第58話 妹は知っていたのかもしれない

「ハル、あたしを撮ってよ」

「……また久しぶりだな」


 12月に入った、ある日の放課後、帰り道。


 会話の脈絡もなく、唐突に晶穂がそんなことを言い出した。


 最後に春太が晶穂の演奏を撮影したのは、文化祭のときだろうか。

 あれはそれなりに反響があったが――


 芳しくない登録者数が激増する、というところまでは至っていない。

 晶穂との関係を妹に疑われている今、あまり彼女と余計なことをしたくないのだが……。


「曲ができたからさ、紹介用のPV撮りたいんだよね」

「なんだ、曲をつくってたのか。いつの間に」


「名曲はいきなり湧いて出るもんなんだよ。やれやれ、これって素人にはわからないかなあ」

「イラッとさせてきやがるな」


「あたしのお兄ちゃんの割に、芸術的な感性に欠けるよね、ハルって」

「お兄ちゃんやめろ。その感性に欠けるヤツに撮影だの編集だのさせてんのか、おまえ」


「なるほど、言われてみればそうだね。あたし、音楽以外はアートじゃないと思っちゃってたわ。いけないね、ミュージシャン特有の自意識の強さ出ちゃった」

「いやいや、ミュージシャンでひとくくりにすんな。映像スタッフをリスペクトしてる歌手なんていくらでもいるだろ」


 晶穂は見た目の可愛らしさに反して、毒のある発言が多すぎる。


「頼りにはしてるよ、ハル。あたしの撮影と編集、マジでセンスないし。U Cubeの動画投稿はやっぱセンスが重要だよね。生配信ならともかくさ」

「そういや晶穂は、生配信はしないのか?」


 春太は今さらながら、疑問を覚えた。

 動画に詳しくない人は知らないことも多いが、U Cubeなどの動画配信サイトでは主に“生配信”と“動画投稿”の二種類がある。


 生配信は、リアルタイムで撮影している映像をそのままU Cubeで配信すること。

 晶穂のチャンネルで配信しているのは“動画投稿”のほうで、あらかじめ撮影・編集した動画を投稿することだ。


「一応、あたし顔隠してるからね。生配信だとうっかり顔が映ったりあるし」

「そりゃそうだけどな」


 動画投稿の場合は、もし映ってはならないものが映っても、編集でモザイクをかけたりカットすれば済む。


 生配信は言い換えれば「垂れ流し」なので、すべてが全世界に公開されてしまう。


「生はちょっとねー。なに、ハルは生がいいの?」

「……いや、むしろ生は避けるべきだろ」

「さすが、こんなうすらでかいのにお堅いよね、ハル」

「でかいのは関係ねぇだろ」


 春太は、晶穂がニヤニヤ笑っているのは見なかったことにする。

 まだ公式には彼氏彼女とはいえ、血縁的には妹である際どい話は避けておきたい。


「つーか、マジで名曲が湧いて出たのか?」

「あたしも、ただ旅館で温泉とお酒を楽しんだわけじゃないんだよ」


「酔っ払ったのは事故だって聞いたんだが?」

「もちろん、あれは事故だけど、初めての体験で学ぶこともあったね。とにかく、あの旅行でインスピレーションが湧いたんだよ」

「あの旅行で……?」


 霜月透子の正体が判明したり、雪季ふゆが春太の実妹でないことがバレたり、春太にとっては歓迎できない事態が起きた旅行だった。


 あの旅行から学びを得た歌など、どんな内容になっていることか。


「そろそろ、あたしもU Cubeで収益化してお金稼いで魔女から独立したいしね」

「まだ高一だろ」


 さすがに、親から独立するには早すぎる。

 月夜見家は、両親ともに健在で経済状況も問題ないのだから、高校生の娘が独り立ちする必要があるとは思えない。


「というか、ハルにとってもウチの母は爆弾みたいなもんでしょ。カノジョのあたしが、さっさとあいつから離れたほうがいいんじゃない?」

「そこは難しいところだな……」


 いっそ、血の繋がった別家庭の妹と距離を取るのが一番だろう。

 冷酷に考えるなら、間違いなくそれしかない。


「言っとくけど、あたしとの縁は切れないからね。ハルが言ったとおり、まだ高一なんだから、あとたっぷり二年以上は同じ学校に通うんだし」

「……そうなんだよな」


 春太も晶穂も、転校という選択肢はまったく現実的ではない。

 二人が通う悠凛館高校は名門で、ここ以上の環境は望めないだろう。


 まだ、晶穂が魔女から独立するほうが現実味があるかもしれない。


「というわけで、観念して撮影して。場所は……そうだなあ、もう学校はバレてるから、屋上でも使おうか」

「普通に話が進んでやがる……」


 春太はまだOKした覚えはなかったが、晶穂は新曲の動画投稿をやる気満々だ。

 下手に逃げて、晶穂が春太の知らないところでなにかやらかすのも怖い。


 春太はただでさえ、雪季に晶穂との関係になにかあると疑われているというのに――

 その晶穂とも、ますます厄介なことになっていきそうだった。



「……お兄ちゃん、お兄ちゃん?」

「ん? あ、ああ、どうした、雪季?」


 数日後、桜羽家の雪季の部屋――

 もう12月――つまり、受験勉強もいよいよ大詰めだ。


 春太は自分の期末試験も間もなくだが、それもほったらかして、雪季の勉強を見ている。


「珍しいですね、お兄ちゃんがそんなにぼーっとするなんて」

「悪い、雪季が真面目にやってんのにな」


 部屋の真ん中にテーブルを置き、雪季はぴったりと春太に寄り添うようにしている。


 別に甘えているわけではなく、勉強をするなら向き合うより並んだほうが絶対にいい。

 教える側もノートや問題集を見やすいから、というだけだが。


「私は自分のことなので真面目にやるのは当たり前ですけど……」

「……成長したな、雪季。あんなに、勉強がクッソ嫌いだったのに」

「クッソって……お兄ちゃん、品がないですよ」

「おっと、失礼」


 元々、春太も松風と同じ体育会系だ。

 妹も、他の女子もいない野郎どもだらけの場では言葉遣いは荒い。


「というか、お兄ちゃん、ここ数日はずーっとボケッとしてませんか?」

「そうかな。まあ、一応、自分の勉強もしてるからな」


 雪季には学校できっちり試験対策をやっている、と説明している。

 実際、春太は授業を聞いておけば、そう悪くない成績を取れる。


 雪季の受験は大げさに言えば一生の問題なのだから、自分の定期試験を一回や二回、捨てたってかまわない。


「お兄ちゃんは、時々信じられない無茶をしますからね……無理して倒れたりしたら、私は勉強そっちのけで看病しますよ?」

「また、すげー脅しだな」


 最近の雪季は、手段を選ばなくなっている。

 晶穂の件で問い詰めてきたときも、受験を人質に取ってきた。

 なにかあったのか、と訊きたいくらいグイグイ来る。


 そうはいっても、今のところ晶穂の件は棚上げにしてくれているが……。

 雪季は、待っていれば、兄がいつか答えてくれると信じているからだ。

 妹の信頼を裏切るわけにはいかないから、いつまでも逃げられない。


「わかってるって、無茶はしない。ちょっと集中できてないから、休憩にするか」

「はい、じゃあお茶を淹れてきますね」


 雪季はそう言うと、部屋を出て行った。

 テーブルの上にはペットボトルのお茶があるが、あたたかい飲み物を用意してくれるらしい。


「まずいな、ただでさえ雪季にいろいろ怪しまれてるっていうのに」


 雪季に不審な態度を見せては、ただでさえ勉強嫌いの妹の集中力を削いでしまう。

 今は、雪季にとって大事な時期――それだけは絶対に忘れてはならない。


 とにかく、この3ヶ月ほどをしのいで無事に高校に合格してもらいたい。

 厄介な問題に向き合うのは、そのあとでも遅くはないはずだ。


「お兄ちゃん? またぼーっとしてますよ」

「あ、いや」


 いつの間にか、雪季が部屋に戻ってきていた。

 春太は、気づかない間に難しい顔をしていたらしい。


「雪季の受験のことを考えると、心配で胸がいっぱいでな……」

「お兄ちゃん、自分の受験のときには全然平気な顔をしてたのに……」


「俺は合格A判定だったし」

「くっ……わ、私もB判定ですよ!」

「この時期にC以下だったら、俺もこんなに優しくねぇよ」


 雪季が受ける高校は偏差値は高くなく、並レベルとも言いづらい。


 ただ、女子高で、顔の広い松風にも調べてもらったところ、イジメなどはかなり少ないようだ。

 荒っぽい男子はいない上に、意地悪な先輩や同級生も少ないなら、春太も少しは安心できる。


「うー……ひーちゃんなんて、S判定だって言ってましたよ」

「それ、大嘘だからな?」

「えぇっ!」


 素直な妹は騙されやすい。


 氷川はスポーツ少女っぽい外見に似合わず学業優秀だが、ゲームのランクじゃないのだからSなんてあり得ない。


「氷川はともかく、冷泉の家庭教師も回数減ったし、受験まで雪季のほうに集中できるな」

「れーちゃんも合格ほぼ確実ですもんね……」


 冷泉は追い込み時期の今は、塾での勉強がメインになっている。


「お兄ちゃんに勉強見てもらうのはメンタルケアみたいなもんっす、って言ってました」

「冷泉にケアしてもらわなきゃいけない繊細さがあんのかな」


 そういえば、と春太は思い出す。

 冷泉が合格したら本当にご褒美をあげなければならないのか。

 そこも頭の痛い問題だ。


「あ、噂をすれば――れーちゃんからLINE来ました」

「あいつ、今頃は塾のはずだが。無駄話とは、余裕じゃねぇか」


 人生をナメている冷泉にはメンタルケアというより、説教が必要かもしれない。


「なんか、話題の動画のURLとか……塾でも盛り上がってるらしいです」

「大丈夫なのか、冷泉が通ってる塾は?」


 誰でも知ってる有名塾だが、この時期に受験以外のことで盛り上がってどうするのか。


「……あれ、これって」

「ん? どうかしたのか」


「晶穂さんのチャンネルです。3、4時間前に上がったばかりの動画みたいですね」

「えっ!?」


 春太は、慌てて自分のスマホを手に取った。

 手早くU Cubeのアプリを起動、晶穂のチャンネルを表示する。


 確かに、新着の動画が一本投稿されていた。


 サムネイルは、口元まで写っているセーラー服姿の晶穂と、抱えたギター。

 コスプレ用のセーラー服は胸元が深く開いていて、わずかに胸の谷間が見えている。

 晶穂の動画のサムネとしては、珍しくもない。


「“枯れ落ちる紅葉を冬は知らない”……」


 投稿した歌のタイトルらしい。

 つい先日、学校の屋上で撮影した歌動画の新曲――


「……こんなタイトルだったのか」


 あの日、晶穂はタイトルは未定だと言っていた。

 いつの間にか決めたのか、もしかするとあのときには実は決まっていたのか。


「お兄ちゃん、この歌……」

「雪季、おまえは……」


 聴くな、と言いかけて春太は言葉に詰まった。

 そんなことを言えば、いくら素直な妹でも気になって、いつかは聴いてしまうだろう。


 冷泉も知っているなら、止めてもどこかで耳にするに決まっている。


 この曲――晶穂の新曲を聴いて数日、常にこの歌が春太の頭の中で鳴っていた。

 雪季に、ぼーっとしていると不審に思われるのも仕方ない。


「いい歌、ですね……」

「……そうだな」


 春太も、ひょっとするとバズるのではないかと思っていた。

 元から、晶穂は顔をはっきり見せなくてもビジュアルは良いし、なにより曲もボーカルも際立っている。

 だが、この曲は――


 禁断の恋を唄っている。


 好きになってはいけない相手を好きになった――

 歌のテーマとしてはベタといえばベタ、ありがちすぎるくらいだ。


 表現は遠回しではあるが、歌詞をしっかり聴き取ればおぼろげにわかってくるだろう。


 なにより、情感たっぷりに歌い上げられた曲は、歌詞を聴き取れなくても言わんとしていることが伝わってくる。


「この動画、お兄ちゃんが編集したんですか……?」

「いや、俺が編集する予定でデータは預かってるけどな……」


 この曲を公開していいものか、春太は迷っていた。

 実は動画の編集は既に終わっている。


 だが、晶穂に渡して全世界に公開していいものか、迷うような曲だった。


 これを聴いた人間のほとんどは、ただ“エモい名曲”と思うだけだろう。


 だが、晶穂の周囲にいるごくわずかな人間たちがどう思うか――


 特に、既に春太と晶穂の関係を疑っている妹が、どう思うか――


 晶穂め、やってくれたじゃないか……。

 もちろん、撮影したデータは晶穂のものなので、編集前の元データを彼女も持っている。


 どこの誰に編集させたのか知らないが、春太が知らないところで公開に踏み切るとは。


「ねえ、お兄ちゃん……」

「なんだ……?」


「晶穂さんは――お兄ちゃんのなんなんですか?」

「…………」


 なにも飾らない、ストレートな質問だった。

 ならば、もうこれ以上隠し事はできない。


 いや、晶穂が歌を公開したことすら関係ないのかもしれない。

 これ以上、大切な妹に大事な事実を隠し続けるのは限界だったのだ。


「晶穂は、俺の妹だよ。血が繋がった、実の妹なんだよ――」


「やっぱり、そうだったんですね」


「……え?」


「本当は、信じたくはなかったんですけど……」

「ちょ、ちょっと待て、雪季。おまえ……」


 雪季は少しだけ笑ってるような、見たことのない複雑な表情を浮かべながら――


「本当は、あの人の言うことなんて――信じたくなかったです」

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