第2話 人形寺



「蒼頡、どういうことだ?

 尼寺あまでらなのかそこは?」


 陸吾が、蒼頡に向かって聞いた。

 

 蒼頡、陸吾、狡、幽鴳、与次郎の五人は、揃って人形寺に向かっている最中であった。


 陸吾と幽鴳は、美しく巨大な白狐の姿になった与次郎の背中に乗っていた。

 その与次郎の前に、立派な牛のつのを生やした、美しい雪豹ゆきひょうのような毛並みの瑞獣ずいじゅうの姿になった狡が、背中に蒼頡を乗せ、風を切って山道さんどうを駆けていた。


 背中から聞こえた陸吾の言葉に、蒼頡は、


「いえ。尼寺ではありません。

 その寺には、僧侶もおりません。

 四人の女の姉妹だけが住んでおります」


と言った。


「なんだそりゃ!?」

 陸吾が声を上げた。


「僧侶も尼僧もいねえってのか?

 そんなもん、寺とはいえねえだろう」


 陸吾が、続けて蒼頡に向かって言った。


 与次郎、幽鴳、狡は、黙って蒼頡と陸吾の会話に耳を傾けていた。


「……ふた月ほど前までは、その寺には僧侶一人と四、五人の小坊主たちがいたそうですが……。

 ある日、寺にいたもの全員が、忽然と姿を消したらしいのです。

 そこに、入れ替わるようにして四人の若い姉妹が、その寺に住むようになったらしいのです」

 蒼頡が言った。


「四人の若い姉妹……」

 陸吾が呟いた。


「その寺は、数多くの人形がまつられている人形寺として有名なのですが……。

 僧侶たちが姿を消してから間もなく、その寺に住み始めた四姉妹の長女が、子ども供養の寺として、町中に寺の噂を広めたらしいのです」


 蒼頡が続けて言った。


「子ども供養?」

 幽鴳が聞き返した。


「もし、産まれた直後の赤子、あるいはこの世に生まれる前にお腹の子どもが亡くなってしまったり、また、自分の子が幼くしてこの世を去ってしまった場合に、人形を持ってその寺に行き供養すれば、亡くなってしまったその子どもからの御加護が得られる、と。

 ただし、人形を寺に持って行くのはその亡くなってしまった子どもの父親ただ一人。母親は寺に行ってはいけない。

 そうして、人形を持って行った男達七、八人ほどが、寺に行ったきり、そのまま戻らなくなったというのです」

 蒼頡が言った。


「なに!?

 なんで戻らねえんだ?

 もののけの仕業しわざか?」

 陸吾が言った。


「わかりません。

 町民たちはその人形寺を恐ろしがって、誰も近づこうとはしないそうです。

 それで、その戻らぬ伴侶を心配した女たちが相談し合った結果、陰陽師である私に頼むしかないという結論に至ったと、瑠璃るりから情報が入ってきたわけです」


「……ふむ。

 それでその寺のことを聞きに、まずお前ら二人で山を下りて、その寺の噂話を集めに行ってきたってわけか」


 陸吾が、蒼頡と狡に向かって言った。

 すると、

「……あの……。

 なぜ、寺に人形を持っていくのは子どもの父親だけなのでしょう」

と、与次郎が、ふと疑問に思ったことを口にした。


 その言葉に、みな一斉に黙り込み、不思議なが空いた。


「────寺に行って、四姉妹に会ってみましょう。

 何かわかるはずです」


 蒼頡が、沈黙を破るように、そう言った。






◆◆◆





 蒼頡達は、くだんの山寺の門前にたどり着いた。


 門から入ってすぐ目の前に、六十段ほどの石でできた階段がどん、と見えている。

 寺の本堂は階段を上がった先にあるようで、門前からは寺の中の様子は見えない。

 周りに人の気配は全く感じられなかった。

 ただ、石階段の上から感じる凄まじいおんの気が、ごぉごぉと蒼頡達の全身を覆い尽くそうとしていることだけは、五人の身にひしひしと伝わってきていた。


 陸吾と幽鴳が門の中に入ろうと歩を進めかけると、

「これ。

 少し待て」

と、蒼頡が二人を呼び止めた。


 陸吾と幽鴳が、

「あ?」

と言いながら、同時に蒼頡の方に振り返った。


「これを、自分たちのふところにしまっておけ」


 蒼頡はそう言って、手のひらほどの大きさの木板きいたを四枚取り出し、それぞれ一枚ずつ、四人に渡した。

 その木板は頭と手足があり、人の形になっていた。


 その木板の中心──表面の胸の部分に、小さく切られた白い和紙が、のりでぴたりと張り付けてあった。

 和紙にはそれぞれ、「陸吾」「狡」「幽鴳」「与次郎」と、名が書かれていた。


「なんだよ、こりゃ」

 狡が言った。


人形にんぎょうです」

 蒼頡が、穏やかに言った。


「こんな人の形に切っただけの木の板が、人形っていえるんですかい?」

 幽鴳は首をかしげつつそう言うと、渡された「幽鴳」と書かれたその木板を、蒼頡に言われたとおり、ふところにそっとしまった。

 他の三人も、自分の名前が書かれた木板を、自分のふところにすっ……としまった。


 蒼頡はにこにこと微笑みながら、

「では、まいりましょう」

と言って、門の中へと静かに、足を踏み入れた。




◆◆◆




 階段を一段ずつ昇るたび、肩がずしりずしりと重くなるのを、五人は感じていた。


 五人がゆっくりと階段を昇りきると、両脇が森の木々で覆われた閉ざされた空間から、突如ひらけた広大な場所へと、視界がいっきに切り変わった。


 拓けたその空間に、寺があった。

 奥に本堂があり、右手に墓がある。

 向かって左側、本堂よりさらに奥に、小さな庫裏くり(僧侶の居住する場所)が見えた。


 与次郎は本堂を一目見た瞬間、目を見開き、ぎょっとした。


 本堂の周り、そして本堂の中にも、犬や馬、猫、蛙、蛇、白い顔の童子どうじ、鬼、赤子、黒い目の雛人形、何百体ものこけし、顔の書かれていない人の形をしたものなどなど、ありとあらゆる大小さまざまな人形が、足の踏み場も見えないほどびっしりと、寺全体を埋め尽くしていたのである。


 人形一体一体からじんわりと、得体の知れない何か不穏な気が出ているのを、与次郎は感じ取っていた。


 五人が寺全体を見渡し、少しの間ぼうっと立ち尽くしていた、その時。


"────……ぞわり"


────────鳥肌が立つほどの殺気が、五人に刺さった。


 五人が、一斉に本堂を見た。


 本堂の奥に、何かいる。



 すると────、


「────……こーをとろ、ことろ♪


……こーをとろ、ことろ♪


……こーをとろ、ことろ♪」 


という、鈴ののような歌声が、本堂の奥から聞こえてきた。

 人影が見えた。


「……む」


 陸吾が、目を見開いた。


 本堂の中から、美しい黒髪をなびかせた若い女と、その後ろに、よく似た顔の別の若い女、また、さらに若い、これも似た顔の活発そうな女、そして一番後ろに、白い市松人形を抱えた五歳程の童女どうじょが、四人揃ってあでやかに、五人の前に、姿を現した。


「むう……」

 陸吾が、目を輝かせてうなった。


「なんと美しい……」


 陸吾がそう言って、片足を一歩前に“ざり……”と踏み出し、女達に近づこうとした。


「おいっ、陸吾待て!」

 狡が制止した。


 一番前にいた女が、口を開いた。


「……まあ。

 一度にこんなにたくさんの殿方がいらっしゃるなんて……。

 あなたがたも、大切な子を亡くされて、この寺に人形をお持ちいただいたのですね……?」


 四人の女達はそれぞれ、陸吾たち五人の顔を、一人一人じっ……と見た。


 その女の言葉に、


「いえ。違います」


と、蒼頡が躊躇無く言った。


「この寺に人形を持ってきたはずの男たちが全員戻らないという町の噂を聞いて、一度この寺の様子を見に来るよう、我々が頼まれたのです」

 蒼頡が、続けて言った。


「……まあ。そうでございましたか」

 一番前の女が、妖艶に言った。


「……それはそれは、ご心配をおかけして、申し訳ございません。

 実は、寺の住職や小坊主たちがいなくなってしまったため男手が足りず、人形を持っていらしたその殿方達に、しばらくの間、この寺で色々と手助けをしていただいておりました」


「手助け」

 蒼頡が聞き返した。


「はい。

 よろしければ、その方々の元へご案内いたします。

 どうぞ、こちらへ」


 女はそう言って本堂から外に出ると、向かって左手側の奥の庫裏くりの方へ、しなやかに歩き出した。

 他の三人の女達も、一番前の女に続いた。


 五人はゆっくりと、女たちの後について行った。


 一番後ろの童女が、後ろをちらちらと振り返り、五人の様子を気にしていた。


 本堂の裏手に行くと、庫裏くりの右奥はさらに山が続いていた。


 すると、女達はその本堂の裏にある、庫裏くりへ行くまでの道の間に突如現れた、地面に大きく開いている不思議な穴の前で、ぴたっと立ち止まった。

 穴には、地下に続く階段があった。


「この下におりまする」

 一番前の女が言った。


「……なに!?

 なんだ、この穴は?」

 陸吾が、女達に向かって聞いた。


 一番前にいた女が、陸吾の問いに口を開きかけた瞬間、


"……どうんっ……────……ごごごごごご……────"


と、地響きが鳴り始めた。

 突如地面がぐらぐらと激しく揺れ動き、五人はぐらりっと、態勢を崩した。

 その直後、地下に続く大きなその穴の中から、


"────────……ぶわわわわわっ"


と、百体以上もの市松人形が、凄まじい勢いで、虫の大群のように、陸吾達の前に飛び出してきた。


 人形たちは四姉妹をけ、陸吾、狡、幽鴳、与次郎の元へ勢いよく飛び込んでいくと、陸吾達の腕や足、頭などをがっちりと掴み、その場に"だんっ!"と押し倒し、地下へ続く大穴の中へ、陸吾達を次々に、


"────……ずりっずるずるずるずるっ……────!!"


と、凄まじい力で引きずり込んでいった。

 同時に四姉妹も、人形や陸吾たちとともに大穴の開いた地下の中へまるで吸い込まれるように“ひゅっ”と入ってゆき、あっという間に、その場から姿を消してしまった。

 一番後ろにいた蒼頡だけが、人形には捕まらず、地上のその場に残った。


「────……蒼頡様!!」


 与次郎の言葉が、ごうごうと鳴る地響きとともに、穴の奥から響いた。

 蒼頡が穴の中に入ろうと、上下に振動する地面の上で態勢を整えかけた瞬間、ばきばきと木を倒す音とともに、本堂の裏手の山の上から、大岩がごろごろと、蒼頡の目の前に転がり落ちてきた。


「────……むっ!」


 蒼頡は大岩を避けるため、後方に“ずざざざっ……!”と後ずさった。


 大岩は、ぐんむぐんむと山を揺らしながら転がり落ちた後、速度を緩め、地面にあった大穴を覆い隠すようにして、まるで狙っていたかのようにその穴の上にぴたり……ととどまり、ぱらぱらと小石や土をその身から落としながら、やがて動かなくなった。


 大岩が地下へ続く入り口を塞ぐと、先ほどまで激しく鳴っていた地響きはぴたりとみ、振動も止まり、辺りはしん……とした、元の静けさに戻っていった。


 蒼頡は一人大岩の前に立ち尽くし、しばらくの間穴の上の大岩を見つめたのち


「……ふうむ……」


と、深い息を、その場で漏らしたのであった。

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