第13話 種



『────戸隠山の鬼女に連れ去られた主君を救い出し、人喰いの鬼女を退治しとうござります』


 与次郎のその言葉を聞き、九頭竜大神くずりゅうおおかみが九つの頭を一斉に南の方角へ向け、与次郎と鴣鷲の前から霧のように消え去った、その直後であった。

 戸隠山とがくしやまから九頭竜山くずりゅうざん飯縄山いいづなやまを含む広い範囲で突如、天から溢れ出るかのように、激しい雨が降り出した。

 空には分厚い黒雲が拡がっており、陽の光を遮って豪雨とともに時折稲光を走らせ、どおおおん、どおおおんと、けたたましい雷鳴を轟かせていた。


 与次郎は鴣鷲に抱えられながら、全身に激しく打ち付けてくる痛いほどの雨粒の中を、南へ向かって飛び進んでいた。

 九頭竜大神が南の方角を向いて消え去ったため、南に蒼頡がいると、二人は悟ったのである。


 凄まじい豪雨の中を、与次郎を抱えながら鴣鷲が懸命に飛び進んでいると、



"────────カッ!"



と、向かっていた南の方角の先の方で、激しい閃光を放った稲妻が、空から地上へ、一瞬落ちた。 



 その時、


"────────……ごおおおおおおおおおお……!!"


という地鳴りのような凄まじい空気の振動とともに、豪雨の中、地上から巨大な九頭竜大神が、天空に向かって一直線に昇ってゆくその圧巻の姿が、豪雨で視界が悪くなっている二人の諸目もろめに、はっきりと見えた。


 九頭竜はそのまま、天空に拡がる黒雲の中へ、


"────ずおおおおおおおおお……!!"


と、吸い込まれてゆくかのように垂直に昇ってゆき、やがて雲の上へと、姿を消した。


 九頭竜大神が地上を去ると、黒雲の中の稲光が消え、激しく降っていた雨が、次第に和らいだ。


「────……あ……」


 九頭竜大神が昇っていった空の方を見上げていた鴣鷲が、突如声を上げた。


 与次郎は、鴣鷲がじっ……と見つめている方角と同じ南の空を、雨の中目を凝らしながら、同じように眺めた。


「……む!?」


 与次郎も鴣鷲と同じように、続けて声を上げた。


 九頭竜大神が消えた雲の中から、紫色に光る何かが突如す、と現れ、天空から地上に一直線に落ちてくるのが見えた。

 その瞬間、市女笠を被っていた鴣鷲が、白く輝き始めた。



「────与次郎様。

 少々痛いかもしれませんが……。

 少しの間、辛抱してくださいませ」


 そう言うと、鴣鷲は白く光りながら徐々に身体を変化させ、みるみる大きくなり始めた。


 市女笠の垂衣たれぎぬは白く巨大な羽に変化し、与次郎を抱えていた腕は黄色く大きな鉤爪かぎづめに変わり、気づくとその鉤爪が、与次郎の両肩をがっちりと掴んでいた。


 激しい閃光を全身から勢いよく"────カッ!"と放つと、やがて鴣鷲は、体長が八尺以上もある、白く立派な大鷲おおわしに変化した。


 大鷲に変化すると、鴣鷲は落ちゆく紫色の光めがけて、雨粒を裂きながら、まるで獲物を狙う猛禽類が出す神業のような瞬発力を発揮した。


 与次郎は、両肩の痛みと空気を裂くその凄まじい風圧に耐えながら、全速力を出している鴣鷲の動きに身を任せるしかなかった。



 紫色の光が、どんどん地上に近づいていく。

 鴣鷲が、その光に追いつこうとしていた。



「────────!!」


 与次郎は、ようやく気がついた。




「────────蒼頡さま!!」



 与次郎が叫んだ。


 紫色に光りながら天から落ちゆく物体の正体は、蒼頡であった。


 蒼頡がみるみる、地上に近づいていく。



「────まずい!!」


 下は、山々に囲まれた岩壁であった。

 あの高さから落ちれば、頭は潰れ、全身の骨がばらばらになり、命は無い。


「────与次郎様!

 御免ごめんっ……────」


 鴣鷲が叫んだ。

 直後鴣鷲は、与次郎の両肩を、鉤爪から解放した。


 紫色の光があわや地面にぶつかるという、その刹那────。






"────────ばさりっ"



────────白い羽根が数枚、ひらり、と宙を舞った。





 与次郎の両肩をしっかりと掴んでいた鉤爪かぎづめは、与次郎を離し、代わりに、地面にぶつかる寸前の蒼頡の両肩を、がっちりと、掴んでいた。


 与次郎は鴣鷲の掛け声とともに白狐の姿へと瞬時に変化し、八尺はある巨大な姿で、地上にすたり、と降り立っていた。


 鴣鷲は、蒼頡の両肩を掴んで一度空へと高く舞い上がると、やがて空中で市女笠の人間の姿に戻り、蒼頡を抱えながらゆっくりと与次郎の元へ近づき、そのまま与次郎の目の前に、すとん、と舞い降りた。


 そして、抱えていた蒼頡の身体を、平たい地面の上へ、そっ、と寝かせた。


 蒼頡は目を瞑り、口を閉じ、すー……と、静かに息をしていた。


 その姿を見るや、与次郎は巨大な白狐の姿からしゅるしゅると人間の姿に戻った。

 寝ている蒼頡をしばらく見つめたのち、与次郎は口を真一文字に結び、目をぐっ、と赤くし、涙を浮かべた。


 ふと、蒼頡の右手が紫色に光っていることに、鴣鷲が気付いた。

 蒼頡が、紫色に光る何かを、右手に握っている。



────いつの間にか降っていた雨粒が小さくなり、辺りは霧雨きりさめに変わっていた。



「────────……くっ、くっ、くっ……」


 空から、声がした。

 

 与次郎と鴣鷲が、すかさず上を見上げた。



 霧雨の中、与次郎と鴣鷲の頭上に、宙に浮かぶ男の姿があった。



「……なんとも愉快。

 ほんに、きょうであったわ」


 宙に浮かぶ男が、にたりとわらってそう言った。



 与次郎は、目を見開いた。


 そこにいたのは、以前、田塚万太たづかばんたという地主の娘に取り憑いた百足むかでを退治した際に現れた、蒼頡が鯈䗤じょうようと呼んでいた、老人であった。


 鯈䗤じょうようは霧雨の中、にたにたと不気味な笑みを浮かべながら、三人を空中から見下ろしていた。


「なぜこんなところに……」


 与次郎が鯈䗤に向かって問うと、鯈䗤は黄色い歯をにぃっ、とき出して笑った。


「くっ、くっ、くっ……。

 また来ると言ったではないか」


 鯈䗤がそう言った、その時。



「……あなた様が、あの女にわたくしの噂を流したのですね」


 

 与次郎と鴣鷲が、同時に後ろを振り返った。


 見ると蒼頡がいつの間にか目を覚まし、上体を起こした状態で、鯈䗤を睨んでいた。


「……たまたま南巣山なんそうざんに用があってな。

 ちょいとそこで、この島国の土産話みやげばなしをしたまでじゃ」


 鯈䗤が、にたにたとわらいながらそう言った。


「くっ、くっ、くっ……。

……さあて。充分たのしめたぞ、蒼頡。


 そろそろ、く。


 雨は大嫌いじゃからな」



 そう言うと、鯈䗤の身体がしゅう……と黄色く光り出した。

 直後、鯈䗤は老人の姿から、黄色い大蛇の姿に変わった。

 その黄色く長い胴体の背中に魚のひれが二つ、羽のようについていた。



「また、来る」


 鯈䗤はそう言い残し、霧雨の中を空高く舞い上がると、あっという間に雲の向こうへと、飛び去ってしまった。


 鯈䗤が飛び去ると、与次郎は蒼頡の方にすぐさま近寄り、腰を落として、


「蒼頡様、お怪我はございませぬか」

と、声を掛けた。


「うむ。大事だいじ無い。

 与次郎、鴣鷲────。


 ふたりとも、有難う」



 蒼頡はそう言うと、二人に向かって嬉しそうに、にっこりと笑った。

 蒼頡のその姿に、与次郎も鴣鷲も、心の底から安堵した。


「む。そうだ────」


 蒼頡が、自分の右拳に、ふ、と、目を落とした。

 蒼頡が握り締めている右手が、紫色に光り輝いている。



「……龍の腹の中で、掴んだのだ」

 蒼頡が言った。


 そして、紫色に輝く右手の拳を、ゆっくりと開いた。



 与次郎と鴣鷲が興味深げに、蒼頡の右手の平を覗き込んだ。


「────これは……」

 蒼頡が、瞳を大きく見開き、きらりと輝かせた。




「────……種だ」


 蒼頡の右手の平の上に、紫色に光り輝いている小さな黒い種が一粒ひとつぶ、ちょこんと乗っている。



「……梨の種だ」



 次の瞬間、蒼頡は弾けたように、

「────くっ……。

……あっはっはっはっ!」


と、笑い出した。



 与次郎と鴣鷲は、ぽかんと、した。



 しばらくして蒼頡が落ち着きを取り戻すと、


「……いや、すまぬ。

 さて、土産みやげが手に入った。


 屋敷へ帰ろう」


 と、なんとも満足そうな表情で、蒼頡がそう言った。




 いつしか霧雨もみ、黒雲や稲光は消え去っていた。


 雨上がりの爽やかな青空の下、大きな美しい虹が三人の前にぱっと現れ、山や森に滴る雨露あまつゆが、その七色の光を、きらきらと幻想的に、映し出していたのであった────────。

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