第69話 晋の羊コ
羊?(よう・こ。221ー278)
羊?、字は叔子。泰山南城の人である。累代二千石(太守)の家に生まれ、祖父・羊読は東漢末年の南陽太守を勤めた。父・羊?は上党太守。羊?が生まれる前の羊?の妻は三国時代の太儒・孔融の娘であり、実母は東漢末の大学者・蔡?の娘であった。
羊?は十二才で父を喪ったが、しかし家庭において儒学の深奥に触れ良好な教育を受けた。長ずるに至って博学多識、しかも文章をよくした。曹魏の正始年間、斉王曹芳の共同補弼者・司馬懿と曹爽の闘争が先鋭化。曹爽は羊?が年若ながら有為な人材であると聞き、召して官に当てようとしたが羊?は堅く拒絶した。理由は非常に簡単で、羊?の姉は司馬懿の長子・司馬師の妻であった。だから曹氏と司馬氏の激突に当って、彼が一貫して司馬氏についたのは当然と言える。
嘉平元年、司馬懿は政変を起こし、曹爽およびその朋党を誅戮して朝盛の実権を握った。司馬懿はこの翌年に世を去るが、ひきつづいて司馬師が曹魏の大権を握る。羊?と司馬師との関係は一般的な兄弟のそれとは異なり、羊?はなかなか重用されなかった。その間、彼の実母と異母兄が世を去り、また彼の岳父・夏侯覇が蜀漢に投降した事も司馬師の猜疑を買った。
ただし、司馬師が病死し、司馬昭が後を受けると、羊?は漸く信任を受けるようになる。景元四年、蜀を滅ぼして自らの功績に傲慢になった鐘会が殺された事で、鐘会と対立関係にあった羊?が重用されるに至り、荀?らとともに司馬昭の主要な助手的存在になって機密に参与し、魏に取って代わる謀劇の策略にも参与した。当時、羊?は中領軍として司馬昭の宿衛親軍を掌握した。司馬昭が病死し、司馬炎が位を継いで晋が魏に代わる。羊?は魏に代わる密謀の立役者と言う事で大功を認められ、武帝(司馬炎)より抜擢されて中軍将軍、まもなく尚書左僕射。この以前まで羊?は武帝の腹心であって身に要職を帯びる事がなかった。これは羊?がそれらを謙譲して断っていた事もあるが、ここに至って願わず賈充、裴秀ら前朝の名臣の上に立つ事となった。
武帝が魏に代わって以後、東呉を平定して天下を統一する任務が、現実味を帯びて西晋の君臣の前に立ちはだかった。羊?は呉伐の最有力な大臣となり、彼は武帝に平呉についてその勢力を語りこの任について宜しく任せていただけるよう上申、深く武帝の賞賛を受け、それによって泰始五年、羊?は都督荊州諸軍事として襄陽に鎮座し、まさに対呉作戦第一線の将として正面作戦を行いながら、平行して呉を滅ぼすための種々の工作を開始した。
羊?は襄陽に着任すると、まず地勢工事を始めた。呉の石城の守将たちは常に晋の辺疆を騒がしていたので、羊?は離間の計を用いて呉国の将たちを退走させ、すぐさま石城を攻めて石城以西の五城池を抜き、前線陣地を築いた。すぐさま、羊?は軍糧の供応問題をも解決する。彼は襄陽に到着したとき百日分の軍糧をもってきていたが、羊?は辺境防備の圧力を軽減し、巡邏の戌卒を半数に減らした。その余剰兵力を用いて田地八百余頃を拓き、数年の内に軍糧は十余年分に増した。当時襄陽一帯の官場では一種の旧習が流行しており、前任の地方官が死ぬと継任者とその官府に禍が降りかかるというもので、皆が呉将を退けた後のことを心配したが、羊?は人の死生と生活に関わりはないとして令を下し、この種の旧習を禁止させた。百姓の動乱は少なかったという。彼は廉潔を心がけ、自らの府中における侍衛も十余人を超さないようにして威圧感を減らし、常に微服で各地を視察した。羊?は遠近種々の挙措を按撫し、江、漢地区の百姓の一致した信頼を得た。
荊州任職期間中、羊?が取った最も効果的で成功した行いは、呉人の心理的瓦解であった。呉人に対する態度に徳をもって服せしめ、誠を持って公布した。投降あるいは俘虜となった呉人が家郷に帰りたいと願うと、羊?はその願いを聞いてやった。呉国の将領・陳尚、潘景らが晋軍との戦いで戦死すると、羊?は彼らの英雄善戦を賞賛し、厚く埋葬して、彼らの子弟が服喪にやってくると羊?はこれをまた礼をもって還した。呉将・鄭香が夏口に侵略してくると晋軍はこれを生け捕ったが、羊?は自ら親しく縛めを解いてこれを還したので、鄭香は羊?の不殺の恩に感じ入り、その領する部衆を率いて羊?に投降した。たまたまある人が呉人の子供二人を俘虜としたが、羊?はこれを知ると令を下して子供を送り返させた。のちこの二人の父親はこれと知って部衆を率い羊?のもとに投降した。羊?は軍を率いて呉国の境内に侵入するにあたり、綿密な地図を造り十分計算尽くの軍糧を積んで、留下の地に絹帛礼物を送った。また羊?は狩猟を好んだが、彼は慎重で晋の国境から超える事はなかった。果たして狩猟が始まると呉人が射た獲物が晋に送られたが、羊?は部下に命じてこれをすべて送り返させた。いささかの取るところもなかったので、呉人は彼を賞賛しまた心服して、羊?とは呼ばず羊公と尊称するようになった。
泰始七年、呉主・孫晧の任命により陸抗が呉軍の前線統帥となり、羊?と対峙する。陸抗は呉国の名将・陸遜の息子であり、彼自身優れた政治的頭脳と軍事的才腕を持つ将領であった。羊?と陸抗は互いに相手を尊重し合い、彼らはこの期間既に敵手と言うよりも好友であった。羊?は陸抗と戦うたび、その都度期限を約定で定め、互いに詭計詐術の類いを用いなかった。ある部下が詭詐の術、奇策で勝ちを制しようと提言すると、羊?はそれを留め、酒を飲みつつ無法の戦の無益を説いて下がらせた。羊?と陸抗のあいだには常に互いを信じるなにものかが存在し、陸抗が羊?に酒を送ったとき、ある人が酒の中に毒が入っているのではないかと疑ったが、羊?は陸抗の人となりを信じて酒を飲み干した。陸抗が病を得ると羊?は薬を求め、自らの名でこれを送った。陸抗の部下は薬中に問題があるのではないかと猜疑したが、陸抗は却って曰く「羊?が毒を喰らわすような小人であるものか!」といって薬を服用した。陸抗は非常に羊?の用兵と度量に敬佩し、しばしば「彼は楽毅や諸葛亮を超える人物である」と賞賛した。
当然に敵対する将領同士でありながら、陸抗は非常に清潔な人物として羊?を讃え、攻めるに際して心を攻める策を採納した。このとき部下たちに告誡していわく「羊?に対するに我らは徳に服したと見せて対せよ。果たして我ら一党は軍事的対策を耕求すれば、最後は必ず戦わずして潰す。今はただ双方の境界を維持するが好し、一地一戦の得失を耕求するは要らず」
泰始十年、陸抗病死。伍は羊?に拮抗しうるに足る将領を失い、呉伐の機は逐漸と熟し始めた。
咸寧二年、晋の武帝は羊?を昇進させて征南大将軍とし、呉伐の大計を経略させる。羊?は既に七年間精心して積み上げた準備の後、呉伐のとき来たれりを確信、武帝に上書してすぐさま呉伐の師を興すべしと建議する。彼は上書の中に曰く「蜀漢を平定したとき、天下の趨勢はすぐさま呉をも伐って一気滅亡させるべしと言っておりましたが、時は流れてあれからはや13年。今江、淮の険阻は険閣に如かず、孫晧の暴政は劉禅を超え、呉人は困窮しており巴、蜀、そして大晋の兵は今盛ん。今こそまさに天下統一の好機であります。ただこれを為すには水陸両進、一挙多路から攻めれば多少の時日をかける事もなく、必ず成功を得ましょうぞ」
羊?の建議に武帝は深く感得したが、ただ中央で権勢を握る大臣賈充、荀?、馮?は却って西北の少数民族が平定されていない事を口実に、かたくなに呉伐に反対した。羊?は再度表を奏して「ただ呉を平定しさえすれば、西北の少数民族などおのずと平定されるものです。当面、焦眉の急たるはこの機のがすべからず、速やかに大功を立てるべし」優柔不断な武帝は決断を下せず、羊?は頗る失望し、詠嘆して曰く「天下の事でままならぬことは十中七、八。漸く断じたと思えば断ぜず。嗚呼、天よ、呉国を攻め取る条件はもはや実現不可能なのであろうか、あにこれ錯失あらずというに、良き計らいもこれを恨むというか?」
これから二年間、羊?は積年の疲労から病を得、咸寧四年、軽舟の前線から京師洛陽に帰還する。このとき羊?は病重しといえども呉伐の志を忘れておらず、武帝に時候の挨拶の際、また逐一呉伐の大計を陳述したが、武帝は依然として呉伐の決心がつかなかった。
羊?は病重くなって立てなくなったが、彼は自ら呉伐の重任に堪えうる人材として臨終の席で杜預を武帝に推薦した。まもなく、羊?は呉伐の志未完成のままに世を終える事を遺憾としながら、長く世を辞す。
羊?は歴朝二朝に仕えながらも、位は枢要にあり、人柄正直で謹慎、表章の上奏文はすべて草稿を焼き捨て、人材を推挙し、人と衝突したときは道を譲った。ある人があなたは謹慎が過ぎると言ったとき、羊?は「朝廷に公爵を拝し、恩に謝するは当然、わたしは本来このような地位に就けなかったのだから」反面で彼は権貴に阿ねらず、因って荀?、馮?らに憎み、忌まれた。しかるに公の人心は彼のものであり、荊州の人民は羊?の死をきいて痛惜の涙を流さざるはなく、市場の交易も停止して、巷一辺に泣き声満ちて呉国辺疆の焼死までもが泣いたという。襄陽の百姓は羊?の生前の愛顧に託して石碑を建て、廟を立てて祀った。この碑を見て泣かざるものなし、ということから、この石碑はのち"堕泪碑"と称される。
羊?の死から二年、晋は呉を攻めてこれを滅ぼす。武帝は人を派遣して襄陽の羊?の廟を祀った。羊?の功労を忘れたわけではないという証拠に、特に彼の夫人夏侯氏を万歳郷君に封じた。
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