鈍色の自由③

 アデッサが救った少年の名はソイヤ。


 アデッサとダフォディルはソイヤに誘われ、貧民街の入り口にある彼の家へと向かった。小走りでまえを進むソイヤのあとにつづき、市場の裏通りから貧民街へと道を進むにつれて建物の背は低くなり、道端みちばた瓦礫がれきが増え、住民たちの衣服は粗末になってゆく。


 到着したソイヤの家は貧困の底をつくようなたたずまいで、ところどころ漆喰しっくいが欠けた日干し煉瓦れんがの壁は『次に雨が降る前に修理しなければ』と言う状況が、もう何年も続いているように見受けられた。


 家に入ると中は薄暗く、しんとしている。


「母さんが『紋章屋』だったんです」


「なるほど。それでこの紋章のことを知っていたのか」


 アデッサは右腕の【瞬殺の紋章】をなぞった。


「はい。そうじゃなくてもアデッサさんは有名ですけどね」


 ソイヤはにこりと笑う。

 アデッサは照れ交じりの笑顔を返すと、改めて部屋のなかを見回した。


 内側から見てもやはり壁の手入れは行き届いておらず、すでにち始めていると言った方が良いレベルだ。もともとは作業場も兼ねていたと言う室内は広々としており、奥にも部屋があるようなのだが人の気配はなかった。部屋の隅に簡単な寝床とカラ。それ以外に家財道具らしいものが何も見当たらない。床には砂が積もっている。


「父は、冒険者だったんです」


 ソイヤは独り言のように語りはじめた。


「でも、旅に出たきり戻らなくて。母が紋章屋をして育ててくれたんですが体が弱くて、去年……」


『紋章屋』とは様々なアイテムに紋章を刻み込む職業だ。


 魔法使いはアイテムに魔力を宿やどらせることができる。だが、その魔力は時間とともに揮発きはつし、効果をうしなってしまう。しかし、アイテムに魔法に合わせた紋章を刻みこめば魔力が継続する時間を大幅にのばすことができる。マジックアイテムをつくるためには、紋章屋はなくてはならない職業だ。


 だが、魔王討伐の影響で冒険者は減り、マジックアイテムの需要も減少している。母子二人の生活が苦しいものだったであろうことは容易に想像することができた。


 世界が平和になったことにより、更なる幸せを求めて活動できるようになった人々も居る。

 だが、その一方で、戦いの副産物である利益にすがる人々は職を失うこととなる。


 アデッサは溜め息をついた。

 そして――


「だからと言って、『そんなもの』に手を出してはいけない」


 と、冷たく言い放つ。

 鋭い眼差しは、ソイヤには向けられていない。


「……アデッサさんは、気づいていたんですね」


 ソイヤはポケットから小さな包みを出した。広げると、中には丸薬が五粒。


「これ――【賢者けんじゃの麻薬】じゃない!」


 成り行きを黙って見ていたダフォディルが驚きの声をあげる。

 あの時の裏道でアデッサがあれほど迅速じんそくな行動に出た理由がようやくわかった。


【賢者の麻薬】は、高位聖職者のみが使える魔法によって生成される薬物だ。


 本来の機能は痛み止めなのだが、痛みからの解放と共に酒に酔ったような多幸感たこうかんいちじるしい判断力の低下をもたらす。しかも、薬が切れたときに二日酔いのような苦痛が襲い掛かかる。意思が弱い者はその苦痛から逃れるためにふたたび【賢者の麻薬】に手を出し、依存症となってゆく。


 冒険が盛んであった頃は万が一の負傷に備えて誰もが用意していた薬なのだが、最近は本来の目的を離れ、まさに麻薬として利用されている。すでに各国とも販売を禁止し、聖職者たちにも【賢者の麻薬】の製造中止が呼びかけられているのだが、密売が後を絶たない。


「子供に運び屋をやらせていただなんて。アイツら、もっと痛めつけてやればよかった」


 ダフォディルが声を荒らげた。

 ソイヤはしゅんとうつむく。


「悪い事だとは知っています。でも、こうでもしなければ、生きてはこれなかったんです……」


「……」


「……警備隊に突きだしてください。警備隊は子供一人でも捕まえれば成績が上がるので喜んで捕まえますよ。僕は恨んだりしません」


 ソイヤは背中を丸めて自棄やけ気味にそう吐き捨てた。ズボンの端を握りしめる手が震えている。ひとすじの涙が零れ落ち、服に染みをつくった。


 今はどの国も【賢者の麻薬】に対する罰則は厳しい。末端の運び屋、しかも子供とは言え、最悪、その場で処刑されても仕方がない。


 アデッサは長いまつ毛を伏せ、いつになくうれいいに満ちた表情で部屋の隅を見つめ、頬杖ほおづえをつきながら溜め息をつく。


 だが、そのクールな面持ちとは裏腹に、頭の中はパニクっていた。


 ――やばいやばいやばい! 後のことは考えてなかった! 警備隊に突きだす!? いやいや、処刑されちゃうって! この子はそんなに悪い子じゃない、てゆーかイイ子じゃない! 警備隊なんかにまかせずに、ちゃんと悔い改めさせて明日から清く正しい社会生活をおくらせるべきよ! よし、決めた! どーせ警備隊員なんかボンクラそろいなんだから黙ってればバレっこない! ここは軽くお説教をして――。


 アデッサはそう決心するとキリッとした表情でソイヤへと向き直る。


「いいか、ソイヤ――」


 そのとき、戸口から二人の男たちが家の中へ、ズカズカと入ってきた。


「チワッすー、警備隊ですがー」


「ふォー!」


 驚いたアデッサが飛び上がる。


 ひとりの警備隊員は若い男。サッパリとした短い髪に褐色の肌。麻の制服の上に街の紋章が描かれた革の胸当てを着けていた。


 そして、その後からもう一人。年の頃は三十代か。先の男よりややグレードが高そうな制服と、取り付けられた勲章から隊長クラスの人物であろうと察しが付く。顔のりが深く、長い髭をたくわえ、厳然げんぜんとした顔つきをしている。


「隊長、報告があったのはこの黒髪です!」


 若い警備隊員はダフォディルを顎でさした。警備隊長はすぐにはこたえずに、髭を撫でながら部屋の中をみまわしたのち、『ふん』と鼻を鳴らすとようやくダフォディルへ視線を向けた。


「貴様、市場いちばの裏通りで魔法を使ったそうではないか」


 警備隊長が威圧的な声でダフォディルへ詰め寄る。


 どの国でも市街地での魔法の利用は禁止されている。些細な魔法や緊急の治癒ちゆ目的であれば黙認もくにんされることも多いが、戦闘系魔法の利用には相応の罰則が伴うのが一般的だ。


 ダフォディルはまゆ一つ動かさず、左腕の紋章を差し出しながら淡々と答えた。


「確かに。でもその魔法は暴漢から身を守るために使ったもの。自己防衛のための防御魔法の利用はホイサでも認められている筈よ」


 若い警備隊員はうさん臭そうな顔でダフォディルの左腕の紋章を一瞥するが……それがなにであるかを知ると目を見開いて驚きの声をあげた。


「て、【鉄壁の紋章】!!」


 若い警備隊員は腰の剣に手を当て、あとずさる。そして、カクカクと震えながら視線をアデッサへと向け、その腕に【瞬殺の紋章】を見つけると顔が真っ青になってその場へ座り込んでしまった。


「ひいぃ! 隊長、あああ、あで、アデッサです! この女、瞬殺姫です!」


 だが警備隊長はまるで動じない。不遜ふそんな態度のままアデッサを見下みおろした。


「ほう、貴様があの瞬殺姫か」


 警備隊長は表情に露骨な嫌悪感を浮かべ、続けた。


「魔王討伐などと、余計なことをしてくれたもんだ。魔王が居なくなったせいでどれだけ多くの冒険者が失業したことか。このわしも元はと言えば冒険者。貴様のせいで我々は自由な生活を失い、世界はかえって混乱しているのだ」


「た、た、た、隊長ッ!」


 腰が抜けた若い警備隊員はアデッサを刺激しないようにと隊長へとすがりつく。だが、警備隊長はそんな警備隊員へニヤリと笑ってみせた。


「恐れるな。噂で聞いているぞ。貴様は『人間の男は瞬殺できない』そうではないか。それに【鉄壁の紋章】もこちらから攻撃さえしなければただの飾りに過ぎないと聞いている。この女は人間社会の中では大して使い物にならんらしい」


 アデッサが何かを言いかけたがダフォディルは片手でそれを制し、警備隊長の前へと歩み出る。


「隊長さん。仮にもアデッサ姫は世界を魔王から救った英雄、そして、ヤーレンの第十三王女。口が過ぎるのではないですか」


「ふん。必要な礼儀ぐらいはわきまえておるわ、小娘め。礼に値する英雄かどうかは儂が決める。そして――ヤーレンの第十三王女は勘当されたと聞いているぞ」


 警備隊長は勝ち誇ったかのように言い放つ。


 なにかを言いかけたダフォディルを、こんどはアデッサが制した。


「いいんだ、ダフォディル……」


 ダフォディルは悔しそうに警備隊長を一瞥したが、ため息をつくと諦めた顔で視線を伏せた。


「わかったわ……。さあ、身分は十分に証明したつもりよ。疑いは晴れたでしょ。出て行ってちょうだい」


「ふん! 通報があった以上、市街での魔法利用の記録は残させてもらう。今日の夕刻までに西街の事務所へ出頭しろ。書類を書いてもらおう――おい、いつまで腰を抜かしている! 行くぞ!」


 警備隊長はそういうと這いつくばっている隊員を引き起こし、戸口とぐちから出て行こうとした。

 が、そこで一度立ち止まり、振り返る。


「ところで……なぜ、ヤーレンの『元』王女ともあろう者がこんな貧民街に居るのだ? そのガキとはどういう関係だ?」


「んんーッ! あ、あう……」


 こんどはアデッサがビクッと青ざめてカクカクと震えて汗をかきだした。

 ダフォディルはやれやれと首を振り、アデッサの代わりに答える。


「暴漢に襲われたときに知り合ったのよ。ここへはお茶を飲みに来ただけ」


 ダフォディルと警備隊長はお互い無言のまま、しばらく睨み合っていた。

 やがて警備隊長は何も言わずに背中を見せ、家から出て行く。


 警備隊員たちの気配が消えると、ソイヤは憔悴しょうすいし切って白くなっているアデッサに抱き付いた。


「ありがとうアデッサ! 僕を見捨てないでくれたんだね!」


 ソイヤの言葉にアデッサは力なく笑う。



 お腹を空かせているソイヤに手料理をふるまうため、アデッサとダフォディルはいちど市場へ戻り、食材や鍋や食器を買い込んできた。ソイヤの家へ戻るとなれた手つきで早めの夕食を作りはじめる。


 なにもない簡素な台所だが、野営に慣れているアデッサとダフォディルにとってはで鍋が使えるとだけで、普段よりも十分に条件が良い。言葉すら交わさずに阿吽あうんの呼吸で次々と料理をテーブルへならべてゆく。あっという間にピタで豆のペーストと干し肉をくるんだものと、甘辛い肉団子とスープとサラダが出来上がった。


「わたしは警備隊のところへ行ってくるわ。書類にサインをしないと面倒なことになりそう」


 ひととおり料理ができたところでダフォディルは出かける準備を始める。


「ダフォは食べないのか?」


「まだ夕方前よ? 昼にあれだけ食べたのに、入らないわ」


 ダフォディルはそう言うと、すれ違いざまにさりげなくアデッサの耳元へ口をよせた。


(子供の面倒をみるなんて、いつまでも続けられない。別れがつらくなるだけよ)


(……わかってる)


(こんな子供、この街だけでも何百人といるのよ。忘れないで)


 アデッサはダフォディルの警告に口をへの字にまげてみせた。

 ダフォディルはやれやれ、と首を振り――


「すぐ戻るわ。私がいないあいだは無理しないでちょうだい」


 と、言い残して警備隊の事務所へと向かった。

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