第6話 通い合う想い(エレイン視点)

 ――これで明日から、『王妃』として生きてゆけます。

 エレインは、カラフへそう宣言した。

 つまり、カラフへの想いを絶って、国王の妻として生きてゆく……。


 自分自身にも、言い聞かせたはずだったのに。

 エレインの胸にあるカラフへの愛慕は、よりいっそう熱く大きく膨らんでしまっていた。


 昨晩、カラフと男女の契りを交わしたあと、エレインは身体中に残る余韻を振り払いながら身繕いをし、一人で彼の部屋を出た。

 途中、手引きしてくれた侍女のマルゴと合流し、寄り添いながら自室へ戻る。


 そのあと、マルゴに指示された通り、湯で体内を洗い流し、避妊薬を塗り込めて、また洗い流した。

 冷めた湯に浸かりながら、込み上げてきた瀬無せない思いを必死で飲み込んだ。


 そのあとようやくとこに就いたが、ちっとも眠れなかった。全身に、彼から受けた愛撫の痕跡がまとわりついているからだ。

 どれだけ振り払っても、頭の中が甘い記憶で満たされる。彼の顔と声と体温が、まざまざと蘇る。

 

 護衛の代役としてカラフがやって来たとき、神の思し召しだとすら思った。

 幼き折から抱いてきた恋慕を彼にぶつけ、同時に、決して許されることのない想いを断ち切る絶好の機会だと。

 だから覚悟を決めて、彼の元へ赴いたのに。


 けれど、その覚悟などなんの意味もなかった。

 長きに渡って抱き続けてきた想いを断つなんて、簡単にできるはずがなかった。


 彼の腕の中にいたときは、あれだけ幸福だったのに、今は涙があふれて止まらない。

 眠ってすべてを忘れたいのに、ちっとも眠くない。

 瞼を閉じれは、カラフのことばかり浮かんでくる。


 ――ああカラフ、今、あなたはなにをしているの。


 湧き上がってきた強い願望が身を焼き焦がす。


 ――カラフに会いたい……。もっと肌を重ねたい……。


 ***


 それから数日間、エレインは起きたり伏せったりを繰り返した。もともと、夏の暑さにやられて静養していることになっているのだし、問題ないだろう。

 事情を知っている侍女のマルゴだけは、あれこれ気を回してくれて、一人になりたいと言うエレインのために人払いをしてくれた。


 起きているときも、ほとんど部屋から出なかった、出たくなかった。もし警邏けいら中のカラフと出会ってしまったら、その場で泣き崩れてしまいそうだったから。


 そんなある晩、エレインは、どこからともなく聞こえる正体不明の音で目を覚ました。

 耳を澄ませてみれば、発生源はバルコニーへ通じる窓。

 窓の方から、小さな音がする。

 風でなにかが打ち付けられているのかと思ったが、規則正しいリズムで奏でられるこの音は、明らかに人為的なものだ。


 ――外に誰かがいる。窓を叩いている。

 不届き者だ、と思ったエレインは、青ざめ、震えた。身体が硬直し、動くことも悲鳴を上げることもできない。


 しかし、恐慌状態に陥りながらも、はっと気付いた。

 窓を叩く音は、五回鳴るとしばらく止まる。五回鳴らされ、休み、また五回鳴る。


 ――まさか!

 跳ね起き、寝台から飛び降りると、裸足のまま一目散に駆け出した。窓に近寄り、引き毟るようにカーテンを開く。


 少し欠けた月を背景に、黒ずくめの人物が立っていた。黒いマントをまとい、黒いフードをかぶって正体を隠している。

 誰だと訝しむまでもなく、エレインはすでにその人物の正体を確信していた。


 慌てて窓を開放すると、訪問者は滑り込むように室内へ入ってくる。


「夜分に大変申し訳ございません。どうか無礼をお許しください」


 痺れるような甘い美声と共に、フードが取り払われた。

 月明かりのもと、神々しいまでの金髪と、白皙の美貌があらわになる。

 ああ、とエレインは感涙にむせぶ。


「カラフ……!」


 衝動的に抱き付くと、力強く抱き締め返してくれた。それがとても嬉しかった。衣服越しに彼の体温がはっきりと伝わってくる。


「どうやってここまでやってきたの?」


 興奮冷めやらぬまま尋ねると、カラフはいたずらっ子のようにクスリと笑う。


「屋根から下りてきたのです。意外な特技でしょう」


「い、意外だわ。暗殺者の修行でもしたの?」


 目をぱちくりさせていると、カラフはさらに笑う。


「まさか。見習い時代、訓練所を抜け出して街へ遊びに行くために身に着けたのです」


「まあ! 不真面目な騎士見習いだったのね。それに、この城の警備の脆さを、護衛であるあなた自身が証明するなんて」


 あえて非難がましく言うと、カラフはますます子どものような笑声をあげる。だからエレインもおかしくて仕方なかった。

 笑い合う二人は、まるで恋人同士のよう。幸福感が胸からあふれて、ますます頬が緩んでしまう。 


「ごめんなさいカラフ、私、あなたを忘れると誓ったのに。本来なら、あなたを追い返さなくてはいけないのに」


 美貌の騎士の抱擁を受けながら、エレインは真摯に謝罪すした。


「わたくしとて、とびきりの禁忌を冒していることは理解しています」


 カラフの腕の力が強まる。


「ですが、王妃様。わたくしも、あなたのことが忘れられなかった。あなたが最後に流した涙が、その美しさが、どうしても頭から離れないのです」


「カラフ……」


 片恋だけで終わってしまうと思っていた相手から、そんなふうに言ってもらえるなんて。

 歓喜のあまり、エレインはカラフの胸板に強く頬を擦り寄せた。

 カラフも、エレインを包み込むように強く抱いてくれる。

 熱く固い抱擁を堪能していると、カラフが困惑気味に口を開いた。


「……それに、侍女のマルゴが教えてくれたのです。あなたがずっと伏せっていると。人払いをしておくから、どうか会いに行ってやって欲しいと」


「マルゴが、そんなことを……」


 いつもそばで世話を焼いてくれる侍女の気遣いに胸が熱くなる。一歩間違えれば、彼女も責任を問われるというのに。


「あの侍女は、信頼しても問題ないのですか?」


「ええ、幼い頃からずっと一緒にいるの。人生で一番ワガママを言って、郷里から連れてきたのよ」


「そうでしたか」


 カラフはほっと胸をなで下ろしたようだった。彼には、マルゴのことを伝えておくべきだったかもしれない。


「カラフ、私の元気そうな顔を見たから、もう帰る、なんて言わないわよね?」


 不安いっぱいに尋ねると、カラフは形の良いくちびるに深い笑みを刻んだ。


「顔を見るだけでしたら、昼間に訪ねていましたよ。お許しいただけるのであれば、今宵もまた、あなたと夢のような一夜を過ごしたく存じます」


 とびきりの美声で紡がれる甘い睦言。どんな美酒よりも、エレインをうっとり酔わせてくれる。


「ええ、許すわ。だからお願い。今宵もまた、私だけの明星になって」


「おおせのままに」


 恭しい返事と共に、カラフが顔を寄せてくる。エレインも目一杯背伸びをして、彼のくちびるを迎えた。

 熱く、濃厚な口づけが交わされる。重なり合うくちびるには寸分の隙間さえなく、溶けてくっついてしまったかのよう。


 キスが終わる頃には、すっかり膝が震えてしまっていた。つま先立ちしていたせいもあるが、カラフの口づけが煽情的過ぎたのだ。


「もう参ってしまわれたのですか」


 挙げ句、そんなふうに囁いてくるものだから、耳まで赤くなってしまう。


「いじわるなことを言わないで」


「あなたがあまりに可愛らしい反応を見せるものですから、つい」


 カラフは小さく笑うと、エレインを軽々と抱き上げた。寝台へ運んでくれるつもりだと察し、快楽への期待に心臓が激しく高鳴った。

 愛の悦びを知った身体というのは、こんなにも度し難いものだったとは。


 エレインを寝台へ横たわらせたカラフは、ひどく真剣な目をして言う。


「どうかわたくしの腕の中で、至福の夢を御覧ください」

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