第4話 鬼子母神


「思ったより、早く捕まってしまいましたわね……」


 幽鴳が姿を消した後、四姉妹の三女這子はうこが、残念そうに、ぽつりとそう呟いた。


 与次郎、陸吾、狡が、空中で一人浮かぶ這子の姿を、目で捉えた。

 すると這子の全身が、向こう側が透けて見えるほど、次第に薄くなっていった。


 そして、


「……お姉様方。

 あとは、頼みましたわね……」

と言い残し、這子はそのまま溶けるように、その場からすぅっと、消え去ってしまった。


 陸吾、狡、与次郎の三人は、その様子を、黙って下から見上げていた。

 四姉妹の長女、天子あまこが、宙に浮いたまますえのちごの肩に両手を置き、下にいる陸吾、狡、与次郎に向かって、


「……地上うえで会った時から思うておりましたが……、

 あなたがた、陰陽師の式神にしては……、

……少し、変わっておりますわね……」


と言った。


 与次郎の心臓が、どく、と鳴った。


「なんだ。

 分かってたのか」

 狡が、三人の女に向かって言った。


 天子が目を細めて、狡、陸吾、与次郎を見た。


「使役されているのではなく……。

 自分達の意思で、自由に動いている」

 天子が、小さくそう呟いた。

 洞窟内の何本かの蝋燭ろうそくの火が、ゆらり、と揺らめいた。


「────幽鴳あいつはどこだ?」


 狡がその一言を発した瞬間、ざわり……、と洞窟内の空気が一変した。

 狡が、全身に静かな闘気を纏っている。


 天子が、狡をじっ……、と見つめた。


「……わたくしたちに勝てたら、その答えがわかるかもしれませんわね」


 天子がそう言い放つと、またしても洞窟内の至る所で、くすくす、くすくす、という、微かな笑い声が聞こえ出した。

 その微かな笑いに後押しされるかのように、三姉妹が宙に浮いた状態で、ふわりと軽やかに動き出した。


「────……こーをとろ♪ことろ♪


 こーをとろ♪ことろ♪


 こーをとろ♪ことろ♪」


 三人の姉妹が、再び歌い出した。


 三女の這子がいなくなり、すえのちご、長女の天子、次女の泡子あわこの三人が、縦一列となって前の者の肩に両手を置き、歌いながら楽しそうに、ひらりひらりと宙で踊った。


 狡が、空中で踊る三姉妹をじっ、と睨みながら、左足を一歩前へ、静かに踏み出した。

 すると、狡はそのままその左足を軸にし、ぐぐ……と脹脛ふくらはぎから太腿にかけてゆっくりと力を入れ、


"────……どうんっ!!"


と、突如その場から横の岩壁がんぺきに向かって、勢いよく跳ね上がった。

 跳ね上がった狡の身体は、洞窟内の岩壁で所狭しと並ぶ人形の上に、“ぼんっ!”と乗り上がった。

 岩壁の上で人形をぐぐ……と踏み潰すと、狡は身体を斜めにしたまま全身に力を込め、体勢を低くし、重力を無視して、横壁にぴたりととどまった。

 すると狡は、ひしめき合っている岩壁の人形達のことなどお構い無しに、


“────……どどどどどどうっ!”


と壁に沿って斜め上に勢いよく走り出し、人形を次々と踏み荒らしながら洞窟内の天井まで上り切り、逆さになった。


 狡はさらに、

“────……どどどどどどっ!”

と逆さになった状態で天井を勢いよく走り抜け、みるみる三姉妹の近くまで詰め寄ると、天井の人形を、

“────ぎゅるんっ……!”

と踏み締め、宙に浮く不気味な女達に向かって、


"────……どうんっ!!"


と、飛び込んで行った。


 宙に浮いた三姉妹は、軽やかに宙を舞い、凄まじい速さで近づいてくる狡から身をかわして横へ逸れようとしたが、幽鴳の時と同様、狡のあまりの速さに全く逃れることができず、瞬く間に追いつかれてしまった。


 狡は三姉妹の列に突っ込み、そのまま、縦一列に並んでいる三人の一番後ろにいる次女、泡子の右肩を、思い切り"ぐむんっ!"と掴んだ。


 狡に掴まれた泡子は、突如凄まじい力で肩を引っ張られたために驚き、前にいた長女、天子の両肩から、自分の両手をぱっ、と離した。


 するとその時、泡子は自分の肩を掴んでいる、背中にいる狡を横目でちらりと一瞥し、直後、口の端を吊り上げ、にたり……、と、怪しくわらった。

 狡が、“ぞわっ……!”と、その身に殺気を感じた。


「……あやとりは、お好き?」


 泡子が狡に向かって嗤いながらそう言った、次の瞬間。

 岩壁にひしめく数えきれないほどの人形たちの中から、何千本もの麻でできた紐の束が、


"────……ぎゅるるるるるっ!"


と、狡めがけて一斉に、一直線に飛び出してきた。

 まるで、蜘蛛が獲物を捕らえる際に吐く糸の如く、その麻紐はみるみる、狡の全身にぎゅるぎゅると巻き付き始めた。


「────狡さまっ!!」


 下から見上げていた与次郎が、狡に向かって叫んだ。


「……ぐっ……!」


 狡は険しい表情で巻き付く麻紐から逃れようともがいたが、頭のてっぺんから足の先までまるでかいこの繭のように、全身をぎゅるぎゅると麻紐の束に覆い尽くされ、あっという間に、姿が見えなくなってしまった。

 狡を覆った大きな麻紐のかたまりの中が一瞬白く発光し、麻紐のわずかな隙間から漏れ出た。


 やがて中の光が収まると、すぐに麻紐の束が、しゅるしゅるとほどけはじめた。

 解けた麻紐は、その場から溶けるように次々と、空中で静かに消え去っていった。

 その麻紐の塊の中にいるはずの狡の姿が、ない。

 狡の姿が見えないまま、最後に残った麻紐の束が、空気の中へと、ついに消え去っていった。


"────……かんっ、かんっ、……からんっ……"


 麻紐が全て消え去った直後、手の平ほどの大きさの人の形をした木の板が空中に現れ、下に落ち、二度跳ねた。

 与次郎と陸吾が、その木の板を見た。

 木の板には、『狡』と書かれた和紙が貼られていた。


 泡子は、ひとり宙に浮きながら、

「……残念。

 捕まってしまいましたわ」

と言った。


 気付くと、泡子の身体が向こう側が見えるほど透け出し、徐々に薄くなっていた。


「お姉様。

 あとは、頼みましたわね」


 泡子は天子に向かってそう言うと、そのまま溶けるように、その場から"すぅっ"と消え入ってしまった。

 宙に浮く長女の天子とすえのちごが、下にいる与次郎と陸吾に視線を移し、じろりと、二人を見据えた。



「……あと、

 ふたり」


 すえのちごが、天子に両肩を掴まれながら、ぼそりとそう呟いた。


 与次郎は、狡と書かれた木板きいたを見つめたあと、少し離れた場所に落ちている、幽鴳と書かれた木板を、もう一度ちらりと見た。


 寺に入る直前に蒼頡から手渡され、四人がふところに大事だいじにしまった、人の形をしたあの木板であった。

 その木板を残し、幽鴳と狡の二人が、一瞬でこの場から消えてしまった。


(幽鴳さま……狡さまも……。

……いったいどこに……)


 与次郎が、二人の姉妹を見た。


"────……どくんっ!"



 与次郎の心臓が、大きくねた。





◆◆◆





 蒼頡は、地下への入口を塞いでしまった大岩から離れ、寺の本堂の方へと戻って行った。


 本堂に戻ると、前にある五段ほどの階段をすたすたと昇り、人形が大量に置いてある本堂の中へと、足を踏み入れた。

 蒼頡はそのまま、四姉妹が現れた部屋の奥の方へ、ゆっくりと、歩みを進めた。


 部屋の中は薄暗く、蒼頡が一歩ずつ歩を進める度に、床がぎしぎしと音を立てた。

 人形が、あちこちで寄り添い合うように並んでいる。


 やがて、蒼頡は本堂の最奥の内陣ないじんの前で、ぴた、と立ち止まった。

 護摩壇ごまだん登高座とうこうざが、前にひっそりと構えている。

 その奥に、立派な厨子ずしがあった。

 厨子から、黒く禍々しき“おん”の気が、じわりじわりと漏れ出ていた。


 蒼頡は、その厨子に向かってつかつかと躊躇なく歩み寄ると、閉ざされていた観音開きになっているその厨子の戸を、両手で思い切り、


“────すぱんっ!”


と開け放った。


 その厨子の中にあったものを、蒼頡は自身の澄んだ大きな瞳で、しっかりと見定めた。


 厨子の中には、一体の立派な仏像があった。


 その仏像の足元に、ぼろぼろになった小さな市松人形が、仏像の足に寄りかかり、寄り添うようにしていた。

 その市松人形から、黒い靄がじわりじわりと溢れ出ている。


 蒼頡は初めに、仏像の姿をじっ……、と見つめた。


 女の仏像である。


 片腕に赤子を抱き、乳を与えている。


 頭には宝冠ほうかんを被り、その身には羽衣はごろもを纏い、まるで天女のような姿をしていた。


 蒼頡の瞳が、きらりと光った。



「……やはり、訶梨帝母かりていも

 鬼子母神きしぼじん像でございましたか」



 蒼頡が、何もかもを見透かすような大きな瞳を目の前の壮麗な仏像にぶつけながら、小さくぽつりと、そう呟いた。

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