ちょっと貸してよ

あるむ

ちょっと貸してよ

「これ、かわいいね。ちょっと見せて」


 えりかちゃんはそう言うと、みきちゃんの手から赤いリボンをとって、自分の髪に結び始めた。


「似合う? ちょっと借りるね」


 えりかちゃんの「ちょっと」が「ちょっと」だったことは一度もなかった。それを知っているみきちゃんはとても嫌そうな顔をしていたけれど、何も言わずにむっつりと黙った。


 ぼくの中にはかおりちゃんから借りた水色のシュシュや、みさきちゃんから借りた緑色の香り付きのペンや、しおりちゃんから借りたピンク色の消しゴムや、りかちゃんから借りた黄色いメモ帳なんかが入っている。どれも借りた時にだけ使って、返しもせずぼくの中でぐちゃぐちゃとしている。


 パンパンに膨らんでいくぼくをよそに、えりかちゃんは気にせずどんどん借りっぱなし。ゆりえちゃんにも、わかこちゃんにも、あいちゃんにも、すずかちゃんにも借りていく。


 みんなみんな、リボンを貸してくれたみきちゃんみたいに、むっつり黙ってそれっきり。


「これ、かわいいね。ちょっと見せて」


 なつきちゃんの手からふわふわのキーホルダーを取ろうとしたえりかちゃん。


「だめ!」


 大きな声でぼくはびっくりしてしまった。えりかちゃんもびっくりして、目を真ん丸にしている。


「どうして?」


「えりかちゃんに貸したら返って来ないから。私のものだから、だめ」


「ちょっと借りるだけなのに?」


「借りたもの返したことあるの? そのかばん、ぎゅうぎゅうに物が入ってるみたい」


「返すつもりだったもん」


「ふうん。じゃあ、そのかばんを貸してくれるなら、私のキーホルダー貸してもいいよ」


 えりかちゃんも、なつきちゃんも黙らない。今まではえりかちゃんが言えば、おともだちはすぐにむっつり黙っていたのに、なつきちゃんは負けじと言い返してくる。えりかちゃんが足をゆさゆさしてきて、ぼくは小刻みに揺れた。


 えりかちゃんはぼくの口をがばりと開けると、中に入っていたものを全部机の上に出した。


 いろんなものが転がって、机の上をころころと動き回る。ぼくは久しぶりに空っぽになって、ぺったりになった気分を味わった。おなかと背中がくっついてぱかぱかとしている。こんなふうに手が届くのはいつぶりだろう。


「はい、これ」


 ふうふうと気持ちよくしていると、えりかちゃんはそう言って、ぼくをなつきちゃんに差し出した。ぷらんぷらんと揺れるぼくからは、机の上の山になっている物たちや、えりかちゃんの怒っているみたいな顔、なつきちゃんのびっくりした顔が見えた。


「わかった。はい、これ」


 なつきちゃんはそう言うと、ぼくとキーホルダーを取り替えた。なつきちゃんの手に移ると、えりかちゃんの顔がよく見えた。ふわふわとした髪の毛をふたつに結んで、そばかすの浮いた活発そうな顔。


 えりかちゃんは、ふわふわとキーホルダーのさわり心地を楽しんでいるみたいだった。ぼくは落ち着かない気持ちで、なつきちゃんの手に握られていた。早くえりかちゃんの元に帰れるかな。


「ねえ、かばん、返してよ」


 ちょっとしてから、えりかちゃんはなつきちゃんに言った。


「もうちょっと貸して」


 なつきちゃんはそう答えると、ぼくの中にメモ帳や筆箱なんかを入れてみせた。


「キーホルダー返すから、私のかばんを返して」


「まだいいでしょ。今日はちょっと借りるから」


 なつきちゃんはそう言って、えりかちゃんを見ている。


 えりかちゃんの顔は今にも爆発しそうな風船みたいだった。とても怖くて、ぼくはえりかちゃんのところへ戻りたくなくなってしまった。


「かばんがないと、これ持って帰れないじゃない」


 えりかちゃんはそう言いながら、机の上の物たちを指差した。


「みんなに返すつもりだったんでしょ? 返せばいいんじゃない?」


 なつきちゃんはいたって冷静に、えりかちゃんにそう言った。


 爆発しそうな風船みたいだったえりかちゃんは、今度はぶるぶると震えているみたいだった。ほっぺも少し赤くなっていて、きっ、となつきちゃんのことを睨んでいる。とても恐ろしい顔だった。


 えりかちゃんはくるりと背中を向けると、みきちゃんのところへ歩いて行った。


「これ、返す」


 みきちゃんに向かって、机の上の物たちを指差した。


「私から借りたものも覚えてないの?」


 少し考えてから、えりかちゃんは緑色の香り付きのペンをみきちゃんに差し出した。


「それ、私のじゃないし」


「じゃあどれ!」


 大きな声でえりかちゃんはみきちゃんに言った。


「なにそれ」


 みきちゃんも怒って言った。目が三角になって、とても冷たい目でえりかちゃんを見ていた。ぼくは怖くなったけれど、二人から目が離せなかった。ぎゅっ、と、なつきちゃんがぼくの紐をつかむのがわかった。


「もういい。いらない」


 みきちゃんはぷんぷんしながら、えりかちゃんの前からいなくなってしまった。


「ねえ、これ返す。持ってって」


 通りかかったかおりちゃんの腕を掴んで、えりかちゃんは言った。


「私から借りたもの、覚えてないの?」


「だから、どれだっけ?」


「いらない。あげる」


 かおりちゃんも三角の目をして、ぷんぷんしながらえりかちゃんの前からいなくなってしまった。


「どうして、持って行ってくれないの。せっかく返すって言っているのに」


 えりかちゃんの目も最初は三角になっていたけれど、どんどんふにゃふにゃの目になっていった。


 だんだんと足を踏み鳴らすけど、みさきちゃんも、しおりちゃんも、りかちゃんも、みんなえりかちゃんのことを遠くから見ているだけだった。


「返すって言ってるんだから、自分の物、持って行ったらいいのに!」


 えりかちゃんはそう言ったけれど、みんな静かにいなくなった。


 机の上に積まれた物たちをチラチラと見ながら、えりかちゃんはイスに座っているしかなかった。


 なつきちゃんはぼくの中からメモ帳や筆箱を取り出していった。またぺらぺらのすかすかになるぼく。


 それからぼくはふわっと浮いて、えりかちゃんの方へ寄って行った。なつきちゃんがぼくを持って、えりかちゃんに近づいたんだ。


「みんなの気持ち、わかったかな」


 なつきちゃんがそう言うけれど、えりかちゃんは下を向いて黙っている。ぼくからは、唇をきゅっと結んで我慢している顔がよく見えた。


「はい、これ」


 ぼくをえりかちゃんに差し出すなつきちゃん。えりかちゃんはぼくを急いでつかんだ。強い力でつかまれたから痛かったけれど、えりかちゃんのところに戻れてほっとした。


「私のキーホルダーは?」


 なつきちゃんがそう言うと、えりかちゃんはポケットからキーホルダーを出して、なつきちゃんに投げつけた。


 えりかちゃんはぺらぺらになったぼくをがばっと開けて、ガサガサと机の上の物を詰めた。ぼくはまた手が届かないくらいパンパンになって苦しくなった。


「ちゃんと謝らないと。借りて良いよって言われてないのに、借りたんでしょ」


「ちょっと貸してって、ちゃんと言ったもん」


「ちょっとっていうのは、少しの間ってことなんだよ。私がえりかちゃんのかばんを返さなかったら困ったでしょ。おんなじ。みんな怒ってるんだよ」


 なつきちゃんが言ったけど、えりかちゃんは答えないで無視をしていたむ。ぼくは少しだけ不安になって、えりかちゃんのおなかにぴったりくっついた。でも今のぼくはボコボコしていて、あんまりくっつけなかった。


「帰る」


 えりかちゃんはぼくの紐をぎゅっと握って、なつきちゃんにそう言った。


「私も帰るよ」


 なつきちゃんはえりかちゃんの後ろを歩いて来た。


「ねえ、なんで人の物を借りるの?」


 なつきちゃんが後ろから質問をしてきた。


「かわいいから」


 えりかちゃんが前を向いたまま答えた。ぼくはえりかちゃんが歩くのに合わせて、リズムよくゆらゆらしていた。


「お母さんに買ってもらえばいいじゃない」


 なつきちゃんが後ろから返事をした。


「買ってくれるけど、みんなが持ってるものがいいんだもん」


 えりかちゃんは前を向いたまま答えた。塀の上で大きなあくびをしているトラ猫をぼくは見ていた。


「どうして、みんなが持ってるものがいいの?」


 またなつきちゃんが後ろから質問をした。


「みんなと仲良くなりたいから」


 とっても小さな声で、えりかちゃんは言った。車が横を走って行って、排気ガスがぼくにかかった。


「みんなと仲良くなりたいなら、やっぱり謝らないと」


 なつきちゃんが後ろから答えた。あんなに小さな声だったのに聞こえたことにびっくりだ。


「でも、どれを誰から借りたか、覚えてないの。それに、あんなに困るなんて思ってなかった」


 ちょびっと震えた声で、えりかちゃんは言った。ふるふると揺れる声は、とっても悲しそうだった。ぼくもなんだか悲しくなって、パンパンに膨らんでいるおなかがすうすうとしてきた。


「素直に言えばいいじゃない。どれだか分からなくなってごめんなさいって。今まで借りていてごめんなさいって」


 なつきちゃんは、えりかちゃんの隣に来て言った。なつきちゃんのやさしそうな、お母さんみたいな顔が見えた。


「だって、謝ったことないし、怖い」


 ぽたぽたと雨が降ってきた。ぼくは空を見上げたけれど、とても青い綺麗な腫れた空だった。でもぽたぽたと、まだ雨は降っている。それはえりかちゃんの涙だった。えりかちゃんの大きな両目からぽたぽたと涙がこぼれて、ぼくへと落ちていたのだった。


「大丈夫だよ。ちゃんと謝れば、きっと許してくれるって」


 なつきちゃんはそう言って、えりかちゃんを慰めた。えりかちゃんの肩に手を置いて、小さい子どもにするみたいに、ぽんぽんとあやしている。


 なつきちゃんのやわらかい手のひらがぽんぽんとするたびに、ぼくの紐にふわっと触れてくすぐったかった。ぼくにはなにもすることができなくて、ただえりかちゃんにぶら下がって揺れるだけだった。




「みきちゃん、昨日はごめんなさい。借りていたもの、返したいんだけど、どれを借りたか分からなくなっちゃったの。だから、どれだったか教えてくれる?」


 今日のえりかちゃんはいつもみたいに強い女の子じゃなかった。ぼくをがばっと開きながら、消えてしまいそうなくらい、小さな声で一生懸命みきちゃんに謝っていた。口いっぱいにがばりと開けられたので、とっても苦しかったけれど、みきちゃんのリボンがよく見えるようにぼくはがんばった。


「えりかちゃんが私から持って行ったのは、これだよ」


 みきちゃんはそう言って、くしゃくしゃになった赤いリボンをぼくから取り出した。するりとぼくの中をなでていったリボンが、ちょっとくすぐったかった。


「とってもかわいいリボンだったのに、くしゃくしゃにしてしまってごめんなさい」


 えりかちゃんはまた、みきちゃんに謝った。


「もう次からはしないでね。私のお気に入りだったんだから」


 みきちゃんはそう言うと、えりかちゃんの前からいなくなってしまった。


 ぼくの中にほんの少しだけ風が通った。


「かおりちゃん、昨日はごめんなさい。借りていたもの、返したいんだけど、どれを借りたか分からなくなっちゃったの。だから、どれだったか教えてくれる?」


 かおりちゃんのところへ行って、えりかちゃんはさっきと同じように謝った。ぼくも大きく口を開けて、おなかの下の方にあるシュシュが見えるようにがんばった。


「えりかちゃんが私から持って行ったのは、これだよ」


 かおりちゃんはそう言って、がさごそと底の方から水色のシュシュを取り出した。おなかの中がちょっとすっきりした。


「とってもかわいいシュシュだったのに。ごめんなさい」


 えりかちゃんはまた、かおりちゃんに謝った。


「もう次からはしないでね。私のお気に入りだったんだから」


 かおりちゃんはそう言うと、えりかちゃんの前からいなくなってしまった。


 そうやって、みさきちゃんにも、しおりちゃんにも、りかちゃんにも、みんなに謝ってどんどんぼくを軽くしていった。


 ぼくの中はすかすかになっていくのに、なんだかぼくは嬉しくなっていく。えりかちゃんも、少しずつ少しずつ笑顔になっていくのが不思議だった。


 全部を返し終わってぼくがまたぺったりになった時、なつきちゃんがえりかちゃんの前にやって来た。


「ちゃんと全部返したんだね。これ、貸してあげようか?」


 なつきちゃんの手には、ふわふわのキーホルダーがあった。


「ううん、いいの」


 えりかちゃんは、なつきちゃんにそう返事をした。


「その代わり、おんなじキーホルダー、私も持ってもいいかな」


 消えてしまいそうな声でえりかちゃんは言ったけど、それよりもずっとずっと恥ずかしそうだった。


「いいよ。これを買ったお店に一緒に行こうよ」


「うん。ありがとう」


 なつきちゃんの答えを聞くと、えりかちゃんはとびきりの笑顔で言った。


 ぼくが見たことのない、いちばんの笑顔だった。


 ぺたぺたになったぼくをぱさぱさと揺らしながら、えりかちゃんはなつきちゃんと歩いた。ぼくも軽いし、えりかちゃんの足も軽かった。スキップをしそうな、スキップをしたら空を飛べそうなくらいだった。




 今ではぼくにも、キーホルダーがついて、えりかちゃんが歩くたびにポンポンと揺れている。隣を歩く、なつきちゃんのリュックにも、おんなじキーホルダーがポンポンと揺れている。

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ちょっと貸してよ あるむ @kakutounorenkinjutushiR

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