第39話 妹は遊びの誘惑を断れない

 春太と雪季ふゆの兄妹は、再び電車に乗って移動した。

 しばらく電車に揺られ、ターミナル駅で乗り換え――のはずが、春太は「ここで降りよう」と言った。


 雪季は不思議そうな顔をしつつも、特に反論はしなかった。

 妹は、兄の言うことにあまり逆らわない。

 兄への絶対的な信頼があるようだ。


 春太は雪季を連れて、五分ほど繁盛した駅前を歩き――


「え、お兄ちゃん、ここは……」

 雪季が、きょとんとしている。


 春太と雪季の前にあるのは、“サークル・テン”という名のアミューズメント施設。

 メインはボーリング場だが、他にも多種多様な遊び場が併設されている。


「雪季、最近ずっと勉強漬けだったからな。たまには気晴らしをしないと」

「お、お兄ちゃん……!」

 雪季の大きな瞳がキラキラしている。


 妹は中学三年生、今は11月――つまり受験勉強の真っ最中だ。

 特に雪季は若干特殊な条件で受験に挑むため、かなりキツいスケジュールで勉強している。


 現在、中学には通っていないが、朝から自宅でノルマをこなし、春太が帰宅してからは夜遅くまでつきっきりで勉強を見てやり、雪季もそれに応えて頑張っている。


 ただ、春太が見たところ、妹はそろそろ限界だ。

 いくら受験生とはいえ、息抜きは必要だろう。


 そうでなくても、雪季は勉強が苦手で大嫌いだ。

 よく頑張っているが、たまには気晴らしをしないと受験本番前に潰れてしまう。


「さてと……」

 春太は雪季を連れて、店内に入った。


 日曜なので、かなり混雑している。

 普段はあまり見かけない親子連れなどもたくさんいるようだ。


「どこに行く? ボーリング、カラオケ、ビリヤード、ダーツ、それと――」

「ゲーセンに行きましょう!」

「迷いないな!」

 サークル・テンにはかなり大きなゲームセンターもある。


「ひーちゃんれーちゃんと一緒なら、カラオケとかボーリングもアリですけど、お兄ちゃんとならゲーセン一択じゃないですか」

「まあな……」


 春太と雪季は重度のゲーマーだ。

 雪季は、最近は二日に一時間ほどしかゲームを遊べていない。

 春太も妹に悪いので、ゲームを遊ぶのは一日に三時間くらいだ。


「わー、ゲーセンなんて久しぶりです。あ、ストGがありますよ!」

「ふーん、Gはけっこう前のゲームなのに、まだあるんだな」


 キッズから大人まで楽しめるカジュアルな格闘ゲーム『ストライク・バスターズ』。

 雪季はCS64にハマる前は、ひたすら『ストバス』を遊んでいた。


 かなりのやりこみ具合で、決して弱くない春太でも雪季相手だと10回やって3回勝てるかどうかだった。

 本来は家庭用ゲーム機向けのゲームだが、アーケード向けに調整された『ストライク・バスターズG』略して『ストG』というバージョンがある。


「ストGやりましょう。アーケード版は久しぶりです。お兄ちゃんに絶望というものを教えてあげますよ」

「容赦ねぇな」


 妹は兄に対しては常に控えめだが、ゲームで接待プレイをすることはない。

 そういうわけで、ストGの対戦を開始――


「ハイッ、ハイッ、ガードするだけじゃ勝てませんよ! おっと、油断させて大技ですか! 甘い、甘い! お兄ちゃんのクセは読んでますから!」

「くそっ、スカされた……!」


 普通にやったら、春太は雪季にはかなわない。

 一方的にやられているフリをして、一発逆転の大技を繰り出したのだが、読まれていたようだ。


「ハイッ、ハイッ、ハイッ……! はぁいっ!」

「うおっ……!」


 ストGは体力ゲージをゼロにされるか、対戦ステージから落下したら負けになる。

 春太の操作するキャラは、落下どころか画面外まで吹っ飛ばされてしまう。


「やりましたー! お兄ちゃん、まだまだですね!」

「くっ、格ゲーだけは勝てねぇ……! 他のゲームは全部俺が勝つのに!」

「なんてことを! CS64で自分だけSSランクになったからって!」

「雪季はまだSランクだよな。ははっ、俺のほうがあとで始めたのにな!」


「お、大人げないです……あっちの家は回線がイマイチだったんですよ! ビデオ通話もできないのは嘘でしたけど!」

「ラグを負けの理由にしてるうちはまだまだだな」

「ううっ……」


 格ゲーで負けたからといって、他のゲームでの勝利を持ち出す大人げない兄と、素直に悔しがる妹だった。


「よし、もう一戦いきましょう。次はノーダメ勝利を掴んでみせます」

「こいつ、本気出す気だ……一割は削ってみせるからな!」

「プライドが低空飛行してますね、お兄ちゃん……」


 妹に呆れられても、春太は気にしない。

 たとえ負けても、一矢報いることのほうが大事だ。


「いいでしょう、お兄ちゃん。一割はくれてやります。でも、私の勝利は揺るぎません!」

「一割くれるのか、ありがとう!」


 馬鹿な兄妹だった。

 春太と雪季は、周りの注目を集めまくっていることにまだ気づいていない。

 騒いでいることよりも、雪季の圧倒的な美貌のせいではあるが。



 そんなこんなで、春太と雪季はしばらくゲームを楽しみ――

「はーっ! 最高でした! ああ、やっぱりお兄ちゃんとのゲームがこの世で一番楽しいですね!」

「そんな大げさな」


 春太は、カップのアイスコーヒーをすすりながら苦笑する。

 二人は、サークル・テン内にあるカフェに移動していた。

 ゲームで疲れた身体に、冷たくて甘い砂糖たっぷりコーヒーが心地よい。


「お兄ちゃんをボコれてストレス発散にもなりましたし」

「……そりゃよかったな」

「あはは」


 雪季は、無邪気に笑っている。

 妹が飲んでいるのはオレンジジュースだ。

 このカフェでは丸い変なグラスに入った、果汁100パーセントの美味しいオレンジジュースがメニューにある。


「……って、よかったんでしょうか。つい、遊べるのが嬉しくて夢中になってましたけど」

「ん? なんか問題があるのか? 俺をボコボコにした以外で」


「い、いえ……お墓参りの帰りにこんなにハシャぐのはよくないかもと……今さらですよね」

「そんなこと気にしなくていい」

 春太は笑って、雪季の頭をぽんぽんと叩く。


「せっかく日曜にお出かけしたんだ、遊ばない手はないだろ。翠璃みどりも、そんなことでヘソを曲げない人だと思うことにしよう」

「お、お母さんを呼び捨てにしちゃダメです……」

 もちろん、春太は冗談めかして呼び捨てにしただけだ。


「俺の母親は、母さんだしな。それに、もういない生みの母より生きてる雪季のほうが大事だろ」

「はい、生きます」

「なんだ、その返事は」

 思わず笑いながら、春太はまた雪季の頭をぽんと叩く。


「やっぱ、息抜きは大事だよな。俺も受験の息抜きで松風とストリートバスケやって、ヤンキーたちをボコボコに負かしたら、仲間いっぱい呼ばれて殺されそうになったっけ」

「息抜きから話が逸れてますよ! そんな危ない話、初耳なんですけど!?」

「大丈夫だ、殺されてない」


「お兄ちゃん……この前、バイクで一晩走った件も、実は許してませんよ?」

「まあ、雪季が怒るかもと思ったから、免許取ったことも黙ってたくらいだからな」

「私を心配して駆けつけてくれたから、スルーすることにしただけです。お兄ちゃん……私だって、お兄ちゃんが危ないことをしたら怒りますからね?」

「わ、わかってるって」


 春太は少し前に、雪季の友人の冷泉から妹の知らない一面を聞いたばかりだ。

 雪季は基本的に穏やかだが、怒るとかなりタチが悪く、面倒くさいということを。


 友人の氷川からのLINEは既読スルーしつつ、教室では普通に話していたという。

 なんだかわからないが、春太はその話が凄く怖かった。


「えーと……雪季の息抜きの話だったな」

「私は、もう少しバイクのお話を続けてもいいですよ。レイゼン号には言いたいことがたくさんありますけど……お兄ちゃんとバイクで二人乗りはちょっと憧れます」

「バイクは危ないだろ!」

「言ってることおかしくありません!?」


「どっちみち、原チャリは二人乗りできねぇし。中型ってヤツを取る気もないな。もし、雪季を乗せてコケたらえらいことだろ」

「お兄ちゃんが一人でコケてもえらいことです……絶対ダメです……」


 やはり、雪季は兄のバイクに反対らしい。

 とはいえ、原チャリの便利さを知ってしまったら、自転車には戻れない。

 春太は妹を危険にさらす気は微塵もないが、自分の危険には鈍感だ。


「まあ、俺が車の免許を取るのを待て。ホントは今すぐでも取りたいくらいなんだけどな」

「あ……もしかして、私の登校を気にしてます?」

「気にしないわけないだろ」


 今、中学に通っていない雪季は進路の選択肢がかなり限られた。

 幸い、素行と成績に問題がなかったために、なんとか受験できる高校は見つかったが。


 ただし、受験先の女子高は遠くはないが近くもない。

 電車で20分ほどもかかってしまう。


「雪季を満員電車に乗せたくねぇなあ」

「そうは言いましても……電車以外での通学は難しいんですよ」

「知ってるよ、バスとか自転車とかいろいろ調べたからな」


 春太は、雪季のためなら何事も手間を惜しまない。

 バスでの通学は可能だが、朝の通学時間帯はむしろ電車より混むくらいだという。

 自転車で行けなくはないが、途中に交通量の多い大通りがあるため、危険なので論外だ。


「もちろん、私はお兄ちゃん以外にお尻触られたりしたらイヤですけど」

「当たり前だろ、雪季の尻に触れるのは俺だけだ」

「はい、今は外だからダメですけど、お家ならいつでも撫でていいですよ。ていうか、撫でてください」

「言われなくても」

 

 兄妹としてはとても危険な会話だった。

 実際、春太は雪季の尻くらいなら普通に何度も撫でている。

 雪季の尻は長身の割に小ぶりで、ぷるんと柔らかく、スカート越しや下着越しでも充分のその弾力を堪能できる。


「まあ、尻はともかく……雪季の同中の女子で一緒に行ける子がいれば助かるんだがな」

「うーん、ウチの中学から受験する子はいるとは思いますけど」

「仲良くないと、一緒に登校ってわけにはいかないか」

 春太としても、雪季の同級生をガードマンのように扱うのも気が引ける。


「やっぱり、俺が一緒に登校するしかないかな」

「あのー、それだとお兄ちゃんがかなり遠回りになってしまいます」

「……それに、雪季が早めに登校することになっちまうしなあ」


 春太も、さすがに毎日遅刻するわけにはいかない。

 雪季を送ってから、ギリギリ自分の学校に間に合うように登校すると――

 当然ながら、だいぶ早くに家を出なければならない。


「大丈夫ですよ、お兄ちゃん。私も子供じゃないんですから」

「子供じゃないから危険があるんじゃないか?」

「そうとも言いますけど……女性専用車両だってあるんですし、気をつけますよ」

「うーん……」


 春太は常々、雪季を甘やかしすぎているとは理解している。

 多くの女子高生が普通に電車で通学しているのだし、女性専用車両に乗れれば危険はかなり減るだろう。


「とりあえず、先送りにするか。どっちみち無事に受かってからのことだしな」

「不安があるみたいに言わないでください。お兄ちゃん、たまにデリカシーゼロになりますね」

「気にするな」


 本当に落ちそうだったら、春太も言い回しには気をつける。

 妹は気を遣いすぎたほうがプレッシャーになると、兄はよく知っている。


「はぁ……早く受験をクリアして、ゲーム三昧の日々に戻りたいです……」

「言っとくが、雪季の受験校もそこまでレベル低くないからな? 高校になると勉強難しくなるから、頑張らないとヤバいぞ」


「ううっ……お、お兄ちゃんも高校上がってからもがっつりゲームしてるじゃないですか」

「俺はトップじゃないが、並よりは上だぞ。父さんだって成績見てるけど、俺がゲームばっかしてても文句言わねぇだろ?」


「うううっ……ママもパパからお兄ちゃんの成績表、写真で送ってもらって見てました。さすが、ウチの子は賢いですって感動してましたね……」

「あの二人、そんなやり取りはしてたのか」


 いつの間にか、春太の成績が闇で取引されていた。

 離婚した両親も、没交渉というわけではないらしい。

 実の息子でなくても、育ての母が自分のことを気にしてくれているのは嬉しかった。


「まあ……もう一人の子が賢くないので、感動してるんでしょうけどね」

「自虐に走んな。大丈夫だ、母さんには雪季の成績でも感動してもらう」


「えっ? そ、それは私にスパルタで教えるという意味では……?」

「スパルタとはまた古い表現だな。大丈夫だ、俺は非効率的な教え方はしない。今日だって、息抜きさせてるだろ?」


「そ、そうですよね。お兄ちゃんは私に甘いですもんね」

「そのとおりだ。そして――遊びの時間は終わりだ」

「ええええぇっ!?」


「冗談だよ。今日は目一杯楽しんでくれ。バイト代でふところもあったかいしな」

「今日は……? 明日からが怖いです……」


 怯えられても、ここで手加減をするのは妹のためにならない。

 春太がなにより最優先しているのは、雪季の幸せだ。

 そのためなら、心を鬼にして当人を苦労させることも厭わない。


「さて、休憩終わり。次はなにして遊ぶかな」

「なんだか、素直に楽しめなくなってきました……」


 雪季の目が、なんとなく死んでいる。

 脅かしすぎただろうか、と春太は苦笑する。


 もっとも、すぐに妹のご機嫌が直ることも知っているので、特に気にしない。

 春太自身も、なにも考えずに一日の残りを楽しみたいのだから。

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