第63話 1列車、横浜定発

レモンとスパークリングって

なんて合うんだろうと

思いながら、車窓に心を馳せる。


「いいなぁ」



そろそろ、午後の陽射しは傾きかけて。

旅立ちに相応しいムード。



ふと、車内に視線を戻すと



見覚えのある人。


山岡だ。



母親と一緒に、なにか

優しげに話ながら



コーヒーかなにかのカップを傾けていた。




「親孝行なんだなぁ」と愛紗は思い



自分は親不孝なのかなぁ、あんなに


してあげたことないなぁ。



「まあ、おばあちゃんにはあるけど」



両親は、だいたい

まだ元気で


どちらかというと、人に世話になるような

タイプじゃない。



仕切って、指示するのが好き、みたいな

感じで



だから、愛紗も

親元にいると、子供の延長だと

思われるのが嫌で



逃げてきたのもあった。




いつか、あんな風になれるかな。



そんな風に思うのだけど。





そんな自信もない。



ぼんやりと車窓を眺めて。



「せっかく楽しい旅なんだから、普段の事は

思い出さないようにしないと。」




そんな風に、旅の始めは誰もと同じで



雑事が浮かんでは消える、そんなものだ。




やがて、旅の時間が

全てを忘れさせてくれる。


だから、旅はいい。






列車の先頭では、電気機関車EF66ー54が

唸りを上げて快調に走っている。



狼の叫び、と

機関車乗りに比喩された、ギアの音だ。





110km/h、東海道貨物線を

軽やかに。



元々貨物機関車なので、客車牽引は

軽い仕事だが



元々の担当機のEF65の老朽化と



この編成が長くなって、重くなった。

個室、ロビーなどの


アメニティーというか、楽しみの部分が

重要になったあたりが


豊かな時代の反映でもある。




元々は、乗れるだけで

有り難いくらいの列車だったのだけど。




今は、豊かな時代。

移動そのものを楽しむ事が

趣味、なのである。



模型作りのように、出来たものを

買うのではなくて



工程、その時間を楽しむものだ。




人の暮らしは、果たして

その工程を楽しめるものになっているのだろうか?






「熱海まで止まらないのは、随分早いね」



と、愛紗は思う。



貨物の線路を走っているせいで、駅がない(笑)

のが、実情。



小田原までは止めようがない。




「他の車内はどうなってたっけ」と、

愛紗は思う。



ふと気づくと、山岡親子は

いなくなっていた。





愛紗が、ぼんやりしていたせいか



通り過ぎて行ったの気づかなかったらしい。




「疲れてたのかな」と、思うけど

実感はない。




ドライバー研修が終わったばかり

だったのだけど


旅立ちで、とても遠い出来事のように


思えて。



どちらかと言うと、もう、思い出したくない

3年間だったような気もして。



「何をしたくて就職したんだろう?」と


振り返る時間だったりもする。




レモンスカッシュを飲み終えたし、

お風呂も東京駅で入ってきて

まだ5時。




後は寝るだけかな、と


のんびりした時間に、解放される思いの


愛紗である。



レモンスカッシュを飲み終え、ああ

片付けなくていいのか、と(笑)



習慣に気づく愛紗であった。

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