第18話 妹はゲームショップにいない
雨の多い六月だった。
とっくに梅雨入りしているとはいえ、今年はずいぶんと降っている。
傘を片手に、肩から提げたカバンが濡れないように身体に引き寄せつつ走って、ショッピングモール“エアル”に飛び込む。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れー、サク」
春太は裏口からモール内に入り、しばらく歩いてとある店に入る。
店の事務室には、
セミロングの赤い髪に、左耳にだけ銀のピアス。
ノースリーブの黒ブラウスにミニの白いタイトスカート。
それに、ゲームショップ“ルシータ”のロゴが入ったエプロン。
事務室のテーブルに突っ伏すようなだらしない姿勢で、スマホをいじっている。
「早いですね、美波さん。今日、大学はいいんですか?」
「サボリー。大学は好きにサボれるのがいいとこやん?」
「やん、と言われても俺は高校生なんで」
美波は、この近くの大学に通う二年生だ。
大学進学と同時にルシータでのバイトを始めたらしいので、一年以上この店で働いている。
ルシータのバックヤードに更衣室はない。
私服や制服の上からエプロンをつけるだけなので必要もない。
春太もタイムカードを押して、エプロンをつけ、店長からの通達が書かれたホワイトボードをチェックする。
今日は特にたいした話もないようだ。
「あれ? 今、表は誰が出てるんですか?」
「テンチョー。ま、こんな客が来ない店、一人でも回せちゃうし」
「早めに来たなら、手伝ってあげればいいのに」
店長に言わせれば、美波は“不良バイト”らしい。
遅刻も多いし、突然の欠勤も珍しくない。
それでもクビにならないのは、ルシータはバイトが少なく、一人でも抜けたら店が立ちゆかないからだろう。
バイト歴一年の美波は、バイトの出入りが激しいこの店では古参に入るというのもある。
「サクも、早めに新しいバイト先探したほうがいいんじゃね? この店、明日潰れてもおかしくないし」
「バイト始めて1ヶ月も経ってないんだから、不吉なこと言わないでくださいよ」
春太が嫌そうに言うと、美波はけらけらと笑った。
そう、春太がバイトを始めたのは六月の頭。
あまりにも忙しすぎた五月が終わった直後に面接を受けて、即採用された。
六月は下旬に入っているが、まだまだ日は浅い。
以前から客として通っていた店で馴染みはあるものの、バイトするとなると当然ながらまったく勝手がわからない。
ようやく、仕事を少し覚えてきたというところだ。
「ま、お姉さんは店が潰れたらしばらくは遊んで暮らすよ」
「美波さん、一人暮らしって言ってませんでした? バイトしなくても生活大丈夫なんですか?」
「大丈夫なわけないやん。仕送り少ねーし」
「じゃ、ダメじゃないですか」
「サクは心配性やねー。人間、なんとでも生きていけるもんさ」
「そんなもんですかね……」
美波との付き合いも1ヶ月にも満たないが、このお姉さんがダメ人間であることは春太もよくわかっている。
美波は顔はいいし、スタイルも抜群の美人女子大生だ。
この歳では珍しく、ほぼノーメイク。
本人は「素材の良さを活かしてるの」と言っているが、メイクが面倒なのは明らかだ。
服装もいつも似たような感じで、ファッションを考えるのもかったるいとのこと。
とはいえ、実際にノーメイクでも美人だし、小柄だがすらりとした身体で、それでいて胸のふくらみも大きい。
ルシータには彼女目当ての客も少なからずいるので、店には必要な人材だ。
見てくれの良さだけでもない。
仕事も必要なことはすべてこなしているし、彼女が通っているのは名門女子大だ。
つまり――スペックが高ければ尊敬される人間になるわけでもないらしい。
もっとも、春太は美波が嫌いではない。
フレンドリーで話しやすいし、仕事を教えてくれているのは美波だ。
初日から、下の名前で気軽に呼ぶように言ってくれたのも緊張をほぐす意味でありがたかった。
彼女がいることで、この職場を選んでよかったとすら思っている。
「あ、桜羽くんも来たね。お疲れ」
「店長、お疲れ様です」
フロア側のドアが開いて、店長が入ってきた。
40歳くらいのヒゲ面のおじさんで、どことなく世界一有名な配管工に似ている。
「ごめん、大量買い取りが来ちゃったから、二人ともすぐに来てくれないかな? 桜羽くんはレジをお願い」
「あ、はい」
「うぁーい」
春太と美波は事務室からフロアに出た。
レジの横に、段ボール箱がドンと置かれている。
サイズは大きめの120だろう。
春太は最近、自宅で段ボール箱を大量に扱ったばかりなので、数字までわかる。
持ち込んだ客の姿が見えないのは、査定が終わるまで店内を見ているのだろう。
箱の中を覗くと、ぎっしりとゲームのパッケージが詰め込まれている。
最近は買い取りもネット申し込みが多く、なかなか店舗まで持ち込まれないらしい。
春太はゲームは売らない派なのだが、こうして店まで売りに来る人もたまにはいる。
「じゃあ、陽向さんはこっちをお願い」
「はい」
美波と店長は、テキパキとパッケージをチェックしていく。
汚れや同梱物の有無の確認など、素早く的確に作業を進めている。
たまにパッケージになにも入ってないものもあるそうだ。
空き箱を売りつけてやろうという悪意ではなく、中身を出したまま忘れている場合が多いとか。
「サクも早く買い取り覚えて、美波に楽させてよね」
「……頑張りますよ」
新人バイトには、買い取りは任せられない。
基本的な買い取り値は決まっている。
だが、状態によって値段が上下するし、そのあたりの見極めは難しい。
春太はゲームには詳しいつもりだが、見たことも聞いたこともないゲームも多いので、まだまだ勉強が必要だ。
「あ、ほら」
「あっ、いらっしゃいませ」
レジの前に客がいて、春太は慌てて接客する。
なんとかレジは覚えたが、現金を扱うのは未だに緊張する。
隣では、まだ美波と店長が買い取り査定を続けている。
客として店に来ていたときは、レジくらいでしか店員と接触することはなかった。
店員はレジの仕事しかしていないと思っていたくらいだ。
だが、レジ業務は店の仕事ではもっとも楽と言っていい。
買い取りの他にも、検品や商品の陳列、定期的な店内のチェック、清掃、客からの問い合わせへの対応、まだまだ仕事は盛りだくさんだ。
今のところ、春太にできる仕事は多くないが。
「テンチョー、ワゴン空けたほうがいいですね。サク、あとでやるよ」
「あ、はい。わかりました」
レジの前には、セール品がぎっしり詰まったワゴンがある。
買い取り品は古いゲームが多いようだし、多くがここに並ぶのだろう。
『うーん……シリーズ最新作なのに、ワゴン行きですか……大丈夫、私が楽しませてもらいますね』
ふと、春太の目に無いはずのものが見えた。
まるで捨て猫を拾うように、ワゴンのゲームを手に取っていた少女。
ワゴンに送られたゲームにも“いいところはある”と言い切っていた。
いつも、このショップに来ると最後にはワゴンの前に立って、真剣な目でなにを買うか悩んでいた――
「……ちょっと、サク。ぼーっとしない。査定終わったソフトをまとめといて」
「すみません」
春太は、美波に注意されて我に返った。
まだ、幻影に浸るようになるには早すぎる。
あの少女とよく通ったこの店をバイト先に選んでしまったのだから、いちいち思い出すのは覚悟の上だ。
いや、常に思い出し続けたかったのかもしれない。
そんな感傷は、美波にも店長にもお客にも迷惑でしかないだろうが。
買い取りは無事に終わり、春太は通常業務をこなして――
「お疲れ様でした」
「ふぁい、おっつー、さっくー」
ゲームショップは午後8時閉店で、閉店作業に30分ほどかかる。
店長はまだ仕事があるようで、フロアから離れられないようだ。
いつもレジにノートPCを持ち込んで、時々店内を眺めては「うーん」と唸りながら作業をしている。
美波によると、在庫の確認や発注をしているらしい。
さすがにその手の作業はバイトには任せていない。
「店長は、ちゃんと家に帰ってるんですかね?」
春太は、エプロンを外してロッカーにしまいながら美波に話しかける。
その美波はパイプ椅子に座って、スマホをぽちぽちといじっている。
「エアルの店長仲間たちとよく飲みに行ってるみたいよ。心配しなくても、ウチの店はブラックからはほど遠いから。ブラックになるほど忙しくねーし」
「まあ、時給も安いですもんね」
「サクは体力あるし、もっと他にバイト先なんていくらでも選べたでしょ? なんでまた、こんな青息吐息の店に?」
「ゲームが好きだからですよ」
「ウチはどっちかっつーとマニアックな店だよ。新品はメジャーどころしか仕入れてないし。昔のゲームを遊びたい懐古厨御用達の店だからね」
「最近は昔のゲームも、アーカイブで遊べますけどね」
「実機で遊びたいって人もけっこういんのよ。かく言う美波もそうだけど」
「へぇ……」
最新のゲーム機では、古いゲームのデータをダウンロードして遊べる。
無料のゲームも多く、最近はU Cuberが配信しているために、若いプレイヤーが遊ぶことも珍しくないようだ。
「とはいっても少数派だから、この店が厳しいことに変わりないけどね」
「美波さんは、ウチの店に厳しいですね」
「いえいえ、潰れてほしいわけじゃないよ? 美波、元々この店の常連だったし。店長の手が付いて、囲われるついでにバイトすることになったんよ」
「て、手が付いて……?」
「ちょっと、陽向さん! 人聞きの悪い! バイトが一気に辞めちゃって僕が困ってたから助けてくれたんでしょ、ありがとう!」
「ほーい、どういたしまして」
話が聞こえたのか、店長がわざわざドアを開けてツッコミを入れてきた。
「……店長も苦労しますね」
「あのおっさんもゲーム好きで、この店、趣味でやってるって話よ。親から受け継いだマンションとかアパートとか持ってて、そっちの家賃収入がメインだとか」
「優雅な話っすねー」
春太は苦労性の店長に同情していたが、そんな必要はないのかもしれない。
「ふー、美波もとっとと帰るか。今日は汗かいちゃったなあ」
「って、なにしてるんですか、美波さん……!」
なにを思ったか、美波は立ち上がってノースリーブの黒ブラウスのボタンを外していた。
黒いブラジャーと、たっぷりしたふくらみの谷間があらわになっている。
「なにって着替えんのよ。こんな汗臭い格好じゃ帰れないやん。これでも美波は乙女なんだよ?」
「乙女なら、男の前で着替えないでくれません……?」
「高校生なんてガキでしょ。男のうちに入んないね」
美波はするりとブラウスを脱ぎ捨て、ロッカーから取り出した黒Tシャツを着る。
「……世の中の男がみんな、俺みたいに理性的とは限りませんよ?」
「ウチのバイト、サク以外はみんな大学生かフリーターだし。さすがに、そいつらの前で生着替えの大サービスはしないね。もし見られたら金取るな」
「高校生も言うほどガキじゃないんですが……」
どうも、美波は春太を子供扱いしすぎているきらいがある。
「美波には弟がいたからね……どうしても、年下の男は子供にしか見えなくて」
「いた……?」
「そうそう、クッソ生意気でね。今日もCS64で連続15キル取ったスクショを送ってきやがってさ」
「まぎらわしい言い方しないでくれます!?」
過去形で言うから、亡くなったのかと思ってしまった。
CS64で連続15キルはかなりの上級者でも難しい。
美波弟は、ガチ勢ゲーマーとして絶賛ご活躍らしい。
「なにをカリカリしてんのさ。そういえば、サクもCS64やってんだよね。ちなみにランクいくつ?」
「……SSです」
「うぇっ、SSなん!? どんだけ日常生活を犠牲にしたらSSなんて取れんの!?」
「まあ、ちょっと前に、1週間くらい学校サボってCS64ばっかやってたんで」
「不良だなあ。美波でも、大学サボリなんて3日連続がせいぜいだよ」
「そんだけサボってれば充分じゃないですかね」
「でも、SからSSは1週間毎日やっても厳しくない?」
「毎日15時間くらい、ずっとやってましたから」
「ふーん……ま、いいか」
なにかを察したのか、美波は会話を打ち切ってしまった。
春太もこれ以上話したくなかったので、ありがたい。
なぜ、逃げ込むようにしてゲームばかりしていたかなど――話したいわけがない。
あの子が置いていったゲーム機で遊んでいても、あの頃のように楽しくはない。
そう気づいたら、籠もっているほうが辛くなってしまったのだ。
「は~あ、今日は3日分は働いたなー。しばらくお休みにするか」
「そんな優雅なシフト、組まれてませんよ」
バイトの先輩のお姉さんは、極めて雑そうに見えて意外と人の顔を見ている。
店長も、バイトの中でもっとも美波を信頼しているようだ。
五月のGW明けからずっと荒んでいた春太は、美波の明るさと雑なところと――さりげない気配りに救われていた。
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