第172話 指宿温泉

「宿はどこ?」と、菜由が尋ねるので

愛紗は

「お迎えのマイクロバスが駅前に来るって。」


駅前は広い。バスロータリーもある。

その辺りは観光地だ。


すこし、駅から離れたところに

バス会社の営業所があって。平屋、スレート葺きなのは

台風の多いこの地ならではの雰囲気だ。

かなりふるーい感じなので、飛ばされないで残っている事は分かる。

その辺りは商店街だが、アーケードでないのは、似た理由である。



「足湯、入るか?」と、由香。



「バス来るんじゃない?」と、友里絵。



そう云っている間にも、宿のマイクロバスが来た。

新しい車で、宿の名前が書いてある訳でもない。

近年は経費の節減で、リースにする事も多いし

大岡山でも、こうしたチャーター便の仕事は結構あったから

その辺りは、愛紗たちもよく判る感覚だ。




路線バス・ドライバーのダイヤにも空き時間がある。

ふつう、A仕業は 朝早くー午後まで。

Bはその逆。


日勤は、ふつうの会社員っぽい。



でも、人手不足なので


それらを混ぜてしまって、空き時間がどこかに多く出来るダイヤを組む。


その、空き時間にそういうチャーターの仕事や、スクールバスの仕事を入れるのだが


それは貸切仕事なので、厳密には禁止事項である。


なぜかと言うと、休息が取れないから。なのだが。


労基法でも45分以上の休憩が必要、となっているのだが

バスなので道路事情などで遅れると、休息どころか食事も取れないと言う事態になる。



大岡山では比較的マシだったが、別の会社では16時間勤務の間に

これが入る、なんて事もあった。










気が付くと、灰色のマイクロバスが駅前に着いていた。



「あ、あれかな?」と、由香は

小走りに。


マイクロバスは、運転席ドアがあるので(そこだけは乗用車みたいだが)。


そちらに回り「えーと、あの・・・お迎えですか?国鉄の」



短髪、小柄、日焼けの顔の運転手は

愛嬌のある顔で「はい。これです」

50歳くらいだろうか。




由香は「これだって。」と、振り向いて。みんなに手招き。

手を上にあげて、自分の方に、こい、こい。と。



「ふつう、下にしない?」と、友里絵は

手を前に出して、下向きに。



「それじゃオバケだよ」と、由香。




愛紗も歩きながら、真似してみるけど「???」。


菜由は「両手ならオバケかも」と、笑った。



駅前の歩道は、懐かしいようなコンクリート舗装で

その辺りも昭和、を思わせる。












東京の深町はその頃、シミュレーション・プログラムを書き終えて

スーパー・コンピュータにJOBを投入した。



基本的な動作プログラムは、前置してあるので

モデルのプログラムを投入するだけだ。


コマンド・インターフェースなので、目が疲れずに

手の感覚だけで作れるのが便利。



動作確認をして、研究室を退室した。




3階からエレベータで、一階へ。

この棟は新しく建てられたものだから、快適である。

医学部の研究室は、ふたつあり

ひとつは臨床棟で、鉄筋コンクリートの、ここと似た建物だが

もうひとつは煉瓦造りで、崩れかけたような日当たりの悪い2階建て。

そこの一階に、資料と共に埋もれたような室があり

なぜか、実験着が洗濯して干されていたり(笑)



いかにも研究的な雰囲気であった。



そういう雰囲気も、悪くはないと思いながら

坂を下って、弥生門へと向かう。



弥生門も煉瓦積みで、雰囲気はいい。

門の外は、ふつうの住宅地なので

その辺りも東京・本郷らしいな、と思う。





「長閑な暮らしも、いいものだ」と、その住宅の数々を眺めながら思うが


しかし、戦場のような路線バスの仕事も、緊張感があって良かった、とも思う。

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