第7話 導欲

「おむらよ。そなた小助に昨晩……見たというつもりだったのだ」


 納屋の中、月明かりを背にして怪しく浮かび上がる二人の影の内の一人が、おむらに向かって声高に言った。

 円蔵がよく口にする、独特のわざとらしい口調であった。


「────……な、なぜ……」


 おむらは言葉に詰まった。なぜ昨晩小助と布団の中で二人きりで話していたことを、円蔵が知っているのか。

 言いかけた時、昨夜の記憶がまるで雷の閃光のようにおむらの脳内を激しく駆け抜けていった。

 布団の中で小助に秘密の話を打ち明けようとしていた、あの時。部屋の外の廊下から、なにやら怪しげな物音がした。

 あれは……聞かれていたのだ。この二人に、全て見られていた。聞かれてはならぬことを、聞かれてしまったのだ────。



 嫌な汗が、全身からぶわりと噴き出した。おむらは息を呑んだ。


「こ、小助様は……」

 無意識にそう呟く。



“────大事な話がある────”



 そう言って、ここに来ることを約束していたはずの愛しいあの人は……────。



 おむらの言葉を聞き、円蔵が闇の中で苦笑した。

「……だから来ぬと言ったではないか。……何度も言わせるな────おむらよ」


 円蔵があざけるようにそう言った、その直後であった。

 突如、円蔵はおむらに向かって一直線に飛び掛かっていった。自身の両腕でおむらの上半身を背中からがっちりと抑え込み、円蔵はおむらの身体を羽交い絞めにした。

 

「────っ! えっ、円蔵様! な、なにをっ……」

 おむらは上半身を無理矢理抑え込まれ身動きが取れなくなりながら、円蔵の行動に驚愕し、思わず声を上げた。

 声を張り上げたおむらの口を、円蔵は大きくごつごつとした自身の分厚い手で、握り潰すように強く塞いだ。


「んむううっ────! いやっ……!」

 おむらは激しく抵抗した。


「半四郎、布を貸せ!」

 円蔵が半四郎に向かって叫んだ。


 半四郎は持っていた手ぬぐいを懐からさっと取り出し、円蔵に向かって素早く渡した。円蔵は、腕の中でもがきながら足掻いているおむらの口にその手ぬぐいを噛ませると、おむらの後頭部に向かってその手ぬぐいをぐるりと勢いよく巻き付けた。そうして自身の口と片手を器用に使い、おむらの頭の後ろで、巻き付けた手ぬぐいをぎゅっ、と固く縛った。


「────っ! むううっ! んむぅぅ────っ!」


 おむらが叫んだ。声が籠り、手ぬぐいの中に悲鳴が吸い込まれていった。


 円蔵はおむらの衣服を乱暴に引き剝がし、裸にした。剥がした衣服で、おむらの両手首をさらに無理矢理縛り上げた。おむらの白い肌が月明かりに反射し、露わになった。円蔵が大きくごくりと喉を鳴らす音が、おむらの耳に飛び込んできた。


 おむらの耳元に顔を近づけると、円蔵は、

「おむらよ……。ずっと見ていたぞ。

 小助より私の方が……、おぬしをとっくりと喜ばせてやろう」

と、囁くように言った。 


 おむらと目を合わせた円蔵の瞳孔が、完全に開いていた。頭の天辺から足のつま先まで、おむらの全身の皮膚の表面が、ぞわりと不気味に粟立っていた。

 は、は、と犬のように息を荒げると、月明かりが降り注ぐ納屋の中で、円蔵はおむらを犯した。おむらの悲鳴が手ぬぐい越しに響き渡り、納屋の中に掻き消えていった。


 円蔵がおむらを犯している間、半四郎は納屋の入口で見張りをした。誰も来ないか、あるいはあやかしが来ないかをちらちらと気にしながら、しかし同時に生唾をごくりごくりと何度も飲み込み、円蔵と裸のおむらを横目に見ながら、見張り役には全く集中できないでいた。おむらのくぐもった艶美な声が、嫌でも半四郎の耳に入ってくる。



 おむらの頭の中に、絶望が走っていた。

 小助が裏切ったことを、おむらは理解していた。


 脳天からぐるぐると悲しみが押し寄せる。どろどろとした負の感情が渦巻いていく。


(────あの時────……見なければ良かった)


 後悔の念が、荒れ狂う波のようにおむらの胸に押し寄せていく。轟々と何かが崩れゆく音、悲しみの渦に飲まれながら落ちてゆく感覚────。

 


 円蔵に犯されながら、おむらは小助に打ち明けようとしていたあの日の記憶を、頭の中でぐるぐると思い起こした。




────それは、ひと月半程前のことであった────。








◆◆◆

 







 屋敷の主人が六日後に戻るというのを聞き、女中たちはその日から各々で手分けをして、屋敷内のいたるところを掃除することとなった。


 二階の廊下を拭き上げるためおむらが階段を上がって西に進んでいくと、奥にある半四郎の部屋から突如、


「どうだ半四郎! とっくりと見てみよ!」

という、円蔵の嬉しそうな声が聞こえてきた。


 あまりの大声におむらはどきりと身体を震わせ、思わずぴた、と足を止めた。すると興奮していた円蔵の声が、途端に小さくなった。

 やがてひそひそと声を潜めて話す声が、おむらの耳に、微かに聞こえ始めたのである。


 おむらは円蔵が、誰と何の話をしているのかが気になった。好奇心が勝った。


 円蔵や部屋の中の者に気づかれぬよう、おむらはひそひそと声がする半四郎の部屋の戸の隙間を、そっと覗いた。


 中にいたのは、円蔵と半四郎の二人だけであった。



「────……円蔵様。まことに……よろしいのでございますか」

 半四郎が小さく言った。見ると、両の手の平の上に、一本の立派な刀を大事そうに載せている。その刀は、円蔵が奉公人達の前で見せびらかすように毎日腰に差していた、見慣れた円蔵の本差であった。


 円蔵は両頬を小さく膨らまし、ふー……と深い息を吐いた。


「半四郎よ……。今しがた、こいつをそなたに見せたばかりであろう」

 円蔵はそう言うと、半四郎の目の前に、一本の立派な刀をす、と出してきた。おむらが初めて目にする、真新しい打刀であった。


「やっとこいつが届いたのだ。山城国の有名な鍛治かぬちに打たせた代物だ。

 こいつが手に入っちまったからには……もうそっちの刀に用は無えのさあ……! 何度も言わせるな半四郎。

 それはそなたにやる。しかと受け取れよ」

 円蔵がにたりと笑って言った。


 円蔵の言葉に、おむらは一瞬耳を疑った。

 半四郎は中間ちゅうげんである。帯刀は許されない身分である。

 半四郎に本差の打刀を譲ろうとする円蔵に、おむらは激しい違和感を覚えた。

 同時におむらの心臓が、大きくどくりと音を立てて跳ねた。



「────……しかし……」

 半四郎が口ごもった。戸惑っている様子であった。

 


「金はいらぬぞ」

 円蔵が低い声で言った。半四郎は、思わず円蔵の顔を見つめ返した。



「……半四郎よ。おぬしの祖父御おおじごは若き頃、尾張で幾たびも戦に出向き名を残してこの世を去った立派な武士であったと聞いている。父君は百姓となったが、孫のおぬしには祖父御と同様、武士の血の方が濃いようだ。おぬしが私の大小(※本差と脇差)を舐め回すように常に視線を向けていること……私が気づかぬとでも思うたか。

 ずっと気になっておったのだ。そうして、得心がいった。


……おぬし────刀に滅法、興味があるのだろう?」



 円蔵が、目つきをぎらりと輝かせて言った。半四郎の喉がごくりと音を立てて唾を飲み込み、大きく動くのが見えた。



「このことは誰にも言わぬ。……ぬしと私だけの秘密だ」


 声を低くして言った円蔵の顔を凝視したあと、半四郎は両の手中にある刀に視線を落とした。



「……そいつは誰にも見つからぬところに隠せよ。

 六日後にあるじが帰ってくるのだから、なおもって用心しておけ」


 円蔵はそう言うと、ゆっくりとした動作で立ち上がろうとした。


 おむらは、顔がさっ、と青くなった。

 まずいものを見てしまった。


 円蔵は半四郎に刀を与えた。中間ちゅうげんの身分でありながら、半四郎は円蔵から刀を譲り受けてしまったのだ。

 半四郎が円蔵の刀をちらちらと見ている様子を、おむらは何度か見たことがある。半四郎が刀に興味があるということについては、おむらも薄々気づいていた。ただの女中が気づくのだから、刀の持ち主である円蔵から見れば尚更、半四郎の刀に対する思いは承知のことであっただろう。


 青ざめたまま、おむらは音を立てぬようじりじりと後ずさり、足元に気をつけながら、慌ててその場を離れた。


(……まずいものを見てしまった……)


 頭の中でそう呟きながら、おむらは急いで、一階に降りる階段目がけて一直線に突き進んでいった。

 階段手前で、廊下の床がほんの少しだけ、ぎ、と軋んだ。


 おむらは階段を急いで駆け下り階段から死角になる位置にひゅっと身を引っ込めると、どくどくと鳴り止まぬ心臓の音を痛いほどその身に感じながら呼吸を整えた。


(────円蔵様が……半四郎様に刀を……)


 おむらは青ざめたまま息を潜め、先ほどの光景を何度も反芻しながら、身を隠したその場にしばらくの間留まっていた────。


 



 その二日後であった。

 草を刈るため屋敷の裏庭に出た奉公人の一人が、鼠の死骸を咥えている一匹の野良猫を発見した。

 奉公人が猫を追い払うと、猫は鼠の死骸を口から離し、裏庭から屋敷の外へと逃げていった。


「……おいおい。こんなところに獲物を置いていくなよ……」 


 ぼやきながら死骸を処理しようと近づいていった奉公人は、ふと、その鼠の異変に気づいて動きを止めた。直後、奉公人は猫が置き去りにしていった鼠の体を二度、三度と凝視し、思わず眉を顰めた。


 その鼠の死骸には、骨まで見えるほど鋭利な刃物でざっくりと斬られている跡が、はっきりとその身に、刻まれていたのであった────。


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