第17話 事故の記憶

森は少し厳しい顔で「ああいう無謀ドライバーでもね、若し死んだら

こっちにも責任が来る事もある。」と。


愛紗は、まあガイドだったから多少は判る。「はい。」


無謀運転であったとしても、死んだりしたら遺族が悲しみ

事故の原因がバスが出てきたからだ、などと怒りをぶつける。

とりあえず優先道路は無謀ドライバーの方だから、こちらの過失も

少しついてしまう。



「そんな時の為に、ドライブレコーダーが要るんだ」と、森。


仮に死ななくても、接触したら

ああいう無謀ドライバーに紳士は居ない。


接触せずとも、事故になればお金を取ろうとするのが

最近の風潮。




愛紗は、考えてしまった。





その、高台団地に入る前の空き地の中に

コンクリートの建物がある。


そこの前に「作業所入り口」バス停。


森は「ここが二つ目だな。まあ、国が支援して働いてる人たちの」と


そこで、見た目、ちょっと不思議な雰囲気の男の子が手をあげていた。

見た目は20歳半ばくらいだけど、屈託なく笑顔で、子供のようだ。


森は「ああ、高橋くん」と。


回送、と表示されている方向幕を、高橋君は読んでいる。


手をあげるのが好きらしい。




愛紗は、手を振ったら

高橋くんは喜んでいた。



「たまもな、そうやって高橋くんに話しかけていたんだ。

そしたら、心無い客が、会社にクレームを入れた。

運転手が、障がい者をいじめてる、って」



愛紗は絶句「そんな。」




森は「うん、たまがそんな事をするわけはない。満員のバスで

ヘンな声をだすので、いつも、少し静かにしてね、って

優しく話していた。それを悪く言いたがるクレーマーがあの辺りに

住んでいたらしいんだが。どうやら、たまに八つ当たりしたい

大岡山を首になった契約の奴が関連してるらしい。」



「そんなの。」愛紗は怒る。



「うん、首になった運転手は定年の後、契約と言うかアルバイトで

走っていたが、少しボケて来て我侭が酷くなった。

車内事故は起こす、お客や他の車と喧嘩する。まあ、古いタイプの

ダンプカー運転手みたいなタイプだな。」と、森。



「酷い。」愛紗は泣き出しそうになった。怒りで。



「そういう事もあるんだ。いくら意地悪しても

たまが相手にしなかったので、そういう悪どい事をして。それだから首になったんだが。」と

森。



しつこく再就職をねだりに来たが、会社は誰も相手にしないらしい。



愛紗も見かけた事がある。


ジャガイモみたいな顔の、いかにもボケて凶暴になった感じの

おじいさんだった。



すこし、愛紗は憂鬱になった。



森は「まあ、ボケてるんだから仕方ないんだ。判断が出来なくなっているんだ。」



と、




これからそんな事があるのだろうか、と

愛紗はちょっと怖くなる。




「でも、たまは平気だったな。やっぱり、宇宙人のつもりで

いるからなのかな?野田なんか、たまの事を鉄人だって言ってたな、」





「鉄人」と、愛紗は野田らしい表現に、少し心が和らいだ。



「野田は、たまがあれを演技でやっているって知らないんだろうな。

楽しんでやってるだけ、だって。」




「そんな余裕ってあるんでしょうか」と、愛紗。



森は「わからん。それを野田は鉄人って言ったのかもしれんな。」


と、森は、高台団地の一番上の停留所を過ぎた交差点で

対向車線に大きくはみ出て、左折。




「ここを、普通なら駅から来て曲がる。次の交差点を左折。そこが終点。」

と、普通の路地のようなところをバスですいすい曲がっていく。




そんなことが出来るのだろうか、と思うくらい。



少し長めの直線に、古いバス停があって「高台」



森は「ここが終点。その角を曲がって、元の道に戻って駅に行く。」



愛紗は「こんな狭いところを曲がるんですね」




森は「大丈夫。慣れれば平気だ。」と言いながら

左折のために、一杯右に寄る。


それから、車体を一杯交差点に出して

左へ一杯切る。のだけども

速度を抑えるので、のんびりでいい。



「こういう時は、2速のアイドリングでいい。

そのくらいゆっくりだと楽だ。その前にカーブミラーを見て

交差から車が来ないことを確認。しないと、後で困る。

譲ってくれないときは曲がれない。」



譲り合いって大切なんだと愛紗は感じ取る。



「まあ、田舎だからそんな意地悪も少ないがね」と、森は笑った。



さらに森は、元来た道路に出るときも同じ事をして、ただ

カーブミラーがないから、交差道路に少し出て、左右を確認。


坂道だから、自転車でも凄いスピードで降りてきたりする。


銀杏並木が、夏だと茂っていて見えないこともある。



「それで、深町さんはお辞めになったんですか?」と、愛紗。


森は手を振って「いやいや、本当に、前の研究所で

後輩が、仕事をもう一度教えて欲しいと懇願したからだとか。

それで、有馬に休みを申し出たんだが、本社の方で

許さなかった。副業は禁止だと言う法律のせいで。

それで、岩市は保留にして、とりあえず退職扱いだが

いつでも戻れるように、としたらしい。」


愛紗は、昔の映画のギャングみたいな風貌を思い出し「あの所長さんがそんな事を

お考えだったのですね。」




森は「うーん、真意は判らんがね。社長判断な事は間違えないな。」



愛紗は「その、前社長は、さっき話した死亡事故の引責辞任だったんですね」








森は「そう。まあ、死亡事故まで陰謀な訳はないから、それは

まあ、事故だろうけどね。裏社会につてがある岩市ならやるかもしれんが。」



と、森は言外に「この仕事は若い女の子のすることじゃない」と

言っているようにも思えて、愛紗は


出発の時の野田の表情も思い出し「早まったのかな。」なんて

思ったりもした。




バスは、排気ブレーキを時々掛けながら坂道を下る。



森は「だいたい、制限速度くらいで走るといいように出来ている。

乗降は、ひとつの停留所で1分で計算してあるから、そんなものだろう。」

少し遅れで走らないと、乗り遅れ客からクレームが来る事にもなる、と。




「そうそう、たまも、まあ、エンジニアならそっちで働けって

運転手しか出来ない奴らが言いたかったのかもな。

そういう事はどこにでもある。それと......。」と、森は少し言葉を選んで。



「誰かと結婚しなくてはならないとなると、選ばなかった人が

かわいそうだと思ったのもあるんだろうな、優しい奴だから、あいつ。

障がいのある高橋に優しくコトバかけるような。」


愛紗も、そういえば聞いた事があった。

駅前で車椅子の客が連絡なしに、バスに乗ろうとして

まだ、転勤してきたばかりの園美は、乗降版の使い方が

判らず、悪戦苦闘。


たまたま回送で入ってきた深町が、自分の出発時間を遅らせて

車椅子を載せてやった。



それで、園美たちが深町をを好意的に見るようになった。と言うあたりの事を。



そんな事できるのかな、と


愛紗は、果てしなく遠い道のりに入ってしまったように

思った。






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