第24話 妹は秋になってもまだいない

 高校一年の夏は、慌ただしく過ぎていった。

 春太は一学期の期末テストを何事もなくクリアし、夏休みに突入した。


 ルシータでの週三回のバイトに加え、夏休み限定で引っ越しバイトも始めた。

 真夏の肉体労働はかなりキツい。

 春太は体力には自信があったが、疲労は激しかった。

 引っ越しバイトの日は、家に帰ってもCS64を遊ぶ気になれないほどだった。


 夏休みからは、ルシータの美波みなみともCS64をオンラインで遊び始めた。

 ゲーマーを名乗っている割に美波は下手で、負けるたびにボイスチャットで罵倒してきた。


 あるときなど、負け続けた美波が「今度こそ勝つ!」と根拠もなく言い張った。

 そこで、「負けたらパンツ見せてください」と冗談で言ったら、美波は応じてきた。

 もちろん、春太は全力で美波のチームを叩き潰した。

 聖人ではないので、美人女子大生のパンツも見たいに決まっている。


《サクのえっち!》

 と子供のようなメッセージとともにパンツ画像が送られてきた。

 床の上に、黒パンツが一枚ポンと置かれている画像だった。

 この女、ナメくさってると思ったのは言うまでもない。


 夏休みが終わるとすぐに体育祭があり、春太は得意な短距離で活躍できた。

 それから――

 ゆっくりと風が涼しくなっていき、半袖をクローゼットにしまい、制服も冬服に戻って。


 十月は中間テストがあるが、他には特にイベントはない。

 進学校の悠凛館高校でも、テスト前以外はゆったり過ごしてもいい時期だろう。

 少なくとも、一年生のうちはまだ焦りたくないというのが春太の本音だ。


「なあ、月夜見晶穂さん。おまえ、今日のブラジャーは何色だ?」

「赤」

「……ためらいなく答えやがるな」

 放課後――軽音楽部の部室。


 教室の三分の一ほどの広さで、床にはカーペットが敷かれている。

 春太はクッションに腰掛け、スマホの画面をぼんやりと眺めているところだ。

 晶穂は窓際に置いた机に座ってギターを軽く鳴らしている。


「も、もうヤだ……赤、だよ……なにを訊いてるのよ……」

「演技しても結局答えてるじゃねぇか」

「隠すほどの情報でもないからね。乳首の色を訊かれたら金を取るかな」

「金次第かよ」

 春太はぼーっとスマホの画面を眺めながら、スワイプさせている。


 特に意味のない質問だった。

 今、春太のスマホには下着姿の女性の写真が表示されている。

 これを見て、不意に思いついたというだけだ。

 こんなにストレートに答えられるとは思っていなかったが。


「ていうか、あんたまだ帰らないの?」

「今日はバイト休み。メシ、外で食うから今帰ってもな」


「へぇ、今日はあの美人女子大生と会えなくて可哀想だね」

「まったくだ。美波さん、カレシがいないところまでは確認取った」

「甘いね。カレシなんて、いつデキたっておかしくないんだよ。今まさにこの瞬間、どっかの合コンでお持ち帰りされて着床してるかもしれない」

「おまえ、もうちょっと言葉選べよ……」

「ロック女は性にだらしないんだよ」

「偏見を助長すんな」


「つか、美波さん、過去にカレシいた形跡すらないんだよな」

「ほー、美人処女女子大生? それはエロいね」

「だよなあ。夢があるよな」

「一番モテるJK時代に処女捨ててなかったとすると、なにかこだわりがあるのかもね」


「ゲームが恋人、じゃ面白くないよな。ゲームはゲーム、カレシはカレシだよな」

「当たり前じゃん。あたしだって音楽好きだけど、ギターが恋人ですなんて言わないよ。つか、ギターが恋人って逆に意味深だね。えぇっ、ギターのネックでそんなプレイを!? みたいな」

「それは深く考えすぎじゃねぇ?」

「あんまり下品なのはよくないね」

 だらだらとした、無意味な会話だった。


 この軽音楽部の部室は、今や春太と晶穂の貸し切り状態だ。

 夏が終わって軽音の先輩たちが引退し、ヘルプメンバーだった晶穂だけが残った。

 晶穂も退部するつもりだったのだが……。


 先輩たちから「自分たちが在学してる間に軽音楽部が潰れるのは辛い」と頼まれ、形だけでも籍を残すことにしたのだ。

 春太も、バイトがない日はこの部室を使わせてもらっている。

 楽器やアンプがいくつも置かれていて、ドラムセットなんてものまである。

 おかげで座れるスペースは三、四人分くらいだが、カーペットが敷かれていて、春太と晶穂の二人なら寝転ぶこともできる。


 無料で楽に過ごせるスペースが校内にある、というのはありがたい。

 春太は、ギターの音も嫌いではない。

 おまけに、校内でも人気の美少女の顔や、大きくふくらんだ胸部を好きなだけ眺めていられる。

 外で時間を潰すにはなにかと金がかかるし、早くに家に帰る気にもなれない春太は、ここで暇つぶしができるのは助かる。


「で、あんたは美人JDに会えない悲しみをなにで癒やしてんの? ん? なにそれ?」

「無料で読めるグラビア写真集(電子書籍)」

「……その女、セーラー服着てるけど絶対JKじゃないよね。JK+15歳って感じ」

 晶穂は春太のスマホを覗きながら、呆れたように言う。

 下着姿もあるグラビアを眺めていて、不意に晶穂の下着の色が気になったわけだ。


「あんた、そういうので興奮するわけ?」

「+15歳っていうのが正確なところを狙いに行っててヤだな」


「画像加工ソフトで肌を補正してんだろうけど、やっぱどこかおかしいね。ガチJKのお肌は、ほらこういうの」

 晶穂はギターから手を離し、ぴらぴらと手を振ってくる。

 確かに、晶穂の手はすべすべで肌にハリがあるのも一目でわかる。


「U Cubeでも顔が映ってない美人っぽい動画はいっぱいあるけど、手とか首とか見ると歳がある程度推測できるよ。今は映像綺麗だから、わかっちゃうんだよね」

「それは夢のない話だな」

 もちろん、春太も制服を着て歌ったり踊ったりしているU CuberがガチJKだとは思っていない。

 実際に着てる制服で動画投稿するのはリスクも大きいだろう。


「まあ、本物のJKでチャンネル登録300人より、なんちゃってJKでチャンネル登録30万のほうがはるかに価値は大きいけどな」

「しばくぞ」

「シンプルな脅しだな!」


「だいたい、300人じゃない。500人まで増えてんの!」

「あんま変わらないじゃねーか。300人って聞いたの春だぞ」

 画面からでも少女だということは伝わりそうだし、胸の大きさもわかるような動画も多い。

 それでも登録者数が増えないあたり、今時はちょっとくらいお色気を出してもバズらないのだろう。


「ハァ……芸術はいつの世も認められない。ゴッホの絵は生前には一枚しか売れなかったんだよ」

「自分を慰めるネタを探すようになったらおしまいだぞ」


「いや、あたしは歌がまだまだなのはわかってんだよ。作曲もアレだし、歌もギターも全然上手くない」

「……上手くないってことはねぇだろ」

 別にお世辞ではない。

 春太から見れば、聴く音楽と晶穂の歌にそれほど差があるようには思えない。


「全然なんだよ。だからそこを、顔の良さとかおっぱいの大きさで補おうとしてるのに、それでも全然足りないのが悔しくてさー」

「見た目に頼らずにコツコツやればいいんじゃねえ?」

「持ってるものは使うんだよ」

「そうっすか」

 春太も、特に反対はしない。

 身バレしてトラブルでも起きるならともかく、今のところは彼女の周りに危険は迫っていない。


「今度さ、また撮影手伝ってよ。やっぱ、あんたが撮ったほうが上手い」

「この前、海で撮ったヤツはちょっとバズったもんな。いつもの10倍くらい再生数行ったし。それでも意外と登録者数増えなかったけどな」

「ドツくぞ」

「関西弁ツッコミやめてくれ。なんか怖ぇから」

 晶穂が砂浜で花火をしながら歌った動画が、エモいとなかなか好評だったのだ。

 春太が自分と晶穂のスマホ二台を駆使して撮った映像は、偶然ながら妙に格好いい映像に仕上がっていた。


「つーか、撮れってことは新曲できたのか?」

 晶穂は夏休みが終わってから1ヶ月ほど、悩みながら新曲づくりを進めていたらしい。

 途中経過を聴かせようともしないのが、春太には不思議だったが……。


「んー、なんでもいいからヒット曲に乗っかってとにかくバズりたい。一度がっつりバズっちゃえば、そのあとはなにを出してもグイグイ伸びるからね」

「そのうちブーストが切れて、右肩になるぞ。100万人登録のU Cuberだって1万かそこらしか回らなくなってオワコン化してるだろ」

「それは100万登録まで行ってから考えよう。それともあんた、撮影すんのがイヤなの?」


「他のヤツに撮影されるほうがイヤだな」

「……ふうん」

 晶穂が、ちょっと驚いたように唸った。


「あんたって、独占欲強いよね。雪季ちゃんも独占してたし」

「それは反省してるよ」

 春太は苦笑する。

 もう、雪季が去って四ヶ月ほど経っている。

 それだけ時間が流れて、今もわかりやすく落ち込んでいるほど暇ではない。


「俺が雪季を独占してたせいで、あいつも俺に依存しちゃってたんだろう」

「逆もだけどね。雪季ちゃんがあんたを独占してて、あんたも雪季ちゃんに依存してたわけだから」

「ちょうどいい兄離れ、妹離れの時期だったな」

「いや、ちょうどよくないから。遅いくらいだから」


「……撮影は、いつから始める?」

「そうこないと。あと一、二週間で曲を仕上げるから、それ聴いてから演出プランよろ」

「丸投げかよ」

 俺も暇じゃない――と言いかけて、春太は口をつぐむ。

 別に忙しくもないからだ。

 差し当たってやるべきことはバイトだが、どんなに張り切ってもある程度以上は働けない。

 勉強をないがしろにもできないが、晶穂に付き合う時間くらいはある。


「じゃあ、お礼の先払いってことで、今日の晩ご飯はエアルでおごってあげる」

「そりゃどうも」

 春太は礼がほしくて晶穂の撮影を手伝うわけではない。

 だが、タダ働きというのも面白くない。


「じゃ、もう行くか、晶穂」

「そうしようか――ハル」

 いつからか、晶穂は春太を“ハル”と呼ぶようになっている。


 ハル、晶穂。

 教室でもそう呼び合う二人を、クラスメイトたちは付き合い始めたと思っている。

 春太と晶穂も、それを否定したことは一度もない。


 春太と同じ中学だったクラスメイトたちは――

 どうやら、春太がシスコンだったことを忘れてしまったようだ。

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