおおおッ!」
殺意と気合を混ぜたような声を上げ、傭兵のリーダーは剣を振り上げながら再び攻撃を仕掛ける。
先手必勝とは言えば聞こえはいいが、実際は恐怖に負けただけ。斬れば死ぬのだ、と心に言い聞かせて駆けただけだ。
だが、勇気と気合だけは賞賛せねばなるまい。
傭兵のリーダーが振るった剣をカイルは血で作った剣で受け止める。ガチン、と鍔迫り合いが開始された瞬間に血の剣の一部が砕けた。
「は、ははッ! 脆い剣じゃねえか!!」
ガチガチと鍔迫り合いを続ける2人だったが、カイルの赤く染まった右目が相手の顔をジッと見つめるだけ。
実際、血の剣は脆かった。覚醒したてのカイルが能力を使いきれていないのか、傭兵のリーダーは力任せに剣を押し込むと血の剣がバキリと割れる。
押し込まれた剣はカイルの肩口に落ちた。刃で斬られ、剣を引くと肩口からは大量の血がドロリと流れた。流れ出た血はカイルの右腕を伝って地面へと落ちる。
「ハッ! 脅かしやがって! 所詮は雑魚じゃねえか!」
彼の言う事も正しい。所詮、カイルは元狩人だ。剣の扱いをしらない。対人戦の知識などありはしない。
だが、カイルの右目にある縦に割れた瞳孔が円形に開いた。開いた瞳孔の真ん中に魔法文字が一文字浮かぶ。
瞳に浮かんだ魔法文字が血の涙と共に地へ落ちた。地に落ちた文字は円形の魔法陣と変化して、カイルの足元に巨大な魔法陣を展開する。
「ああああああッ!!」
魔法陣の色は血のような赤だった。赤き血の魔法陣の上でカイルの咆哮が鳴る。吼えた後、カイルは歯を食いしばりながら荒い息を吐いて右腕を伸ばす。
同時に斬れた肩口から大量の血が噴出した。噴出した血は腕を伝い、血が肘から先を覆うように固まって、カイルの右腕は肘から先が血の剣となった。
最初の剣は脆かった。強度が足りなかった。何故か? 血が足りなかったからだ。
強度を増す為には血を使えば良い。鋭さが足りぬのならば血を使えば良い。
彼は元狩人だ。剣は上手く使えない。ならば腕自体を剣に変えれば良い。剣は振るえぬが、腕は振るえる。腕を剣にしてしまえば、ただ愚直に腕を振るうだけで簡単だ。
「なッ!?」
今度は自分の番だと言わんばかりに、カイルは剣と一体化した腕を振るった。それはただ力任せに振り下ろしただけであったが、相手の剣に受け止められても今度は歯零れがしなかった。
「化け物めェッ!!」
2度目の鍔迫り合いも傭兵のリーダーが何とか押し返す。だが、間髪入れずにカイルは腕を振るう。
カイルは何度も何度も攻撃を繰り返した。その度にガチン、ガチン、と何度も剣で弾き返されて、カイルの攻撃は相手に当たらない。
だが、それで良し。
カイルが繰り出し続けた攻撃を受け止め続ける傭兵のリーダー。彼の握る剣の刃にヒビが入り始めた。
「なッ!?」
ヒビが入った事を彼も認識したのだろう。慌てて距離を取ろうとするも、カイルは無言のまま距離を詰めながら剣と化した腕を振るう。
何度も、何度も。血で十分に硬化させた剣を振るい続け、一方で猛攻を防ぐ傭兵のリーダーは焦りを顔に滲ませる。しかし、遂に傭兵のリーダーが握る剣の刃からバキリと鈍い音が鳴って鋼鉄の剣は半ばで折れてしまう。
「ちくしょ――」
戦闘慣れした傭兵のリーダーは脳裏に次の一手を思い浮べていた事だろう。
だが、もう遅い。所詮、彼はただのヒューマンなのだ。魔人じゃない。吸血鬼じゃない。
折れた剣を握って顔を顰めた傭兵の目に、カイルの爛々と輝く赤い目と振り上げた剣の腕が映る。
振り下ろされたカイルの腕はスパッと紙をペーパーナイフで切るかの如く、傭兵のリーダーの右腕を肩から切断した。
「あぎゃああああ!?」
切断面からはブシュッと血が噴出して絶叫が響く。慌てて切断面を左手で押さえようとするが、カイルの猛攻はまだ続いた。
振り下ろした腕を返し、強烈な切れ味を持つ血の剣は相手の胸を切り裂いた。
「――――ッ!?」
最早、傭兵のリーダーは絶叫すら上げられない。
「…………」
無言で相手の醜態を見たカイルは腕を右脇に畳んで突きの構えを取る。トドメの一撃とばかりに心臓へ剣を突き刺した。
「ガッ!?」
血の剣と化した腕が心臓を破壊して背中から飛び出した。傭兵のリーダーは口から鈍い声と血の塊がごぼりと溢れ出る。
「ぎ、がは……」
血を吐き出した傭兵のリーダーはがくんと力が抜けて、彼の首が背中側に折れた。心臓が破壊された事で絶命したのだろう。
黙ったままのカイルは殺した相手を見つめ、剣となった腕を引き抜ぬこうとするが……。
死んだはずである傭兵のリーダーの体が痙攣し始め、彼の口と目から黒いモヤが立ち上がる。次の瞬間には再び体に力が戻り、脱力していた体が動き出した。
だらりと落ちていた首が元に戻り、ガクガクとブリキの壊れかけたオモチャのように手足を動かし始める傭兵のリーダー。目と口が黒いモヤに覆われて、明らかに人ではない「何か」に変容していた。
「首を斬ってッ!」
傭兵のリーダーが変異した事に気付いたリーゼロッテがカイルに向かって叫ぶ。彼は彼女の言う通り、剣の腕を心臓から引き抜くと首を一文字に斬った。
胴とお別れした首が地面に転がり、目と口から出ていた黒いモヤが一瞬だけ光ると空気に溶けるように霧散する。転がった傭兵のリーダーの死体は人に戻り、地面に横たわって今度こそ動かなくなった。
しかし、彼を殺したカイルの様子もおかしい。
腕を引き抜き、返り血で染まったカイルはその場にぼーっと立ったまま、目は虚ろな状態で焦点が定まっていない。覚醒したばかりなせいか、それとも血を流し過ぎたせいか、立っている彼の体がゆらゆらと左右に揺れる。
「仇を取れッ!」
頼れるリーダーがやられる様を見て呆けていた傭兵達だったが、ようやく我に返るとカイルへ向かって一斉に攻撃を開始した。クロスボウのボルトがカイルの胴に刺さり、攻撃を受けたカイルは背中から倒れてしまう。
意識を失ったせいか、倒れる瞬間に血の魔法が解けたのをリーゼロッテは目撃した。
「3人共、やりなさい!」
倒れたカイルへと向かって走るリーゼロッテ。彼女は走りながら従者達へ指示を出す。
ようやく出番が回って来た3人はそれぞれ動き出した。
ヒルデは剣とナイフを抜き、後方を塞ぐ馬上の傭兵達へ駆ける。ヒューマンとは比べ物にならない、獣人らしい素早い動きで急接近して狼が獲物の首に飛び掛かるかの如く剣で首を切り裂いた。
兄であるバーニも前方を塞ぐ傭兵達へと駆ける。彼は剣を抜き、手近な傭兵から次々に首を刎ねていった。
老執事であり、エルフのクライスは魔法を使えぬ獣人とは違い、魔法が使えるからこその戦い方を披露する。
右手の前に円形で緑色の魔法陣を浮かべると、右手から風の刃が。左手の前に円形の赤い魔法陣を浮かべると、左手からは炎の玉が。
それぞれ魔導具である杖を持った傭兵に飛んでいき、風の刃が首を刎ねる。炎の玉に当たった傭兵は全身火達磨になって。バーニ・ヒルデ兄妹とは違った魔法を行使する戦闘方法で傭兵2人を瞬く間に殺害した。
「また
カイルを確保したリーゼロッテは彼の腕を自分の肩に回し、引き摺るようにであるが後ろへ下がる。彼女をカバーするようにバーニが暴れ回り、彼を補助するようにクライスが魔法を撃つ。
「リーゼ様! 後ろは終わりました!」
「ヒルデ、手伝って!」
ヒルデと合流したリーゼロッテは彼女にカイルの腹に刺さっていた剣を抜くように指示を出す。ヒルデは突き刺さったままの剣とボルトを引き抜き、街道脇にカイルを寝かせた。
彼は気を失っているようだが顔が青白い。首筋に手を当てると脈はあって、体の損傷を確認すると自己治癒自体は進んでいた。
「治りが遅い……」
種の防衛本能故か、流れ出る血が凝固し始めて傷口を塞ぐような動きを見せる。しかし、治癒速度は覚醒前と同じようにゆっくりとした速度のようだ。
リーゼロッテの血を飲んだにも拘らず、この治癒速度はおかしい。覚醒しているのであれば彼女と同じように一瞬で傷が治るはずだ。しかも、始祖吸血鬼の血を持つなら猶更だろう。
「でも、能力は使えていたから……。半覚醒状態なのかしら?」
リーゼロッテの血を飲んだだけでは完全覚醒に至らなかったのだろうか。始祖吸血鬼に関する事は謎が多く、彼女自身も判断は出来なかった。
ただ、脈もあるし、傷口は塞がって治癒は進行している。死にはしないだろうとホッと胸を撫でおろす。
「お嬢様、終わりました」
リーゼロッテがカイルの容態を見ていると、傭兵達を全員始末したクライスとバーニが戻って来た。
傭兵達に顔を向けると全員首を刎ねられるか、黒焦げになって死亡している。さすがは「様子見」を選択できるほどの者達と言うべきか。
「やはり例の症状が関係しておりましたか」
「そうね。魔王国内で起きた感染事件と全く一緒だわ。あの傭兵のリーダーはグールに成りかけていた」
一度死亡したはずの者が再び起き上がり、目と口に黒いモヤを漂わせる姿。それは正しく『グール化』と呼ばれる症状であったとリーゼロッテは口にする。
この一連の出来事は魔王国で問題となっているのか、リーゼロッテだけでなくバーニ達の表情も強張る。
「しかし、カイル様を覚醒させたのは猶更間違いなかったかと」
「ええ。でも、半ば強引に迫った事は謝らないといけないわね……」
カイルの覚醒は計画の内であった。だが、方法としては彼を騙すような方法になってしまっただろう。
リーゼロッテの計画では彼女が傭兵の前に立ち、カイルを守りながら敵を殲滅。恐らくはグール化するだろうと予想していたが、グール化した傭兵の姿を見せて危機感を抱かせようというものである。
今現在、魔族全体に迫る危機の内容を見せてから後でゆっくりと自分の血を飲んでもらうはずだったが……。
「咄嗟に思いついた計画なんて上手くいかないわね」
カイルの行動も想定外だったが、覚醒したカイル自体も想定外だ。
「まさか、始祖の血であるとは思いませんでした」
「私もよ……」
最初にカイルの血を見た時、リーゼロッテは猛烈な衝動に駆られた。彼の血を見て「喰われたい」「一つになりたい」と無条件に思ってしまうほどに。
吸血鬼は血を見て恋をする。だが、彼女の場合は血を見て屈服したと言うべきか。あの時は理由までは分からず、彼を失う訳にはいかないと強く思っていたようだが……。
まさか既に世から姿を消した始祖の血が理由だったとは思いもしなかったのだろう。
始まりの吸血鬼が持つ血は濃厚で強烈だ。代を重ねるごとに血が薄まっていった現代吸血鬼の生き残りであるリーゼロッテが抗えるはずもない。
「でも、結果的には良かったんじゃ? カイルが始祖の血を引いているなら失うわけにはいかないし」
「そうね。何としても彼を魔王国に連れ帰って、魔王様に引き合わせないと」
もはや吸血鬼の子孫を残すだけの話ではなくなった。強力な力を持つカイルを他国で放置するわけにはいかない。
バーニの言葉を肯定したリーゼロッテは青白いカイルの頬を撫でた後、3人へ告げる。
「すぐに発つわよ。王都に行って、まずは魔王国大使館へ。魔王様への連絡を行った後にアレクサント王と商談。終わったらすぐに魔王国へ帰還するわよ」
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