第15話 桜舞う

 頭に矢を描こうとしても思い浮かばず、真琴の額に汗が滲んだ。

 弓を持つ手が震え、その間にも、異形が近づいてくる。

 ぎゅいんっと距離を縮めてきた異形の顔が、真琴にもハッキリと見えた。


「見いつけた……」


 ねばりつくような声が耳に入り、真琴は身の毛がよだった。

 動きたいのに動けない。


 黒い影はまさに異形の妖だった。

 この世のものではない、でも人間に模したような爛れた目らしきものと、粘着質な声が垂れる歪んだ口を持っていた。

 そして、そこから発せられる害意が真琴の体を硬直させた。


 思考さえ止まりそうな中で、真琴の頭に浮かんだのは北星の顔だった。


(先生……!)


『おまえはまだ妖から自分の身を守る手段を持たない。仮に何かと遭遇してもすぐに逃げるんだよ』


 北星の言葉がその姿と共に思い出される。

 歯の根が噛み合わない状態で、真琴は必死に心の中で謝った。


(先生、ごめんなさい……先生の言うこと守らなかったから……)


 見つけたと呟いた異形の妖は、真琴を食らおうと有り得ない大きさまで口を開けた。

 迫りくる異形の妖の口の前で、真琴が目に熱い涙を浮かべた時、一陣の風が舞った。


「桜舞円陣刃」


 薄紅色の桜の花が、そこに滞った淀みを祓うような風と共に舞った。

 季節外れの桜に真琴が目を奪われた時、桜の花びらが刃となって異形の妖に突き刺さった。


「ぎええええええ!」


 悲鳴が上がっても容赦なく、また次の桜の花びらが妖に無数の傷を負わせる。


「うちの弟子に汚い手で触ろうとした罰だ」

「先生!」


 鋭い眼差しで異形の妖を見つめていた北星だったが、真琴に声をかけられ、目元を柔らかくした。


「家に戻ったら、おまえの学校の道具が置いてあって、おまえもいないから探したぞ」

「すみません……」

「いや、おまえだって学校の後に遊びに行きたいことだってあるだろう。その時は書置きを残しておいてくれ。もっとも……今回はそういう事態ではないようだが」


 北星はちらっと背広の男たちに目を向け、男たちがヒッと声を上げた。

 しかし、北星は男たちには構わず、異形の妖に目を向けた。


 異形の妖は無数の傷を負って、汚れた色の体液を垂れ流しながら、前に這うように進もうとしていた。


「まだ動けるか。ここを片付けるには、貴様に静かにしてもらわないとな」


 北星が真琴の前に立ち、小さく唱え始める。


「掛けまくも畏き、大神・大地主。此の処、祓い清め……」

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