第17話 妹は……
茶色い髪の綺麗な少女は脚をぶらぶらさせながら、ブランコを短く漕いでいる。
「
「もう一つ思い出しましたよ、お兄ちゃん」
「え?」
「昔、お兄ちゃんがブランコを漕ぐとすっごいブンブン高く上がってて怖かったんですよ。おまけに、最後にはぴょーんって飛んじゃいましたし」
「そんなことしてたなあ……」
それは、春太にも記憶があった。
他の友人たちと、誰が一番遠くまで飛べるか競ったものだ。
その危険な遊びで一人が骨折して、公園が閉鎖されかけたので、忘れられない。
「よっ……と」
春太も、雪季の隣のブランコに座る。
「あっ、もう危ないことはやめてくださいね?」
「やらない、やらない。もうガキじゃないんだからな」
「……そうですね、子供じゃないですもんね」
「でも、俺たちは自分の居場所も決められない。せいぜい、夜中に家を抜け出すくらいだ」
春太は、キコキコと軽くブランコを漕ぐ。
「私はママと――お兄ちゃんはパパと暮らすんですよね? 一緒に引っ越せないんですよね?」
「当然だろ。高一の春だぞ。やっと受験を終えたばかりなのに、編入試験なんて受けてられるか。そもそも、こんな時期に受けられんのか?」
考えたこともないので、まったく想像もつかない。
新年度開始早々の転入などありえないだろう。
「母さんの転職も決まったらしいし、今さらやっぱ無しってわけにもいかんだろ。二人が離れて暮らす以上、俺と雪季も一緒にはいられない」
「パパとママ、私たちに精一杯気を遣ってましたけど――どちらかが二人とも引き取るって話は一度も出ませんでしたね」
やはり雪季も気づいていたか、と春太は胸が痛むのを感じた。
両親はできる限り、春太と雪季の希望を受け入れたいと話していた。
春太は家事が嫌なら、ハウスキーパーを雇う。
雪季にはできる限り住みやすい家を見つけるし、中学も評判のいい学校がある――という話だった。
「離婚は、パパとママの問題ですし、どうにもならないですよね……でも、私とお兄ちゃんが一緒に暮らすのは……不可能じゃないですよね?」
「法律的にはよくわからんが、血が繋がってない子供でも、これだけ長く暮らしてきたんだし、引き取ることは可能じゃないか?」
「だったら――」
雪季は、すんっと鼻をすするようなマネをした。
それから、声を震わせて――
「私とお兄ちゃんを引き離したい、ということでしょうか……」
「……だろうな」
雪季は成績は悪いが、頭の回転はいい。
両親が言葉の端々から匂わせていた意図を察していたようだ。
当然、春太も気づいていた。
多くを語る必要はない。
やはり、両親は春太と雪季の関係を危険視していたのだ。
「おまえの言うとおりだったな、雪季」
「え?」
「親は子供が思ってる以上に、子供のことを見てる――ウチの親も、俺たちが世間から見れば危うい関係だって気づいてたわけだ」
「……私も、ここまで危ないと思われてたなんて想像しませんでした」
雪季は、小さく首を振りがら言った。
親たちは春太と雪季が血の繋がらない兄妹で、もしも二人が一線を越えるようなことがあっても、ルール的な問題はないことを知っていた。
それでも、兄妹として育ってきた二人だ。
親戚や近所の住人、春太と雪季の周囲の友人たちも二人を兄妹と認識している。
その二人が恋人同士にでもなったり、ずっと先に結婚したりしたら――世間体が悪いのだろう。
春太自身も、客観的に見ればおおっぴらに公表できることではないと思う。
「父さんも母さんも、実の兄妹として育てたのに、なんでこんなことに――って思ったのかもな」
「でも、もっと早くに“実の兄妹じゃない”って言われてたら、それもショックは大きかったと思います」
「正解なんて、誰にもわからねぇよな」
春太もショックは受けたし、両親に文句の一つも言いたい。
だが、それでも――
「俺は、雪季と実の兄妹として育ってよかったと思ってるよ」
「私も……はい、私もそう思います。お兄ちゃんの妹でいて、本当に……」
雪季は、今度はこくこくと何度も小さく頷く。
そう、春太と雪季はあくまで兄妹――だった。
仲が良すぎるだけで、兄妹の一線を越えたことなどない。
これからも、越えることがあるとは思っていなかった。
雪季は可愛く、スタイルも大人びてきたけれど、彼女に手を出したいと思ったことなどなかった。
本当に――?
一瞬、疑問が頭をよぎった。
同じ部屋で着替えている白い肌、下着に包まれた二つの豊かなふくらみ。
風呂場で見た火照った肌、髪を結ってあらわになったうなじ。
それらに一瞬たりとも欲望を覚えたことがなかったか――?
「……まさか」
「えっ?」
「いや、なんでもない。親たちは、俺たちに最大限不自由がないようにしてくれる。でも」
「私たちを引き離すことだけは、譲れない……」
ぼそりと言って、雪季はうつむいてしまう。
この妹のほうは、同じ部屋での生活、過剰でもあったスキンシップに、兄への愛情以外のものを感じていなかったのか。
そんな質問が、春太にできるはずもない。
「たとえば、私がこっちに残りたくても――血の繋がってないパパに養ってくださいなんて言えませんよね」
「俺だって、自分で自分を養うことなんて――できなくはないだろうが、難しい」
「それはダメですよ。お兄ちゃんは勉強できるんだから、大学までちゃんと進まないと。親の援助無しじゃ難しいですよね、それ」
「不可能じゃないだろうが……」
情けない話だが、いきなり親の庇護を離れて生きていくことなどできそうにない。
春太も、しょせん今年高一の子供でしかないのだ。
「それとも……私をさらって駆け落ちでもしてくれますか?」
「雪季……」
「……なんて、冗談です。一番ナイですよね、そんなの」
雪季は、くすくすと笑っている。
見慣れた妹の顔に張り付いている表情が、どこか作り物めいて見えた。
「駆け落ちなんてダメです。お兄ちゃんの将来を台無しにしちゃいます。もし、私をさらうって言ってくれても断りますよ」
「ロマンに欠ける展開だな」
「ドラマは充分あったんで、もういいですよ」
雪季は、ふるふると首を振った。
確かにドラマとしては充分だ。
実は兄妹じゃなかった――ありがちだが、仲の良い兄妹にとってあまりに残酷すぎる事実だ。
「でも、お兄ちゃん」
「ん……?」
「一つだけ、お願いしてもいいですか?」
「なんだ?」
「もし、このまま離ればなれになるなら――その前に」
「…………」
「キスしてくれませんか……?」
雪季は、ふっと横を向いて上目遣いに見つめてきた。
彼女の目も顔も笑っていない。
春太は、雪季の唇を一瞬見つめてしまい――息が止まりそうになった。
心臓がドクドクと高鳴り出す。
血の繋がりがどうであろうと、物心ついた頃からずっとそばにいた相手だ。
冗談を言っているのかどうかくらい、判断がつく。
同じ部屋で着替えをして、一緒に風呂に入って、休日にはデートを楽しむ。
まるでカップルのような兄妹だったが、カップルではない。
唇を合わせるキスなんて、一度もしたことはない。
だから――
「ダメに決まってるだろ」
「……ですよね」
だからこそ、そのお願いを聞いてはいけない。
肉体的には兄妹でなくても、精神的には今でも兄のつもりでいる。
だったら、キスなんてしてはいけない。
春太の勝手な区別だが、それは兄妹の一線を越える行為だ――
「…………っ!?」
雪季が息を止め、大きく目を見開くのが見えた。
見えたのはそこまでで、春太は目を閉じて雪季と唇を重ねていた。
少しだけ冷たくて、だがとろけそうなほどに柔らかい感触――
唇を合わせていたのは、ほんの三秒ほどだろうか。
春太は浮かせていた腰を再びブランコに下ろし、正面を向いた。
「あ、あれ? お兄ちゃん、ダメって……?」
「……気が変わったんだ」
とてもじゃないが、春太は雪季の顔を見られなかった。
一線を越える行為だと思いながら、自分を止められなかった。
兄妹じゃないとわかった途端に、キスするなんて。
あまりにがっつきすぎじゃないだろうか。
「お兄ちゃん……」
「…………っ!?」
雪季の声に、春太は思わず横を向いてしまう。
妹は――妹だった少女は、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「……イヤだったのか?」
「いつも察しがいいお兄ちゃんなのに……今日はにぶいですね……」
どうやら外れだったらしい。
だが、雪季が泣いているのはまぎれもない事実だ。
雪季はその大きな瞳からぽろぽろ涙をこぼしながら、少し笑っているようにも見える。
黙ったまま、雪季は泣き続けた。
なぜ彼女が泣いているのか、春太ははっきりとはわからない。
それでも、雪季がキスを嫌がったわけではないことくらいは、もうわかっている。
そして――
自分もなんだか泣きそうになっていることも。
今日、俺と雪季は兄妹じゃなくなったんだ――
その事実が、今さらながら悲しすぎた。
この夜から1ヶ月も経たない、夏が近づいたある日。
妹だった少女は、春太の前からいなくなった――
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