第3話 因縁
「……おぬし……。
今、あの燃えている蔵から出てきたな」
行く手に立ちはだかる白い狩衣姿の男が、頭上に巨大な革袋を掲げている猿のような怪しい男に向かって、開口一番、そう言った。
男の言葉を聞き、両手で支えている革袋を落とさないよう細心の注意を払いながら、幽鴳は無意識に、雪を踏み締めている自身の右足を、ずり……、と、後ろに下げた。
「……いいや。
たまたま通りかかっただけですぜえ……。
火に巻かれないよう、この場から少し、離れようとしただけでさぁ……。
旦那の見間違いじゃぁねえですかい」
幽鴳が、男に向かって饒舌に言った。
白い狩衣姿の男は、幽鴳の顔を、じぃっ……と、真っ直ぐに見つめた。
その男の瞳を、幽鴳がじっ……と見つめ返すと、突如、まるでその男の瞳の奥にそのまま吸い込まれてゆくかのような危険な感覚に、幽鴳は
やがて白い狩衣姿の男が、口を開いた。
「……ふむ。
ところで、その手に持っている革袋はなんだ。
随分と大きいが……」
男が革袋に視線を移し、幽鴳にそう訊ねた。
何もかも見透かしているかのような大きな瞳が、蔵を燃やす青い炎に照らされ、きらきらと輝いていた。
幽鴳は、
「……酒でさぁ」
と、正直に答えた。
その言葉に、狩衣姿の男は瞳をさらにきらりと光らせ、幽鴳の顔を凝視した。
「……ほぉ……。
そういえば、確か今燃えているあの蔵は……、
自然な口調で、男がぼそりと呟いた。
幽鴳は、目の前の男の顔をじっと見つめ続けたまま、今度は左足を、ほんの少し、ずり……、と、後ろに下げた。
同時に、白い狩衣姿の男が、右手を自身の懐の内に、そっと入れた。
────────その瞬間。
幽鴳は革袋を頭上に掲げたまま、ぐるんっと勢いよく後ろを振り向き、直後、その場から脱兎の如く、逃げ出した。
まるで猿のようなすばしっこい動きと速さを見せ、狩衣姿の男の元から、ぐんぐんと距離を離していった。
……が、途中ですぐに、ぐぐんっと、その足が止まった。
知らぬ間に、緑・赤・黄・白・黒の、光る五色の太い縄が幽鴳の胴体にぐるりと巻きつき、幽鴳はその縄によって、進行方向とは逆の方向へ、ぎり、と引っ張られていた。
「なっ……なんだ……こりゃあ!?」
身体に巻きついた太い縄を見て、幽鴳が思わずそう叫んだ。
ばっ、と後ろを勢いよく振り返ると、白い狩衣姿の男が、光る和紙を持っていた。
その和紙の中から輝く五色の縄が飛び出し、和紙から飛び出たその縄がどこまでも長く伸び、逃げようとする幽鴳の身体を捕らえていた。
引きちぎろうともがいたが、力を入れれば入れるほど縄はみちみちと音を立て、幽鴳の肉体にがっちりとくい込んでいった。
「……くっ」
幽鴳は、ぎり、と歯を食いしばった。
「……む!」
狩衣姿の男が、声を漏らした。
幽鴳の身体が、突如、白く光りだした。
その身体が、輝きながら、みるみる大きくなっていく。
頭に掲げていた革袋を、幽鴳は片手に持ち直した。
縛っている五色の縄が、ぎちぎちと音を立て、巨大になっていく幽鴳の身体をさらに締め付けた。
すると五色の縄が、幽鴳が巨大になるにつれ、次第にぶちぶちと音を立てながら、
やがて光が収まり、雪の降る夜闇の中に、体長十尺以上はある巨大な白猿が、和紙を持つ男の前に、姿を現した。
「……!」
巨大な白猿を見た瞬間、男は、瞳を大きくきらりと輝かせた。
すると、幽鴳の胴体に巻かれていた縄が、びしびしと破裂音を出しながら、どんどんと、さらに
「……畜生……ッ! こんな縄……!!
この、幽鴳様が……、こんな所で捕まるなんてこたあ……っ、
絶対に、有り得無えことだぜえ……っ!!」
白猿になった幽鴳が激昴し、縄を力強く引っ張りながら、上半身を左右に何度も思い切り振り、その場で暴れ始めた。
狩衣姿の男は、縄が出ている和紙を手からぱっ、と離し、懐から新たな和紙と矢立を素早く取り出した。
その矢立から筆を器用に抜き出すと、男は和紙にさらさらと、『
直後、和紙に書かれた『縛』と『狡』の字が、淡く光りだした。
辺りが眩いほどの光に包まれ、やがて光が次第に収まってくると、その輝く和紙の中から、新たな五色の縄と、一人の男が、雪の降る夜闇の中に、姿を現した。
と、その時。
────ばつんっ!と大きな音が鳴り、幽鴳の胴体に巻かれていた縄が切れた。
幽鴳が、ふ、と力を緩めた。
縄から解放された────────。
……と、一瞬、気を抜いた。
次の瞬間であった。
和紙から飛び出した五色の新たな太い縄が、またしても巨大な白猿の両足と胴体、革袋を持つ腕以外の首から下の全ての部位を、一瞬の隙をつき、凄まじい速度で、先程よりもさらにきつく、がっちりと縛り上げた。
「……な゛っ……何い!?」
幽鴳は再び縛り上げられ、身動きが取れなくなった。
────幽鴳が叫んだ直後、その白猿の姿を、和紙から飛び出した男が、ちらりと見やった。
銀色に輝く髪から、二本の角がにょきりと生えている。
その
白地に豹のような黒い斑点の模様がついた服を着た、変わった姿であった。
男は、縛り上げられている白猿を改めて
「……なんだあ!?
あの猿は!!」
と、怒鳴るように言った。
続けて、
「つーか!!
なんで
と、五頭の牛を引き連れている蒼頡に向かって、さらに怒鳴った。
蒼頡は、
「……
火事の原因であるもののけを倒してから頂戴することになっておるのを、お前が勝手にこの牛たちを持ち出して屋敷に連れて帰ってきたもんだから、この夜更けの雪の中、依頼主の元に返しに行くところだったのだ」
と、狡に向かって、呆れたような口調で言った。
「……けっ!
どうせ俺様の物になるんだから、先に貰ったっていいだろうがよ!」
狡が言った。
「さっさとその
……で、今この場に俺を呼んだってこたあ……」
狡がそう言って、五色の縄に縛られもがいている白猿の姿を、もう一度ぐっ、と睨み付けた。
「……そうか。
────
“ごうっ……!”と、またしても大気が大きく振動した。
降りしきる雪の中、幽鴳に向かって燃え上がるような大声で、狡がいつになく嬉しそうに、そう激語した。
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