第54話 妹は久しぶりの家族団らんを楽しみたい
「春太のカノジョさん、本当にいいんですか?」
「ああ、いい、いい。あいつが食事は遠慮するっつったんだから」
母親の自宅――
春太と雪季は温泉を楽しんだあと、ようやく親子三人で対面を果たした。
すっかり日も暮れて、ダイニングのテーブルには母と雪季がつくった夕食が並んでいる。
ただし、そこに晶穂の姿はない。
「あの旅館、今日は空き部屋はないけど、一人分の晩飯くらいは出せるんだとさ。晶穂も、せっかく旅行に来たんだから家庭料理より旅館のメシのほうがいいだろ」
「そうですか……お会いするのを楽しみにしてたんですが」
「えー、ママ、お兄ちゃんのカノジョが一緒に来るって聞いてピキってたじゃないですか」
「ピキってたってなんですか……いえ、なんとなくわかりますが。怒ってませんよ、別に」
「え、晶穂になにか問題があるのか?」
「だから問題は別に……ないですよ?」
母親の目は、完全に泳いでいる。
「ママは息子がカノジョを連れてくるのが面白くないタイプの母親なんですよ」
「雪季! 余計なことを言わないように!」
「ひーちゃんのママなんかは、ひーちゃんの弟くんがカノジョを連れてきたら大はしゃぎで歓迎したらしいですけど」
雪季は、母親に叱られても気にせず話を続けている。
「歓迎? 意味がわかりません……息子が連れてきたその女は敵ですよ?」
「その女って」
春太も、母にこんな一面があるとは知らなかった。
母は春太とは血が繋がっていないが、物心ついた頃から母と子として過ごしてきた。
春太は母親は他にいないと思っているし、母親のほうも今でも実の子同然に思ってくれているらしい。
若干、愛情は過剰なようだが。
「……晶穂は駅で野宿でもさせるか」
「ママ、お兄ちゃんは素直じゃないだけなので、晶穂さんを家に入れないとお兄ちゃんも外で寝ちゃいますよ」
「このあたり、もう外で寝られるような気温じゃありませんよ。いえ、雪季が大げさなんですよ。お客様はきちんとお迎えします。晶穂さんというお嬢さんのお布団も用意してありますから」
「そりゃよかった。けどあいつ、旅館の大広間で曲を披露してくるとかLINEしてきてる。こりゃ、いつこっちに来るのか……」
「春太、このあたりは街灯も少ないので、徒歩でここまで来るのは危ないです。私が車で迎えに行きますからね」
「ああ、そりゃそうか。助かるよ、母さん」
母は以前の家では車は使っていなかったが、交通機関の少ない田舎では自家用車は必須だ。
「ママが大人の判断をしてます……」
「雪季、お母さんもさすがに怒りますよ?」
母は、さっき叱りつけたことは忘れているらしい。
「まあまあ、せっかくのメシなんだしケンカせずに食おう。このキノコの炊き込みご飯、美味いな」
「ああ、それはお母さんがつくったんですよ。しめじと舞茸とえのき茸です。旬ではないですけど、良い物が手に入ったので」
「たまにウチでもつくってたよなあ。雪季はキノコ苦手だったが」
「そ、それは小さい頃の話ですよ。今は食べられます」
「昔は、雪季のほうが好き嫌い多くて手を焼きましたね。春太が、上手くあやしながら食べさせてくれたので助かりましたよ」
「そ、そうでしたっけ。自力で好き嫌いを克服してきたつもりでした……」
「記憶の改竄が見られるな」
春太がツッコミを入れると、雪季がぶーっと唇を尖らせた。
確かに、子供の頃に妹が苦手な食べ物を美味しそうに食べてみせたことがあった。
雪季が苦手な食べ物の中には、春太もあまり好きでないものもあったが。
兄というのも、なかなか辛い立場なのだ。
「お兄ちゃん、それより私がつくったおかずももっと食べてください。このチキンソテー、見事に皮がパリパリに焼けたんですよ」
「食ってるよ。つーか、今日は母さんにたくさん食べてもらわないと」
「いただいてますよ。雪季もだいぶ腕を上げましたね」
「もうママを越えてますから」
「あらら、それは自信過剰というものですよ、雪季」
「ふふふ、ママったら毎日お料理している私にかなうとでも?」
ゴゴゴゴ、と母と娘の間で殺気が渦巻いている。
母娘とはいえ、お互いに譲れないものがあるらしい。
そんなこんなで、和やかなのか殺気立っているのかわからない夕食が終わり――
「はー、腹一杯だ。食ったなあ」
「春太、本当にずいぶん食べましたね……まだ育つんですか、あなた?」
「今のところ、横に広がる気配はねぇからなあ。縦に育つのかもしれない」
春太は、180センチをおそらく超えているが、これ以上の身長は必要を感じない。
だが、自分の意思で背が伸びるのは止められないので仕方ない。
「雪季もまだ伸びそうですし……ウチの一家は揃って長身ですね」
「私はホントにそろそろ止まってほしいんですけどね。あ、片付けしてきますから、ママたちはくつろいでいてください」
雪季は手早く食器をまとめると、流しに持っていった。
春太と母はお言葉に甘えることにして、リビングへ移動する。
「ふぅ……でも、確かに雪季はお料理も上手になりましたね。そんなに教え込んだわけではないのですが」
「あいつ、興味あることだとちゃんと勉強するんだよな。料理とかゲームとか」
「肝心の学校の勉強に興味ゼロなのが困ったところですね……春太、雪季の受験のほうは大丈夫そうですか?」
「…………」
「ちょっと、目を逸らさないでくれますか。本気で不安になるので」
「冗談だよ。まあ、雪季には言わないけど問題ないと思う。変なドジさえ踏まなきゃ」
「それをやりそうなのが、雪季の怖いところですね……あの子のメンタル面のことも頼みますよ、春太。一緒に暮らしていてもいなくても、そこはあなたに任せるしかなかったでしょうけれど」
「いやあ、あいつはまだママッ子だからな。母さんも受験前には電話なりビデオ通話なりで雪季を励ましてやってほしい」
「もうママ、ママと甘えてくることはないかと思ってましたけど……そうですね、私もそのくらいはしないと。あなたと雪季には迷惑をかけてしまいましたから」
「母さんと父さんの問題だよ。俺はもう気にしてない」
「……あなたは雪季と違って、早くに大人になりすぎですね」
「どうかな。ああ、それで……そろそろ訊いておこうかな」
「どうかしたんですか?」
「あ、そうです、そうです。私、すっかり忘れてました」
洗い物を終えた雪季が、ぱたぱたとリビングに入ってくる。
「忘れるなよ」
春太が食事中にとある話題を振らなかったのは、せっかくの家族の食卓が変な雰囲気になっては困るからだった。
雪季のほうは、その件を忘却していたらしい。
「霜月――旅館“そうげつ”のことだよ」
晶穂が雪季をどう思っているのか。
そちらも気になるが、まずはこっちの話だ。
「ああ、私からも訊きたいですが、どうしてそうげつに――」
「こんばんはーっ!」
「…………っ!」
家の外から、この世のものとは思えない大声が響いた。
春太は、すぐに声の主が誰なのか気づく。
「あ、あいつ……なにしてんだ? 母さん、雪季、ちょっと見てくる」
春太はリビングを出て、玄関から外へ――
「あ、ハル! 今日も無駄にでかいね! でも、でっかいのは背だけじゃないよね! もうっ、この女泣かせ!」
「ちょっと黙れ!」
玄関にいたのは、当然のように晶穂だった。
外はかなり冷え込んでいるというのに、スカジャンを脱いで肩に引っかけ、上はパーカーだけという格好だ。
「……おい、霜月。これはいったい?」
「す、すみません。話せば長くなるんですが……」
晶穂の後ろには、仲居の格好をした霜月透子がいる。
「こらこらー、カノジョの目の前で別の子を口説く気か、ハル?」
「おい……晶穂、おまえまさか酔ってんのか?」
「酔っ払ってるわけないやーん! あたしはJKだよ?」
「……霜月、こいつに酒呑ませたのか?」
「ち、違います。いえ、ウチのせいではあるんですが、事故といいますか……」
「と、とにかく、近所迷惑だから中に入れ、晶穂。えーと……できれば、霜月にも事情を説明してもらいたいんだが」
春太は、ちらりと家の前に停車している車を見る。
車体の横に“旅館そうげつ”と書かれたバンは、春太が数時間前に乗せてもらったのと同じものだ。
「そ、そうですね。あとでお迎えに来てもらいますので、車は一度帰ってもらって――」
霜月は慌てて送迎バンの運転手に話しかけ、事情を説明すると、車はゆっくり走り去っていった。
「春太……あなたのカノジョさんはいったいなにをしてるんですか?」
「待て、母さん。こいつはいい加減ヤツだけど、いきなり酔っ払って人様の家に来るほどでもない。霜月、説明を」
「は、はい」
玄関に母親が現われ、その後ろに隠れるようにして雪季もいる。
「……………………」
母親の背中からひょっこり顔を出し、黙ったまま。
晶穂が酔っ払っているからというより、霜月がいるので警戒モードなのだろう。
「ねー、ハルー。お水ちょうだ――あっ、もしかしてハルのお母様ですか!」
「え、ええ。春太と雪季の母、冬野白音といいます」
「ぎゃー、美人! さっすが雪季ちゃんママ! 背もすらっとして高いし、ウチの魔女と取り替えたい!」
「ま、魔女……ですか?」
「こいつの戯れ言は気にしなくていいから。悪い、雪季。水持ってきてくれるか?」
「あ、はい」
雪季はとりあえず霜月から逃げられるからか、いつもより機敏に動き出した。
春太は騒がしい晶穂を連れてリビングに移動し、強引にソファに座らせる。
「ふう……それで、霜月。いったい、どういうことなんだ?」
「す、すみません。晶穂先輩が、ウチの大広間の宴会で歌ってくださったんですが……」
「ああ、そこまでは聞いてる」
別に霜月は晶穂の後輩ではないが、そんな呼び方に落ち着いたらしい。
「晶穂先輩、宴会やってるおじさん――お客様方に大人気で」
「へっへへー、まったくどいつもこいつもロリコンだぜ!」
「まあ、そこは否定できんが……あ、雪季。サンキュー」
雪季がキッチンから戻ってきて、おずおずと晶穂にコップに入った水を差し出している。
「ありがと、雪季ちゃん。んっ、んっ、美味い……! さすが、この辺はお水が美味しいんだね!」
「それ、ミネラルウォーターです」
「はー……生き返ったなあ……」
晶穂は雪季のツッコミをスルーして、深いため息をついた。
「あ、説明の続きでした。晶穂先輩に、お客様の一人が絡み始めて――その方が瓶ビールをお持ちで。先輩に絡んでいたらビールの中身が、顔にかかってしまいまして……」
「もー、ビールぶっかけられちゃったよ! ハルにもぶっかけられたことないのに!」
「よし、いいから黙ろうか?」
春太は、とてもではないが母親の顔は見られなかった。
さっきから晶穂がなにを言い出すか、気が気でない。
「まあ、事故なのはわかった。自分で飲んだんじゃないなら仕方ないな」
「は、はい。お一人で帰れる状況ではなかったので、ウチでお送りすることにしたんです」
「どっちにしろ母さんに迎えに行ってもらうつもりだったが……母さん、これどうすりゃいいんだ?」
春太は高校生で、周りには飲酒する者はいない。
両親もあまり酒はたしなまないので、酔っ払いの対処は知らなかった。
「この様子だと、しばらく酔いは覚めないでしょう。水を飲ませて、寝るのを待つしかありませんね。これだけ酔ってたらお風呂は危ないので、そのまま寝かせましょう」
「なるほど」
頷きつつ、春太は少しほっとしていた。
とんでもないアクシデントだが、母と晶穂が話をせずに済む。
晶穂は、シラフでもなにを言い出すかわからないからだ。
「透子ちゃん、わざわざありがとう。あなたも大きくなりましたね」
「いえ、こちらの不手際で――って、え? 冬野さんの……お母様ですよね? 私をご存じなんですか?」
「あら……まあ、そうですよね。透子ちゃんが私やウチの子たちと会ったのはまだ4、5歳のときでしたか」
「え? あの……桜羽さん?」
「…………」
春太は黙って首を振る。
まだなにも説明を受けていないので、春太も事情はわからない。
「あはは、なに? ハルも雪季も、ポニ子ちゃんも変な顔しちゃって」
晶穂だけが、なにやら楽しそうだ。
「霜月家は、ウチの――冬野家の親戚ですよ。透子ちゃんの母親は私の妹――つまり、雪季と透子ちゃんは従姉妹になりますね」
「はっ、はぁ!? い、従姉妹!? めちゃくちゃ近い親戚じゃないですか!」
酔っ払っているわけでもない雪季が、大声を上げる。
春太も驚きのあまり、声が出ない。
雪季を吊るし上げていたこの少女が、従姉妹――
あまりに予想外すぎる成り行きだった。
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