鈍色の自由②

 入国審査を済ませたアデッサとダフォディルは昼食を取りに市場へと向かった。


 街に到着したらまずは食事だ。旅のあいだは固いパンと塩漬け肉しか食べられない日々が続く。その禁欲きんよく生活のあとは新鮮な食材で作られた郷土料理や甘いものがひときわ美味しく感じられるのだ。市場の中の食堂に入った二人は、お喋りな女給ウェイトレスが勧めるままに名物の肉料理や季節の野菜料理を次々とたいらげていった。


「まったく、あの審査官。なんだったんだろう?」


 アデッサはデザートのフルーツをつまみながらぶーたれた。


「あんな馬の骨、アデッサには不釣り合いよ」


「うま?」


「そう。アデッサは仮にもお姫様なんだから。もう少し相手は選んだ方がいいわ」


「また……姉さんみたいなことを言って」


 アデッサがおどけて唇を尖らせる。ダフォディルは優雅にお茶をすすりながらアデッサの問わず語りに相づちを打ちつつ、頭の中では『いつもの疑問』へ思いを巡らせていた。


 ――アデッサって……異性のパートナーが欲しいって、本気で思ってるのかしら。


 あまりそうとは、思えない。アデッサの恋バナはいつも冗談めいていて、どこか上の空。男に興味があることを演じているかのような、まわりに合わせて『恋に恋する』ふりをしているような……そんな感じがする。


 いざ戦いとなれば、隣に立っているだけで震えてしまうほど凛々しく、鋭い。

 でも、街へ戻ればどこまでもお人よしで、鈍感。


 生まれ持った『王家の風格』とでもいうものなのだろうか。

 意中の男子の些細な言動に一喜一憂する同年代の女子とは、まるで別世界の人。


 そんなアデッサに、その辺の男との恋なんて、似合うわけがない。


 ――そして、多分、この私の想いも……。


 確かめたら二人の関係にひびが入ってしまいそうな気持を秘めて、ダフォディルは陽気に喋り続けるアデッサのくちびるをそっと盗み見た。その感触がよみがえる。ダフォディルはそっとくちびるをなぞった。



 満腹となった二人は食後のお茶を飲み終えると腹ごなしに市場の散策へ繰り出した。


 昼下がりの市場は活気に溢れている。人ごみと喧騒けんそう。色鮮やかな果物や香辛料こうしんりょう。異国の衣装に髪飾り。どこからか聞こえてくる陽気な歌声。


「平和ね」


 ダフォディルがそう言うと、アデッサは屈託くったくのない笑顔でこたえる。


「ああ。平和だな」


 だが、アデッサの笑顔は人混みのむこうから聞こえてきた声に曇る。


「――魔王が討伐されたからといって、世界に幸せはおとずれたでしょうか?」


 アデッサは歩みを止め、声の方向へ鋭い視線を向けた。


 いつも心の中にわだかまっている、疑問。

 いつも自分に投げつけている、言葉。

 それを、誰かの口からはっきりと聞いたのは、初めてのことだった。


 アデッサは雑踏のなかに声の主を探した。


「皆さん、よく見て、よく考えてください。自分の生活を、まわりの人々の生活を」


 声の主は白い修道着の女性。


 路肩に立ち、人々の輪に囲まれながら演説をしていた。雰囲気から察するに年の頃は二人より少し上。やや幼く見える丸顔に長くつややか黒髪、青い瞳、白い肌――ダフォディルと同じ北方民族の血を引いていそうな特徴をしている。


 修道着の女性はよくとおる高い声で演説を続けた。


「世界はまだ浄化され切ってはいないのです。そのけがれた世界に生まれた清純な魂がどのような運命をたどるのか、誰もが御存知でしょう? 汚れはあらたなる汚れを生むのです。いまこそ、汚れを一掃いっそうし、負の連鎖を断ち切るときなのです!」


 アデッサはまばたきをするのも忘れて演説に食い入る。魔王討伐とともに自分が見失ってしまった道しるべを、修道着の女性は高々とかかげているように見えた。何が正義であるかの答えを、自分が、何のために戦うべきかの答えを――。


「――ダンチョネ教よ」


 魂を奪われたかのように演説に聞き入っていたアデッサにダフォディルが耳打ちをした。

 アデッサが我に返り、ダフォディルを振り返る。


「ダンチョネ教? ダンチョネ教ってあんな宗教だったっけ」


 ダフォディルはまだ続きを聞きたそうなアデッサの手を引き、人の輪から引き離した。ダフォディルには『街ではどこまでもお人よし』なアデッサが、簡単に宗教に感化されそうに見えたのだ。聖職者に転職されるのは、困る。

 ダフォディルは歩きながらこたえた。


「前は違ったわ。ほんとうは古い宗教なんだけど……アデッサが魔王を倒した直後かしら。子供が教皇の座について、ちょっと『極端な感じ』になったの。その極端さが受けているみたい」


「子供が教皇に?」


「女の子よ。名前は確か――カトレア」


 アデッサは『ふうん……』とうなり、暫く黙り込んでいた。

 そして両手を上げて背伸びをし『ふっ』と溜め息をつくと、ぽつりとこぼす。


「極端かもしれないけど、ちゃんとした考えを持っていて……立派だな……」


 少し落ち込んでいるかのように見えて、ダフォディルはアデッサの手を強く握った。


 アデッサを愛しいと想う気持ち。

 それだけではない。


 絶大な力を持ち、苦難の末に偉業を成し遂げ、なおも人々の幸せを願い、それなのに『殺すことしかできない』と自らを責める心優しい英雄の支えに、ダフォディルはなりたかった。


「ダンチョネ教がこうして自由に宗教活動をできるのも、あなたが世界に平和をもたらしたからよ」


 アデッサはダフォディルの手を握り返す。


「ありがとう、ダフォディル」



 市場の隅々まで足を伸ばしているうちに、二人はいつしか狭く入り組んだ裏通りへと迷い込んだ。気にせず、そのまま裏通りの散策を続ける。


 夏場の熱気を逃がすためか、ホイサの家々はみな屋根が高く、日が入り込まない裏通りは昼でも薄暗かった。家々はみな日干し煉瓦れんが漆喰しっくいで造られている。街の中心にある市場を離れるにつれて緑は消え、周囲は砂の色一色に染まっていった。


「あッ」


 アデッサが裏通りの先に何かを見つけ、小さな声で注意を促す。ダフォディルが視線を向けると、前方の曲がり角に少年が立っているのが見えた。アデッサが少し緊張しているのが、つないだ手から伝わってくる。


 少年は建物の陰に立つ誰かと口論をしているらしく、二人には気づいていないようだ。


 すると、少年の話し相手が建物のかげから、ヌッと現れた。


 どう見ても少年の友達には見えない。

 三十絡みの、見るからにガラのよくない男。

 男の手が少年の胸ぐらを掴んだ。


 その瞬間にアデッサが走り出す。


 こう言う時のアデッサの決断の速さ――いや、何かを判断しているようにすら見えない反射的な行動に、ダフォディルはいつも驚かされる。


 アデッサは電光石火の身のこなしで少年を男の腕から奪うと自分の背にかばった。そして敵意に燃えた眼差まなざしで男をにらみつける。腰の剣に、手はかけない。


「やれやれ、まったく。お人よしなお姫様だこと……」


 ダフォディルはため息まじりに独り言を呟きながらアデッサに続いた。


「へッ、お嬢ちゃん。悪い事はいわねぇ、そいつをよこしな。でないと怖い目に合うぜ」


 国が変われど時代が変われど、三下さんしたの台詞が変わらないのは不思議だ。


「はいはい。喧嘩は私の担当よ」


 ダフォディルは面倒臭そうにアデッサと男の間に割って入る。


 建物の陰で見えなかったが……やからは全部で三人。


 少年の胸ぐらを掴んだ男が一番大柄おおがらで腕っぷしが強そうだ。奥の二人はその取り巻きと言ったところか。三人とも『冒険者崩れ』と言った汚らしい服装だ。


「ははははは! コイツは上玉だ」


 男たちはダフォディルを見ると下卑げびた笑いを浮かべながらにじり寄る。どうやら奴らの関心は少年からダフォディルへと切り替わったようだ。


 ダフォディルは視界に入れるのもイヤだと言わんばかりに眉間に皺を寄せ、男たちから顔をそむけた。


 ゴスッ!


 不意打ち。視線をらしたダフォディルの腹を目掛けて、男がいきなり拳をたたきつける。裏通りに嫌な音が響いた。


「へへ、痛めつけ過ぎるなよ。楽しめなくなる」


 背後の二人は待ちきれないといわんばかりの表情で迫ってきた。


 だが――


「ふアッ!」


 ダフォディルに拳を叩き付けた男はその手を押さえながら短い悲鳴を上げた。そして苦悶くもんの表情を浮かべながら膝をつき、歯を食いしばって痛みに耐える。男の潰れた拳からは血が流れ落ちていた。


 突然の出来事に、背後の二人は身をすくませて声を出すこともできない。


「あら。私に素手で殴りかかるなんて、やめた方がいいわ」


 警告は遅すぎたようだ。ダフォディルの周囲には左腕の【鉄壁の紋章】から噴き出した青い古代文字の帯がただよっていた。薄暗い裏路地を古代文字が放つ青白い光が照らす。


 二人の男はその紋章が何であるのかを見抜くほどの知識は持ち合わせてはいない。だが、自分たちの力ではくつがえせない遥かに高度な魔法であることだけはひと目でわかったようだ。一瞬にして戦意を喪失する。


 そして――


「お、覚えてやがれ!」


 と、定番のセリフを残し、いまだに苦悶の表情をしている男に肩を貸しつつ、逃げ去って行った。


「アデッサ!」


 ダフォディルの背後で少年が驚きの声を上げる。


 ――アデッサを呼び捨て? 知り合い?


 ダフォディルが驚いて振り返ると、少年はアデッサの腕に刻まれている紋章を食い入るように見つめて目をキラキラと輝かせていた。


「これ【瞬殺の紋章】! お姉さん、アデッサだよね!」

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